7、
「こんばんは」
夜になって、伯爵は再びサルビの町へとやって来た。
昼とはうって変わって、町は今夜もひっそり静まり返っている。さすがに殺人があった日に出歩くような猛者は居ないらしい。
途中何人か自警団員とすれ違っただけで、町人とは一人も会わなかった。
声をかけて入った自警団本部には、数名の待機組が居るのみ。その中の見知った顔に「カルディロンは居るかい?」と尋ねる伯爵に、その人物は首を横に振った。
「あれ、約束してたんだがね」
昼間、帰る前にした約束を思い出し、顎を触る伯爵。──あれは約束ではなく、一方的なものだ──と、この場にカルディロンが居れば反論したことだろう。
「町長からの呼び出しがありましたので、そちらに向かっているかと」
「え、そうなの?」
「はい。また大目玉をくらうと、嫌そうな顔して行きましたよ」
「そうか、それは困ったな」
「お急ぎでしたら町長宅に向かわれては?」
言われずともそうするつもりだよ、とは言わずに手を振って伯爵は本部を後にする。
「そういう意味での『困ったな』ではないんだけどね」
ぼやけば
「大丈夫でしょうか」
とモンドーが問いかける。
「急いだほうがいいだろう」
そう言って、二人は小走りで町長宅へと向かった。
自警団本部から町長宅はそれほど離れていない。ものの五分もすれば、それは見えてくる。
「……電気、消えてますね」
「そうだね。早いな」
暗くなっているとはいえ、まだ夕飯時だ。寝るには早い時間。
子供が眠っていたとしても、大人は起きているはずだというのに、町長宅は真っ暗だ。
「出かけているとか?」
「それはないだろう」
モンドーの発言に首を振って、伯爵はそっと町長宅の玄関に手をかけた。
「……開いてるね」
「伯爵」
キイ、と小さな音を立てて扉が開く。その背後で、モンドーが低い声で言った。
「血の匂いがします」
「そうか」
「そうです」
「つまり?」
「誰かが血を流しています」
「そうか」
「そうです」
抑揚のない、意味深のようで浅い問答を繰り返し、それを終えて伯爵は中に入る。
中は相変わらず真っ暗だ。わずかに外套の明かりが中を照らすが、それも心もとない。
「こんばんは……と」
一応とばかりに言って、伯爵は中に足を踏み入れた。
そして少し入って、動きを止める。
「モンドー、血の原因が分かったよ」
「え?」
伯爵の体で影になって見えないのだろう、ヒョコッと横から顔を出して……そこでモンドーは顔をしかめた。
「カルディロン?」
「の、ようだね」
床に倒れていた大男、それはまさしく自警団団長のカルディロンその人だった。
「やっぱり困ったことになった。これでは予定が狂う。だから夜に行くから待っててくれと言ったのに……」
言ってない。待ってろなんてひと言も言ってませんよ、とカルディロンが意識あれば反論したことだろう。だが残念なことに、彼は床でおねんねだ。……永遠の眠りかもしれない。
「死んでるんですか? 血の匂い、彼からしますけど」
「さあそれは分からない。心臓の音は?」
「音は色々聞こえて、よく分からないです」
「どこから聞こえる?」
「奥の部屋からが大きいかな」
モンドーがそう言った、その時だった。
「もうやめてくれ父さん!」
声の主は考えずとも分かる。
町長の息子、ザカエルの声を耳にして、伯爵とモンドーは同時に駆けだした。
そして奥の部屋へと飛び込む。
「これは……」
そこには、向かい合う町長とザカエルが二人。
見ればザカエルの妻子は居ない様子だ。
たった二人の親子は向かい合う……というより、睨み合って立っていた。
その手にはナイフが握られている。
どちらかではない、二人揃って抜き放たれた短刀を握っているのだ。
「伯爵様!?」
突然飛びこんできた来客に、ザカエルが驚きに目を見張る。
「こんばんは。声をかけたんだが返事がなくてね。勝手に上がらせてもらったよ」
まるでこの状況が見えないかのように、伯爵は飄々と言って手を上げる。
一瞬呆気にとられ言葉を失うザカエルの正面では、町長が青い顔をして叫ぶ。
「丁度良かった、おいお前ら直ぐに自警団を呼んでこい!」
