パート1: リルカ村への道
森の中を歩き始めて、どれくらい経っただろうか。太陽の位置は木々に遮られて分かりにくいが、体感では半日近くは経過しているように思えた。
俺――フローネは、先頭を歩きながらも常に周囲への警戒を怠らなかった。視線は左右へ、耳は微かな物音へ、肌は空気の揺らぎへ。前世で培った感覚が、この異世界の森でも生きていることを実感する。
背後からは、リリアーナのか細い息遣いが聞こえてくる。貴族令嬢というだけあって、体力は絶望的にない。何度も休憩を挟まなければ、とても歩き続けられなかっただろう。
「はぁ……はぁ……す、すみません、フローネ様……もう少しだけ……」
何度目かの休憩を願い出るリリアーナの声に、俺は無言で頷き、近くの倒木に腰を下ろす。
(……本当に足手まといだな。だが、まあ、仕方ないか)
内心で毒づきながらも、水筒代わりにした大きめの葉に溜めていた水を、黙ってリリアーナに差し出した。こいつが倒れれば、余計に面倒が増えるだけだ。
「あ……ありがとうございます……!」
リリアーナは恐縮しながら受け取り、こくこくと喉を鳴らして水を飲む。その仕草一つにも、育ちの良さが滲み出ている。
俺は周囲を見回し、危険がないか再確認する。この森は、ただ静かなだけではない。時折感じる、ぞわりとするような気配。まだ正体は掴めないが、油断はできない。
休憩中、リリアーナが意を決したように口を開いた。
「あの…フローネ様」
「…なんだ」
「フローネ様は、その…とてもお強いですが、一体どこでそのような武術を…? それに、お名前は女性らしいのに、その…話し方が…」
恐る恐る、といった様子で尋ねてくる。まあ、疑問に思うのは当然だろう。銀髪碧眼の美少女が「俺」と名乗り、屈強な男たちを素手で叩きのめすのだから。
「……」
俺はどう答えたものか、少し迷った。正直に「前世で男の格闘家だった」と言っても信じないだろうし、面倒が増えるだけだ。
「……訳あってな。色々あったんだ。それだけだ」
結局、いつものようにぶっきらぼうに返すしかない。
「そ、そうなのですね…すみません、立ち入ったことをお聞きして…」
リリアーナは慌てて謝る。
「でも…フローネ様は、口は悪いですけど、本当は優しい方なのですね」
「…は?」
思わず、素っ頓狂な声が出た。俺が、優しい?
「何を根拠に…」
「だって、私を助けてくださいましたし、こうして村まで連れて行ってくださる…。それに、さっきも、私が歩きやすいように、さりげなく茨を避けてくださっていたでしょう?」
リリアーナは、少しはにかみながら言った。
(…! 気づかれていたのか…)
無意識だった。ただ、こいつが怪我でもしたら面倒だと思っただけだ。優しさ、なんてものじゃない。
「…気のせいだろ」
俺はそっぽを向き、ぶっきらぼうに答えた。耳が少し熱い気がするのは、気のせいだ…と思いたい。
その時、ガサッ、と近くの茂みが大きく揺れた。
俺は即座に立ち上がり、戦闘態勢をとる。リリアーナも息を呑んで身を固くした。
(…来るか!)
茂みから飛び出してきたのは――大きな、牙の生えた猪のような獣だった。ただし、体表が岩のようにゴツゴツしており、明らかに普通の生物ではない。
「ロックボア…!?」
リリアーナが小さく悲鳴を上げる。どうやら、この世界のモンスターの一種のようだ。
ロックボアは、こちらを敵と認識したのか、低い唸り声を上げ、鼻息荒く地面を掻いている。突進してくる気配だ。
(…面倒なのが出やがったな)
俺は冷静に相手を観察する。体当たりは強力そうだが、動きは直線的だ。硬そうな皮膚だが、関節や目はどうだ?
リリアーナを背後に庇いながら、俺は静かにロックボアと対峙した。
村は、もう近いはずだ。ここで手間取るわけにはいかない。




