2、
「やあ、やっと会えたね」
懐かしい声がしたのは、それから数年後のこと。
十歳になったディアナは屋敷の庭園を散策していた。声がして振り返った先に、見知らぬ男性を認めて困惑する。
だが記憶が刺激されるのを感じた。
「あなたは……」
「覚えてないかな。話したのはほんの少しだったから……」
「ううん、覚えてる」
「そうか」
「ええ」
会話は簡潔に。
「うまく転生できたようで良かったよ」
「転生……あなたの能力なの?」
成長するにつれ、自身の状況をディアナは理解した。
出た結論は一つ。自分は死んで生まれ変わったのだ。
なぜ前世の記憶があるのか分からない。だがそういうものなのだと受け入れた。受け入れ、現在の幸せに破顔する。
この幸運を授けてくれたのはあなかと問えば、ディアナの目の前の人物は微笑みながら頷いた。
「どこの、誰のもとへ転生するか、サッパリ分からないからね。随分探したよ」
「探してたの?」
「そりゃあ……勝手に転生させて、あとは知らんぷりなんて。さすがにそれは……」
「心配してくれてたってこと?」
「そうだよ」
ニコリと微笑む男性に、なんだか温かいものを感じる。
「ありがとう」
「どういたしまして」
貴族に生まれ変わり、大勢の貴族を見てきた。その誰よりも美しい所作でもって頭を下げる男性に、ディアナの心は大きく跳ねた。
幼い心に、初恋が宿る瞬間である。
それから何度も男性に会った。
男性がとある異国の領主であることを知る。男性の名前がアルビエン・グロッサムというのも知る。
それから彼が不老不死であることも。
ただしそれを知ったのは、ディアナ自身が二度目の生を72歳まで生き、老衰死する寸前。
ある日忽然と姿を消し、会えなくなった想い人。その人が、数十年ぶりに自分の前に姿を現した。記憶の中のままの姿で、ディアナの死の床に現れた。その彼の姿に、「まるで死神ね」と笑いながら彼女は言った。
「僕は死神と違って寿命を操作することはできない。キミの転生を促すくらいしかできない無能者さ。それでも僕には永遠という時間の味方がいる。だからずっと待っているよ、またキミが生まれ変わるのを」
「ずっと?」
「ずっと」
「探してくれる?」
「ああ、探すよ」
「今度は……」
「うん?」
「お嫁さんにしてくれる?」
「……」
返事は無かった。だがそれでいいと思った。
永遠の時を生きる愛しい人は、自由を愛する人。
自分が縛り付けていい人ではない。
でも。だからこそ。
それでも自分を探すと言ってくれたことを嬉しく思う。
それはまた、次の生があることを彼女に告げているから。
そして彼女は死んで、そしてまたディアナとして生まれ変わる。
時代も国も環境も、常に異なった。
時に彼女は商人の娘だった。
時に彼女は王族だった。
時に彼女は海賊で。時に彼女は孤独で。時に大家族で。
けれどどの生にも、彼が必ず現れた。遅かれ早かれ、彼は──アルビエン伯爵はディアナを見つけてくれた。
気の遠くなるような人生を彼は送り、限られた生を送る自分を見つけ出してくれるのだ。そのそばには、いつも狼少年がいる。
けして想いを告げることはない。
だが互いに確信があった。あったからこそ告げない。なんとなく、言って関係が変わるのが恐いと思ったから。
なんのキッカケも無いのに、お互いの関係が変わるのが恐かった。
でもキッカケなんて単純で、突然訪れるものだ。
その時のディアナは、平凡な農家の娘として生まれた。だが容姿はいつも通りに、黒髪と紫瞳の美しさをもっている。その評判は周辺地域へと広まり、とある貴族が愛人にと打診してきた。
当たり前だが、ディアナは断った。それで家族に援助があるとしても、裕福を手に入れることができるとしても。
伯爵という想い人のいるディアナは、どの生でも独身を貫いていたのだから。