町長の言葉に、伯爵は「それはなぜ?」と問いかける。
「こいつが……息子のザカエルが、連続殺人犯だからだ!」
「そうか、それは大変だ」
「なにを呑気に……早く自警団を!」
町長が焦った様子で叫ぶ。だが伯爵はまったく焦ることなく、コツンと靴の踵を鳴らして、ゆっくり町長を見た。
「違うだろう?」
そして低い声で問いかける。
「なにを……」
「彼が……ザカエルが犯人? バカを言っちゃいけない。そんな推理誰がすると言うんだい?」
あんたが推理したんでしょうが。とはモンドーの声。
最初にザカエルを犯人扱いしたくせに、都合のいいことだと思っても、やっぱり言わないモンドー。
だって伯爵のは推理とは言わない。あんなものは当てずっぽう、なんの根拠もない適当。そしてそれは物の見事に外れたのだ。
それを伯爵は少し残念に思い、寂し気に言う。
「僕の推理が当たるわけ、ないんだよ。小説を読むたびにいつも外す、推理が当たったことはない。それが嫌になって、最初に結末を読むようになった。犯人を知ってから読むようになってしまった」
それを邪道と言うなかれ。そういう読み方をする者は、伯爵以外にも大勢いることだろう。
それほどに伯爵は推理をはずしてきたのだ。
そう、伯爵の推理は《《一度とて当たったことはない》》。
つまりだ、伯爵が犯人だと推理した時点で、ザカエルは犯人ではない、ということになる。
確信もって伯爵はもう一度言う。
「ザカエルは犯人じゃない」
「何を言ってるんだ! 貴様らカルディロンの遺体を見なかったのか!?」
「見つけたよ。あれって、やっぱり死んでるんだ?」
「な……」
親しくしていたはずのカルディロンの死を、なんでもないことのように言う伯爵の様子に町長は戸惑う。
「なぜ、そんなに平然としていられるんだ?」
「別に。死はそんなに悪いものでもないと知っているから、かな?」
死ほど伯爵にとって無縁なものはない。
何をしても死ぬことのない伯爵は、今もって死を感じたことがない。そしてこれからもきっと感じることはないだろう。
だからこそ、彼は焦がれる。死というものに焦がれるのだ。
それを味わえる人を、彼は羨ましいと思うのだ。
友であれ、失う悲しみはない。むしろ死を感じられて良かったねと思う。
「さて、カルディロンのことは今はどうでもいい」
いや良くないだろ、とカルディロンが生きていたら……以下略。
クイッと黒のシルクハットのツバを持ち上げれば、そこに光る青き瞳。
それは町長を射抜く。
「ザカエルは犯人じゃない。では真犯人は誰だ?」
「そ、そんなことワシが知るわけないだろ!」
伯爵の問いに、町長は顔色を青くする。手に握られた短刀は、ザカエルに向いたかと思えば伯爵に、と思えばまたザカエルにと忙しく動く。
「なにを怯えている」
「ワシは息子が恐いんだ! 平然と殺しをする息子が……」
コツンと伯爵が一歩前に出れば、一歩下がる町長。
「父さん、もうやめてくれ!」
不意にザカエルが叫ぶ。だが町長は「黙れ! この人殺しめ!」とまた息子に刃を向ける。
膠着するかと思えた場は、けれど一瞬で動いた。
「こんばんは。これはまた……厄介なとこに来たかな? お取込み中なら帰るよ」
不意にかかる第三者の声。それは今の今までこの場に居なかった者の声だった。
いや、正確には深夜の事件が起きてから、彼の声を聞いた者は居ない。
《《死んだはず》》の彼の声を聞いた者は──
「お、お前は!?」
「え!? い、生きて……!?」
町長とザカエルの大きな声が室内に響いた。
驚愕に目を見張る二人の男。
その視線の先には一人の男。
「こんばんは。棺桶で寝るのは性に合わなくてね。起きて来てしまったよ」
そう言って、男はシルクハットを脱いだ。
そこには髪を整え小奇麗にしたことで、見違えるような美形を披露する男の顔。
「やあドラ男」
「あんまりその名で呼ばれるのは好きじゃないね。……特に夜は」
「じゃあ言い直そう。こんばんは……ドランケ伯爵」
「こんばんは、アルビエン伯爵」
そう言って、ドラ男──もとい、ドランケ伯爵はニコリと微笑む。
その目は、まるで血のように赤くランランと光っていた。