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アルビエン・グロッサム伯爵とドクロ伯爵

 

 アルビエン・グロッサム伯爵の趣味は読書である。

 執務に疲れた日の夜は、欠けた月を背にロッキングチェアに腰かける。揺れながら器用にワインをこぼさず飲み、そして本を読むのが大好きだ。ただし創作小説に限り、難しい経済書とかは読まない。


 そのジャンルは多岐に渡る。


 古き良き時代を思い出させる歴史小説が好きだ。

 現実ではありえないことが起こるファンタジー小説も好きだ。

 男ではあるが、恋愛小説も心惹かれるものがある。

 エッセイ小説もなかなかに味があって良い。

 気楽に読める短編小説集は、眠い日にはもってこい。

 そんな中でも特に好きなのが、ホラーに冒険、推理などのエンターテインメントが詰まったミステリ。


 想像力が命なホラーは、平凡な日常にスリルを与えてくれる。

 冒険小説はホラーと同じくドキドキを与えてくれるうえに、ワクワクもあって楽しい。

 推理系は頭を使い、まるで筆者と勝負をしている気分になるのが面白い。


 週に三度は街の本屋へとおもむき、新しい本は入っていないかとチェックする。


 新刊の中でも、新人の作品は最重要なチェックポイントだ。既に何冊か本を出してる作者ならば、傾向が分かり自分の好みか判別できる。だが新人となるとそれが一切分からない。はたして自分の好みかどうか、それを見極めねばならない。

 それがまた楽しいのだ。


 そんなことをしているから、伯爵はとっても忙しい。たくさん本を読めるほどに暇なのに、それゆえ忙しいという矛盾した状況。

 今日も今日とて、少しばかり仕事をしてから本屋に向かうという、お気楽ぶりを発揮していた。

 ひとえに、特別問題もなく平穏な領地のおかげか。


 仕事を終えたその足で本屋へと向かう伯爵。馬車で移動などと面倒なことはしない。あんなものは郊外でこそ使用するべきであり、人が多い街中で使用するべきではない。荷物を運ぶ時や体の不自由な者専用だろう。

 そういう考えをもち、まるで平民のような楽な服装にステップしそうな軽やかな足取りで道を行く伯爵を、街の誰もが好意的に見ている。その揺れる金の髪に目を細める者も居れば、人懐こい伯爵の青い瞳に微笑みかける者もいる。


 目当ての店に着く前に、露店が並ぶ通りへとやって来た。


「やあロスコ―、今日は暇そうだな。リンゴを一袋おくれ」

「ありがとうございます旦那。ですが屋敷まで袋ごと持ち帰るのは重いでしょう。今はお一つどうぞ」

「ああ、ありがとう。残りは屋敷に届けてくれるかい? もちろん運搬料は支払うよ」


 そう言ってリンゴを一つ受け取り、手を振って露店を後にする。そんな伯爵に頭を下げて、果物屋のオヤジはいそいそとリンゴを袋に詰め込んだ。もう日が沈む、今日は店じまいだ。一日の終わりが伯爵の依頼だったことに感謝して、彼は伯爵邸へと向かうのだった。


 リンゴを受け取った伯爵は、歩きながらカシッと音を立ててリンゴにかぶりつく。手が汚れるのもお構いなしだ。


「うん、甘い。ロスコ―の店はいつもいい商品を扱っているなあ」


 顔をほころばせて、その甘みを堪能する。それをまた、帰路につく街の者がクスクス笑いながら見るのだが、伯爵は気にしない。そんなことは日常茶飯事で、街の人間も伯爵もそんな平穏な日常を愛しているのだから。


 ようやく目当ての店が見えてきたところで、キョロキョロと周囲を見回し、公園入口にある手洗い場でザッと洗う。ポケットから取り出したハンカチで手と口を拭き、濡れていないかを確認した。


「さて、と。今日はどんな本が入っているかな?」


 見上げれば、それは本屋を意味する看板が飾られていた。この街にはいくつかの本屋があるが、ここはもっとも品ぞろえが豊富な、大きな本屋。伯爵一番のお気に入り本屋である。


 一番のお気に入りな理由は、他にもあるが。


 ガラスがはめられた扉の向こうに人影をみとめてから、伯爵は扉を開けた。カランカランとドアベルが音を立てて来客を告げる。


「いらっしゃい、アル」

「こんばんは、ディアナ」


 出迎えた女性は長くサラサラな黒髪を揺らし、怪しげな紫の瞳を揺らした。とても綺麗な女性だ。

 ──これこそが、伯爵お気に入りの本屋である理由。


 挨拶を交わして、軽く頬にキスをする。本当は唇にしたいのだけど、と思っても口にしない。そんなことを口にすれば、目の前の女性が真っ赤になって慌てるのが予想できるからだ。そんな様も可愛いのだけど、その後にすねられてしまったら会話もロクに出来なくなってしまう。それは伯爵の望むところではない。


 この街を含むここら一帯の領主であるアルビエン伯爵。そんな彼を『アル』と気さくに呼ぶ彼女こそ、伯爵の恋人ディアナだ。妖艶な容姿とは裏腹に、とても可愛らしい性格をしている。……というのが、伯爵の彼女への評価。