ところがその貴族はディアナを諦めなかった。いや、彼女を手に入れるべく、最悪の手段を遂行してきたのだ。
すなわち彼女を誘拐するという。
農作業を終えて家路をたどる彼女を、黒ずくめの集団が襲ったのは一瞬。
あっという間に真っ暗な檻に入れられた彼女は、泣き叫んだ。
叫んで叫んで……不意に悲鳴が響き、馬車が止まる。
静寂の後、バキバキと音を立てて馬車が破壊された。
「伯爵様?」
窓のない馬車に突如入り込む光。その眩しさに目を細め、期待をこめて呼ぶ。まだこの生では出会えてなかった人物を思って、ディアナは声をかけた。
だが。
「まあ伯爵には違いないけどな」
期待は裏切られる。
伯爵は伯爵でも別の伯爵。聞こえた声は別人のそれ。
壊されたドアの隙間から覗く顔は、とても美しい。けれど見覚えのある、焦がれたあの人の顔ではない。
「俺はドランケ伯爵。美しい女性の美味そうな血の匂いがしたから来てみれば、囚われの身となってるじゃないか。助けてやった礼に、その血を差し出せ」
血のように真っ赤な目を向けて、その男はそう言って自分に手を伸ばしてきたのだ。
「伯爵様……」
今回の生では、愛するあの人に会えないのだろうか。
その絶望に、ディアナは涙を流す。
「だから俺が伯爵だと……あだあ!?」
真っ赤な目に射抜かれた直後、その目が痛みに目を閉じるのを見て、ディアナはギョッとする。
「なにすんだよ!?」
殴られた痛みに頭を押さえ、涙目になりながら、ドランケ伯爵は横にいる誰かに話しかけていた。
「邪魔だ。彼女は私のなんだから」
その声が聞こえた瞬間、ディアナの目に涙がまた浮かぶ。聞き覚えのある懐かしい声に、今度は嬉し涙が浮かんだ。
ああ、彼だ。彼が来てくれた。今世でもようやく会えた。
何度生まれ変わっても、忘れることはない。その声を聞き違えるはずもない。
「なんでだよ、俺の獲物……あああ!?」
ぶつくさ文句垂れるドランケは、けれど直後ドカッと音がして、吹っ飛んだ。
「邪魔だっつってんの」
これは狼少年の声だ。その小さな体に見合わぬ力で、ドランケを蹴飛ばしたらしい。
「ありがとう、モンドー」
「ま、これくらいはね。せっかくの再会をあいつに邪魔されるのは、面白くないだろ」
懐かしい二人の声に、涙が止まらない。
それからややあって、ドランケが破壊したドアの隙間から、ひょっこりと見覚えのある、けれど懐かしい顔が現れた。
「アルビエン……」
「うん。ごめん、見つけるのが遅くなって」
「愛しています」
バキッと扉を完全に外して、手を差し伸べる伯爵。けれどその手を掴む前にディアナは告げた。
色々な感情がごちゃ混ぜになり、想いが溢れ出したのだ。
伯爵の手が、体がカキンと固まる。
驚くのも無理はない。これまで避けて来たその一言を、ディアナが不意に口にしたのだから。
でも彼女はもう我慢できなかった。死を感じたその瞬間に、言わないことを後悔したのは初めてだったから。
会えずに想いを告げることなく死ぬのは嫌だと思ったのだ。
「愛しています、伯爵……」
「……うん」
頷いて、伯爵はまた手を伸ばしてきた。今度はそれを掴む。なんなく引かれ、馬車の外へ。
そのままギュッと伯爵はディアナを抱きしめる。
「伯爵様?」
「僕も……」
「え?」
「僕も愛してるよ、ディアナ」
「……」
何回も死んで、何回も生まれ変わった。ディアナの最初の死から、何百年もの時が過ぎていた。
生まれ変わるたびに伯爵はディアナを見つけ、二人は共に生き、けれど想いを伝えなかった。
ようやく想いが通じることとなる。
「やれやれ、やっとかよ」
狼少年がため息交じりに言う。
「恋愛は付き合う前より両片想いの時期が一番楽しいとか言うけど、それを何百年も続けるかあ? ったく、子供か」
