7、
剣呑な空気が流れ、ピリとした緊張が走ったその時。
パンと空気を破る音が打ち鳴らされた。ブルーノリアが手を打ったのだ。
「再会を懐かしんでいるところ申し訳ないですが。私としては早く用件を済ませて、街へと繰り出したいと思います。人の居ない道での旅路だったもので、空腹なんですよ」
「デイサムの……いや、アルの領土内での吸血行為は俺が許さん」
「あなたに許可を貰う必要はありません」
ドランケと付き合いのある三人は、アルビエン伯爵を知っている。
だが初対面のブルーノリアは彼を知らない。だからこそ、このような暴挙に出れるのだろう。
「なに、あなたあの男を知らないの?」
驚いた様子で聞くのはエルマシリア。伯爵を知っている彼女は、むしろライバルのような存在であるディアナのほうが気になるところ。彼女のことをドランケが気に入っているからだ。ヘルシアラのように仲良くする気はサラサラない。
「知らないけれど、なんとなく察しました。人ではないのでしょう? おそらくは……先ほどの謎の視線の正体かな?」
確認のようにドランケを見るが、肩をすくめて無言のままという反応しか得られなかった。
「え、そうなの? さっきの、アルビエンなの?」
「さあな」
エルマシリアの問いには声を出して返すも、つれない返事にかわりない。
次に信じられない、という目でブルーノリアを見たのは少年吸血鬼アーベルン。
「うわあ、ここが伯爵の領地? 知らなかった、よくこんなとこで吸血行為しようと思うね」
その言葉には少しばかり驚くブルーノリア。
「そのアルビエン伯爵とやらは、そんなにも強いのか?」
少年吸血鬼はけして弱くない。いや、むしろ強いほうだろう。
その彼が嫌がるような存在に、ブルーノリアの興味がわいてくる。
「僕なら彼の領地内で吸血行為をしようとは思わないね。そもそも駄目って言われてるんじゃないの? ねえドランケ」
確認のようにドランケに目を向ければ、「そうだ」と簡潔な答え。
「あいつ、怒ると恐いからなあ……」
一体何があったんだと聞きたくなるような目で、遠くを見つめるのはダンタス。この巨漢のマッチョ吸血鬼ですら嫌がる相手とは一体どのような存在なのだ?
人ではない、吸血鬼でもない。そして吸血鬼が恐れるほどの存在。
「そのアルビエン伯爵とやら、興味がありますね」
いよいよ嬉しそうに、顎を撫でながら言うブルーノリア。その肩にポン、ポン、と手が複数置かれたのは直後のこと。
「悪いことは言わないわ、知らないまま帰った方が身のためよ」とはエルマシリア。
「僕は知らない方が良かったと、幾度も後悔したよ。悪いことは言わない、帰りな」同情するようにアーベルン。
「ま、俺様のように鍛えてから出直すんだな。それでも伯爵に勝てるかは微妙だけどよ」そう言って力こぶを見せるのはダンタス。
三者三様に言い方は異なるが、共通して「帰れ」と言われては、反論できないのが普通。
だがブルーノリアは普通ではなかった。可哀想なことに彼は好奇心が強い。そして世の中には、『恐いもの見たさ』というものがある。今の彼の心境はそれ。
「ますます興味がわきました」
ニコリと笑顔で言う彼に、三人が向けた目はなんとも言えない複雑のものだった。
「同情するわ……」
エルマシリアの声が彼に届いたかどうか。
「ま、いいさ。俺も久々にあいつに会いたいし。今から行くか?」
「え?」
ダンタスの提案に、戸惑う声を上げるのはブルーノリア。興味はあれど、会うのは今ではないと思ってた彼はちと焦る。
「いや、今は……」
「あらいいわねえ。今世のディアナとはもう出会ってるのかしら? もうお婆ちゃんになってたりして? 是非会いたいわ!」
「いやエルマシリア、今はそれよりドランケの……」
「いいんじゃない? 僕は伯爵のお話、好きだしね」
「アーベルン、お前まで……。そもそもキミらを呼んだのは、ドランケのだね……」
吸血行為をしない吸血鬼への裁きをしたかったんだけど。
ブルーノリアの声を聞く者はいない。もう三人ともに、脳内にはドランケやらディアナやら、おまけのヘルシアラが占めている。
困った顔で三人を見つめるブルーノリアの肩に、また手が一つポンと置かれた。振り向く彼の視線の先には、無表情のドランケが立っている。
「お前、結構な阿呆だろ」
その言葉にいたく傷つくブルーノリアであった。
(アルビエン伯爵って何者なんだ?)
