3、
「あ、見つけた!」
「うげ」
昨夜は邪魔が入ったからと、今日も今日とてドランケは獲物を探す。
対して、逃げられたから今度こそ! と気合いを入れているのがヘルシアラ。
彼女の邪魔が入り、思わずドランケから出るのは嫌そうな声、そして表情。
「待ちなさい、ドランケ! 今日こそは捕まえてやるわ!」
「ご冗談を」
追いかけてくる吸血鬼ハンターの少女から、踵を返してドランケは走って逃げだす。ちなみに今は昼間である。お日さまサンサン、今日もいい天気だ吸血鬼が走る。
吸血鬼は太陽が苦手だなんて誰が言い出したのか。昔は誰もそんなこと口にしなかったのに、近年になって急にそんな話が出てきたのだから不思議なものだ。人の噂や憶測ほどくだらないものはないというのに、そういったものほど広まるのが早いときてるからたちが悪い。
誰が言い出したか知らないが、くだらないことだとドランケは思う。
吸血鬼は元々は人間である。人間が太陽苦手でどうやって生きていくというのか。
太陽が苦手だからか色白という設定もあるが、ドランケは綺麗に日焼けしてまさに小麦肌。
尖った耳とチラリと覗く尖った歯、そして赤い瞳。と、少々稀有な顔立ちではあるが、昼間に活動している彼のことを誰も吸血鬼とは思わない。
そういう点では、勝手につけられたイメージのおかげとも言える。
それに時代が時代で、今更吸血鬼ハンターなぞそれこそレア。生きる化石レベル。
そんな職業を未だに続けているのだから、ヘルシアラも随分と根性がある。
彼女がその職業にこだわるのは、ドランケという存在があるからなのだが、分かっているのかいないのか。
飄々と今日もドランケは逃げまどう。
別に彼はヘルシアラが嫌いなのではない。むしろ好意的に見ている。めげずに自分を追いかけてくる少女の存在に、いつしか楽しくなってきたのも事実。
ではなぜ逃げるのか?
追いかけられたら逃げたくなるからだ(意味不明
とはいえ、ドランケにはヘルシアラに対して恋心はない。その好意はまるで妹に向けるそれ。
なにせ彼女は童顔で、いくつになっても幼いから。大人っぽい、色っぽい、それこそディアナこそがタイプのドランケにとって、ヘルシアラに食指は動かないのである。
「待ちなさいよ、ドランケ!」
「もう少し出るとこ出たらな~」
そう言って、自身の胸元で手を動かす。それが女性の胸の膨らみを意味すると理解し、ヘルシアラが鬼の形相となる。
「その胸元に杭を打ち込んでやるわー!!」
「おーこわ」
ちっとも怖がってなさそうな声でもって、ドランケはひょいひょいと逃げ続けた。本当に危なければコウモリになって逃げればいいのだが、早さ自慢のヘルシアラの攻撃をかいくぐっての変身は、なかなかに難しい。昨日のようにうまくいくかは、運次第。
ぐうううう~~~
不意にドランケの腹が盛大な音を立てた。
「……」
「……なにお腹鳴らしてんのよ」
思わず動きを止めて腹に手を当てるドランケを、しらけた目で見るのはハンターの少女。
さすがのドランケも恥ずかしさに尖った耳の先まで真っ赤になる。
「しょうがねえだろ、腹減ってんだから」
「はあ、仕方ないわね。私の血を少しあげるわ」
「ノーサンキューで」
「なんでよ!?」
「俺、美人の血しか飲まないんだよ」
「こ・ろ・す!」
つい先日ハゲ親父の血を吸った口で何を言うかとブチギレるヘルシアラ。
吸血した相手が吸血鬼化するなんて、それこそデマ、大嘘だ。ではなぜドランケはヘルシアラの血を吸わないのか? それは彼のタイプが色っぽくて胸が……以下略。
とにもかくにも、二人はいつもこの調子。アルビエン伯爵とディアナのような感動の再会など無いに等しく、再会の瞬間からこうやってずっとワチャワチャやっているのである。「まあ本人たちは楽しそうだからいいんじゃないの?」とは伯爵の言葉。