子供の外見な、けれど中身はずっと大人な狼少年の言葉に、ディアナは苦笑した。
「ちっ、なんだよ。そいつが以前言ってた、お気に入りのディアナって女かあ?」
そう言って飛んできた小さな生き物──コウモリは、ボンと小さな音を立てて人の姿をとった。頭をさすりながら苦い顔をするのは、モンドーに蹴飛ばされ星となったはずのドランケである。
不老不死に人狼、そして何度も転生する自身という環境で生きて来たディアナは、今更吸血鬼くらいで驚きはしない。
もう何度目かの再会で、ようやく想いが通じ合う。伯爵とディアナはお互いが大切で仕方ないとばかりに、ギュッと抱きしめた。
永遠の恋人の、永遠の愛の始まりである。
* * *
アルビエン伯爵と転生人ディアナは、幾多の出会いを繰り返した後、ついに思いが通じ合う。はれて恋人となった。
それからもディアナは何度も転生を繰り返す。
そして現在、彼女は伯爵がおさめる領土内のデイサムという街で、本屋の店員をしている。
伯爵が本を好きなのは昔から知っていた。ようやく手に入れた天職。伯爵のための職業が、ディアナは大好きである。
いつも通りに本の整理をしていたら、カランとドアベルが来客を告げた。
「いらっしゃいませ」
奥に鎮座する店主の手前、一応はそう声をかけるが、客を見ることも対応することもしない。ディアナが無能な店員だからではない。
有能な彼女は、誰が入って来たか知っていて、だからこその塩対応なのだ。
「邪魔するよ」
「なら帰って」
にべもないとはこのことか。
言われた人物は苦笑を返すしか無い。
「あいつに対する態度と違いすぎやしないか?」
「当たり前でしょう? あなたはあの人ではないのよ」
ドランケ。そう相手の名を呼んで、そこでようやくディアナは客の顔を見た。
端正な顔立ち、スラッと高い鼻、陶器のように白い肌はなめらかだ。その中でひときわ目を引くのが、その赤い瞳。
ディアナは知っている。その瞳が血のように赤くなる時があることを。
ドランケが苦手──というか、気に食わない──ディアナは知っていた。
「冷たいなあ」
「あなたに優しくする義理も義務もないもの」
「俺はこんなに好きなのに……」
「ありがた迷惑」
そしてディアナは知っている。このドランケという男、冷たくあしらわれて凹んでるように見えるが実際は真逆であることを。
なんであれ構われることに喜びを感じていることくらい、長い付き合いのディアナにはお見通しである。
つまりはドラケンは変人なのだ。変人と会話する暇があれば、新しい本のチェックに勤しみたいディアナ。もちろん伯爵のために。
「出会った頃は優しかったのになあ」
思い出されるは二人の出会い、とばかりにドランケの脳裏には、農家の娘に転生しながら、その美貌のせいで誘拐されたディアナとの思い出が浮かぶ。
「あなたがアルにあんな呪いをかけたからでしょ」
アルとはアルビエン伯爵のこと。伯爵の呪いとくれば……あれしかない。
「なんで? ドクロの伯爵も可愛いだろ?」
「本気でそう思ってるんなら、あなた自身も呪いにかかれば?」
「俺、ホラー苦手なんだよな。鏡見るたびに失神したらどうすんだよ」
どうもしないわよ、そのまま永遠に眠ってなさい。と心の中で毒づいてから、ディアナは作業を再開させた。やはり変人との会話は時間の無駄だ。
「以前から聞きたかったんだけど」
変人はめげずに話しかけてくる。
取り扱い書籍の在庫管理作業真っ最中のディアナとしては、イライラが増すだけの会話だ。
「自分が転生してるってこと、本気で信じてるの?」
惑わす言葉。人の不安を煽り、心の隙につけ入ろうとする、それがドランケという吸血鬼だ。
「信じるも何も真実でしょ」
手元の書類から目を離さずに返す。
「でも考えてみろよ」
ディアナの態度を気にすることなく、ドランケは言葉を続ける。