吸血鬼達が、まさか自分に会いに来ようとしているとは知らないドクロ伯爵。
クシャミを一つして──ドクロが、それも意識飛ばしているのにクシャミするの? という疑問は持ってはいけない──意識を屋敷に戻したところで、ありのままをヘルシアラに報告する。
「よーし、ドランケを救出して私に惚れさせよう作戦いくわよー!」
と意気揚々と飛び出して行った。
「あの作戦名が目的だとしたら、達成は不可能じゃないかなあ……」
モンドーの呟きは、幸いにもヘルシアラの耳に届くことはない。
それからしばらく、まだドクロ状態の伯爵は、領土内に意識を飛ばして視察するのだった。
そして夜が明ける。
これが官能小説ならば、チチチ・チュンチュンと雀の鳴き声で目を覚ますところだろう(?
だがドクロ伯爵が目を覚ましたとき、確かに一糸まとわぬ姿ではあるものの、モンドーによって寝台に横たえられシーツをかけられているので、幸いにもその裸体を見る者はいない。
だが寝顔を見る者はいた。
「……ディアナ?」
「おはよう、アル」
「おはよう。……って、ええ!?」
目覚めに愛しい恋人の顔を見れることほど幸せなことはない。それが不意打ちでなければ。
お泊まりしたわけでもない、一夜を共にした記憶もないディアナが寝台の横で頬杖ついていれば、誰だって驚く。ガバリと身を起こした伯爵は、自分が何も着ていないことに気付いて慌ててシーツで体を覆った。
「み、見た?」
「まあちょっと見えた」
「……いやん」
「何を今更」
何度転生を繰り返し、何度褥を共にしたと思って? とクスリと笑われてしまっては、伯爵も照れるわけにもいかない。彼女よりずっと大人で長生きな自分は、もっと堂々とするべきだろう。
「とりあえず、服を着るから出てくれるかな」
「あら、私は気にしないわよ」
「出てくれるかなあ!?」
からかわれていると分かっていても、思わず赤面して言えば、コロコロ笑ってディアナは扉に手をかけた。
「ああそうだ」
だが直ぐに部屋を出ることなく、扉を開けた状態で彼女は振り返る。そして言った。
「来客が来てるわよ」
「来客? 誰だい?」
「ヘルシアラは何をしているのかしらねえ」
伯爵の問いには答えず見当違いな事を言うディアナ。
だがそれで充分だった。
伯爵には、誰が来ているのか直ぐに分かる。詳細は分からずとも、なんとはなしに分かってしまった。
「なるほど、ドランケは自力で逃げ出したか?」
ならば急ぐ必要もないが、ディアナと楽しい朝食は捨てがたい。そう思って伯爵は急ぎ服を着て身なりを整えるのだった。
直後、複数の吸血鬼を目の当たりにして、伯爵は急いだことを後悔する。
※ ※ ※
「なんだキミたちは」
ディアナと共に朝食を、とあまり使用しない食堂へ向かえば、思った以上の人数に伯爵は顔をしかめた。
「見ての通りの吸血鬼御一行だよ」
椅子に腰掛けながら、仰々しく手を広げるのは攫われたはずのドランケ。
「来るなと言っておきながら、自分から来るか?」
来るな! と叫んだときはヘルシアラが惚れるのも納得ないい男だったのになあ。今やただのドラ男。
「ま、状況は素早く変化するものだ」
おどけた顔で笑うドランケに、ハアと溜め息をついて自分の席に座る伯爵。
それからグルリと見回して、おやと眉を上げた。
「昨夜は後ろ姿だから分からなかったけれど、見知った顔がいるね」
というか、一人を除けば全員知っている顔。お互いを知らないブルーノリア以外は、かつて何かがあった面子が、そこに座っていた。
それを見て伯爵が思うことは一つ。
──で、ヘルシアラはどこへ行ったんだろうね?
ドランケを救出して私に惚れさせよう作戦は、どこへ……。