そして今日もドランケが変身して逃げて終わり……となるはずだった。
だがそうはならない。
不意に割り込んで来た、第三者の存在によって。
ヘルシアラが剣を振りかざす。それを避けようと身構えるドランケ。その時だった。
「おや、これはお困りのご様子。助けてしんぜよう」
声がするや否や、風が起こる。その激しさに、ヘルシアラが思わず目を閉じる。
「──!! ヘルシアラ!」
何が起きたのか分からなかった。ただ気付けば彼女の体は抱きすくめられていたのである。感じる温もりに──吸血鬼が死んだように冷たいってのも、またまたデマなのだ──驚いて目を開いたヘルシアラは、予想外に近いドランケの顔と鼓動に「ひゃあああ!?」と思わず叫ぶのであった。
「おい暴れんなよ」
「は、放して!」
心臓に悪い! とは声に出さずに、真っ赤になりながらヘルシアラはグイグイとドランケの顔を押す。抵抗することなくドランケはヘルシアラから離れた。それをちょっと寂しく思うのは、実に面倒な恋する乙女心というやつか。
「……なんのつもりだ?」
これはドランケの言葉。向けられたのはヘルシアラ……ではない。
顔を上げたヘルシアラは、その存在を目にして驚きに目を見開いた。
二人の前に立つ男は、長い黒髪を風になびかせ頬にかかるそれを払う。そんな何気ない仕草が様になるくらいに美しく整った顔立ちは、さぞや女性にモテることだろう。野性的なドランケとは対照的に知性的な美しさを持っている。
少しばかり尖った耳も、薄笑いを浮かべる口元からかすかに覗く牙も、特別目を引くものではない。
だがその目は違う。
ランランと赤く輝くその瞳。朱色に近いドランケとは違う、禍々しいまでに赤いその瞳は二人を楽し気に捉えている。
「吸血鬼……?」
呆然と呟くように言うヘルシアラに、目の前の男は口角を上げ、ニイと笑った。
笑った口元から見える牙は、到底人が持つそれではない。鋭く尖り、鈍く光る。
ヘルシアラはそれとよく似たものを知っている。その珍しい牙をもつ人物は、まさにすぐそばに居るから。
「ねえドランケ、あの人って……」
「俺に聞くまでもないだろ、吸血鬼ハンター?」
ドランケがそう言った瞬間。
ヒュッと風が起こる。ハンターの少女が風を感じたと思った直後、目の前には鋭い爪。
「ひ!?」
思わず喉の奥から悲鳴が上がった。それは異様なまでに伸びた爪であり、人であるなら不便で仕方ない長さ。
だがそれはスッと一瞬にして短くなり、異様さを感じるものではなくなる。だがその行為そのものが異様なのだ。人ならば、爪の長さを自由自在に変えるなどできるはずもない。
「だからなんのつもりだって聞いてんだけど?」
あまりのことに動けないヘルシアラの耳に届くのは、聞きなれた声。だが聞きなれない感情──怒りが含まれていることに、付き合いの長い彼女はすぐに気付く。
「ど、ドランケ……?」
男の長くなった爪がヘルシアラに刺さる寸でのところで止まったのは、誰あろうドランケが止めたから。ギリギリと音が聞こえそうな強さで男の腕を握る彼の手は、震えている。恐怖ゆえではない、相手の力がとんでもなく強いからだ。
「なんのつもりだ、は私のセリフなんですがねえ」
爪の長さを戻し、フッと力を抜いたのかドランケの腕の震えが止まる。だがその腕はまだ解放されない。
警戒されてると気付いた男は、「やれやれ困りました」と溜め息をついた。
「もう彼女を攻撃はしません。ですから手を放していただけますか?」
おどけるように、反対の手を上にあげる。降参といったふうに。
ややあって、ドランケは男の腕を放した。だが警戒は解かない、というようにヘルシアラを守るように彼女の前に立つ。
(やだ、ときめいちゃう……!)