「アルビエン伯爵の能力、知ってるか?」
「不老不死」
即答である。それに否やはない。
「それから?」
「人に転生能力を付与することができる」
「それと?」
「……記憶操作ね」
促すドランケ、少しの間を空けてディアナ。
「それだよ」言って指をパチンと鳴らすドランケ。
「なにが」
「記憶操作。おかしいと思ったことはないか?」
「だから何をよ」
「転生の話が嘘だってことを」
「……」
ドランケは惑いの言葉を投げてくる。
「アルビエンは記憶操作で、周囲の人間には何代も続いてる領主一族だと思わせている」
「偽の記憶を植え付けられるんだぞ?」
「誰もそれを嘘だなんて思いやしない、記憶を操作されてるんだから」
「真実を知っているのは伯爵だけ」
ドランケが矢継ぎ早に言ってくる。ディアナは書類から目を離さない。だが紙をめくろうとした手は止まったまま。
「なあ、本当に前世の……これまでの人生の記憶が本物だと思うか?」
「あなたはどうなのよ、ドランケ」
「俺?」
「あなたと私の出会い……記憶、あるんでしょう?」
「俺だって記憶操作されてるかもだろ」
肩をすくめて言うドランケは、言いながらもどうでもよさそうだ。伯爵同様に何百年、いや何千年かも分からぬ時を生きる彼にとって、気が遠くなるような膨大な記憶の改ざんなんてさほど問題ではないのだろう。
「そもそもあなたが吸血鬼だっていう記憶が怪しいわよね」
「そうきたか」
「太陽を恐れぬ吸血鬼なんて、面白くなくて話にならないわ」
「俺は小説のネタになるために存在してるんじゃないのでね。勝手な創作でイメージを作られては迷惑だ」
「なら私も迷惑よ」
「?」
会話が成り立ってるようで成り立っていない。その状況にドランケは首をかしげた。
「どっちだっていいのよ」
「というと?」
「私が転生者である記憶が本当か嘘かだなんて、どうでもいいの。大事なのは今私は確かにここにいるってこと。ここにいて、アルの好きそうな本はないか探す。そんな今の瞬間が何より幸せ。その幸せさえあれば、なにが嘘で真実かだなんて、どうでもいいことだわ」
「転生者としての記憶が嘘ならば、アルビエンへの愛も嘘かもしれないぞ?」
「愛してるから気にしないわ」
バッサリと、ドランケによる惑いの言葉を斬り捨てる。心地よいくらいに。
「あっそ」
時間の無駄だった。言外にそう言い捨てて、ドランケはディアナに背を向けた。挨拶もなしに立ち去ろうとする吸血鬼に、ディアナが声をかける。
「そんなことより、早く呪いを解く方法を探せば?」
「探してるさ」
「早く見つけないと、アルといつまでも仲直りできないわよ」
「あいつがそんな狭量かよ」
言って、やはりなんの挨拶も無しにドランケは出て行った。それを気にすることもなく、またディアナは書類に目を向けて、本が並ぶ棚と交互に見やる。
直後、カランとまたドアベルが音を立て、来客を告げた。
今度は満面の笑みでディアナは迎える。
「いらっしゃい、アル」愛しい伯爵をそこに認めて、ディアナの胸に温かいものが広がる。
「こんにちは、ディアナ」優しい笑みを浮かべて、伯爵は愛しい恋人に声をかける。
そう、関係ないのだ。
愛し合う恋人にとって、前世も過去も真実も偽りも、どうでもいい、関係ない。
ただ今があればいい、幸せな今こそあれば良いのだ。
「何か面白そうな本は入ってる?」
「そうねえ……」
邪魔者が入ったとはいえ、いつ伯爵が来ても良いように、ディアナは既に本のリストを作成済みだ。
「これなんてどうかしら?」
「やあこれは面白そうだね」
顔を寄せ合い、本を見つめる恋人二人。
今宵は新月。読書にはもってこいの夜である。
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