場違いなことを考えていることがドランケに知られたら、多分ヘルシアラは数日彼に口をきいてもらえない。幸いなことに、ドランケは彼女のときめきに気付いていないが。
ヘルシアラが勝手に乙女展開をしているのを背に、ドランケは目の前の男を睨む。
「お前、ここらじゃ見かけない吸血鬼だな。どこから来た?」
「私はどこにも根付かない、流浪者です。この辺の領地は初めてでして、昨日着いたばかりです」
「流浪……?」
「ええ。そんな吸血鬼も珍しくないでしょう? 不思議そうに見るあたり、あなたはこの地に根付いてるといったところですか?」
「まあな」
ドランケはアルビエン伯爵が好きだ。(もちろん変な意味ではない)
永遠の時を生きる者は常に退屈を感じている。そんな中で出会った伯爵は実に面白く、退屈しのぎにもってこい。色々と構っているうちに、いつしか離れがたいものを感じた。
結果、伯爵が定住地として選んだ彼の領地内に、ドランケも自身の居を構えている。縄張りといった意識はないが、他の吸血鬼が来ることをあまり彼は好まない。
なぜなら、楽しい時間に水を差されるのが大嫌いだから。
長い時の中で、同胞に会うことは珍しくない。
そして彼らがアルビエン伯爵に襲い掛かるのも、珍しくないこと。同じ不老不死だというのに……同属嫌悪というやつか。
それこそがドランケの不満。
疎遠な同胞より、一緒に居て楽しい伯爵一番。これ大事。
なんてことを知るはずもない目の前の吸血鬼は、キョロと周囲を見渡す。
「見る限り、血の匂いはあまりしませんね」
「そりゃまあ吸血してないからな」
「吸血してない?」
その瞬間、男の表情が歪む。
それまで嘘くさい笑みを顔に貼り付けたまま、表情を変えなかった男が、ここにきて表情を変えたのである。
「それでどうやって生きてきたのですか?」
「血なんて吸わなくても生きてけるだろ」
それは本当のこと。単に一番好きなのが血なだけであって、血を吸えなくなっても吸血鬼は死ぬことはない。ただ力が弱るだけのこと。
「それでよく私の攻撃を止めましたね」
「まあ、そこは俺様だから」
嘘つけ、ちょっと前にハゲ親父を吸血したじゃないの。
とはヘルシアラの思ったこと。思っても口にしないのは、意外に彼女の賢明さを物語る。
「気にくわない」
だが、直後に響く低い声に、ハッとなってヘルシアラは顔を上げた。そっと目の前のドランケの背中から横にずれてその先に視線を向ければ──殺気を込めた赤い目を向ける吸血鬼が視界に入る。
「ドランケ、あの人……」
何を言おうとしたのか、彼女自身分からない。だが何かを言おうとして、けれどまたも吹く風に──その強さに、言葉は遮られる。
砂が目と口に入ってはたまらないと、突風から守るべく閉じた目と口。
だが塞がれることのない耳に、その声は届いた。
「おい、やめろ!」
「気にくわない。実に気に入らない。あなたは同胞の手によって裁かれるべきだ」
「おい!?」
焦ったような声のドランケ。
凍るような冷たい声を出す男。
ややあって、風は吹くのをやめる。一気に周囲がシンと静まりかえり、目を開けたヘルシアラは言葉を失った。
静かになったのは、風がやんだからだけではない。
目の前に居たはずの吸血鬼と、ヘルシアラの想い人である愛しい吸血鬼が忽然と姿を消したのだ。
まるで最初から誰も居なかったかのように、ヘルシアラは寂れた裏通りで一人ポツンと立ち尽くすのだった。