 とはいえ、平民と伯爵とでは身分が違いすぎる。つまりは禁断の愛なので、これは公然の秘密だ。誰もが知っているけれど、誰も知らないフリをする。まだ20代直前の二人……若者の可愛らしい恋を、誰もが見守っている。


 ……まあ、実際には、20代直前なんて若さではないのだけれど。


「新しい本、入った?」


 いつものお決まりな問いを口にすれば、


「入ってるわよ。あなたの好きそうな本」


 と、心得てるとばかりにディアナは即答する。既にその手には一冊の本が握られていた。


「そうか、ディアナがそう言うのなら間違いないね。読むのが楽しみだ」


 ニコリと微笑みながら、差し出された本を受け取る伯爵。いや、受け取ろうとした。

 だがまさに本を手にしようとしたその瞬間、スッとディアナが本を後ろに引いてしまい、伯爵は受け取り損ねてしまう。


「ディアナ?」

「でも今夜は満月よ」

「え」


 ディアナの言葉に絶句する伯爵。瞬間、その顔が泣きそうに歪んだ。


「なんてこった、忘れてたよ」

「どうするの? まあ別に『その時』がくるまで読めばいいんでしょうけど」


 その言葉に難しそうな顔をするのは、これまた伯爵。ころころと変わる表情を、ディアナは楽し気に見つめている。当の伯爵本人は、心底困っている、という顔をしているというのに。


「いいとこで中断なんてことになったら、僕は絶望だよ。さてどうすべきか……」

「日が昇ってからにすれば?」

「ちなみにジャンルは?」

「あなたの好きなミステリ……今回はホラーよ」

「なら夜中に見なくちゃ意味がない!」


 叫んで大仰に溜め息をつく恋人を、ディアナはクスクス笑う。


「じゃあ明日の夜まで我慢することね。どうする、今渡しておこうか? それとも……」

「持ってたら絶対読んでしまうよ。そして絶対面白くなってきたところで中断させられるんだ、分かってるんだ。だから……」


 実に悲しそうな顔でチラリと恋人の女性の顔を見れば、


「オッケー。明日まで預かっておくわね」


 と言って、彼女は本を引っ込めるのだった。

 それを名残惜しそうに見つめる伯爵。だがややあって、諦めたようにもう一度溜め息をついて、代わりにディアナへと手を差し伸べる。


「そろそろ店じまい?」

「そうね。あなたが最後のお客様よ」


 そう言ってディアナはグルリと店内を見回す。


「そうか良かった。夕食でも一緒にどう?」

「喜んで。その後はどうするの?」

「できたら夜を共にしたいところだけど、今夜は無理だからね。家まで送るよ、最近は物騒だし」


 できることなら愛する恋人とずっと共にいたい。だが今夜はダメなのだ。

 どうあっても諦めるしかない状況に、またため息をついて伯爵は店の外に出た。支度を済ませて出てくる恋人を待ちながら、伯爵は恨めし気に日が沈み始めた空を見上げるのだった。

 

* * *


 愛しい恋人ディアナとの逢瀬を終えて、伯爵は帰路につく。見上げれば空にはポッカリと満月が浮かんでいた。


「やれやれ、またか……」


 そんな呟きを聞く者は居ない。みな暗くなった夜道を急いで家路につく。誰もが疲れており、誰もが早く家に帰りたいと考え、足早に移動する。そんな中で、貴族然とした姿をしない伯爵に気付く者などいなかった。

 だから誰も見ていない。

 昼間ならば光に反射して美しい青を宿すその瞳が、今は満月を反射することなく黒く濁っていることを。濁り始めていることを。


 誰もが気付かない。


「ただいま戻ったよ」


 大きな街デイサムのはずれにある、街一番の大きなお屋敷。それが伯爵邸。立派な壁に囲まれ、その間に急に現れる大きな門。そこを通ってこれまた大きな庭を通り過ぎればようやく辿り着く屋敷の玄関。そこを押せば難なく扉は開く。

 玄関ホールで声をかけてコートを脱げば、タタタッと小さな足音が聞こえてきた。


「ただいま、モンドー」

「おっそいよ、アル様!」


 誰が駆けて来たかなんて確認する必要もない。この屋敷の使用人は一人しかいないのだから。

 振り返った伯爵の目線の先には、一人の少年が立っていた。(よわい)10になるかどうかといったところ。

 だが妙に大人びて見えるのは、その珍しい銀髪銀瞳ゆえか。

 どこから走って来たのか息を乱すことのない少年は、唯一乱れた前髪をかき上げる。そんな仕草が似合っている少年がどこにいるだろう。


 だがそんな彼を何の感慨もなく見つめてから、伯爵は深々と溜め息をついた。本日何度目の溜め息となるのか。


「リンゴは届いたかい?」

「とっくにね。運んでもらった手間賃も含めた金額を支払っておいたけど、良かった?」

「もちろん」


 使用人は一人だが、この使用人は実に優秀。主人の意をちゃんと理解し汲んでくれるのだから。


「モンドーは優秀だねえ」


 そう言ってヨシヨシと頭を撫でれば、


「子供扱いすんな」


 と邪険に払われてしまった。


「子供だろ」

「見た目だけな。実際はアル様より年上だっての」

「ほんの数歳だろ」

「その数年が大きく違うんだ」

「はは」


 笑って伯爵はコートを少年に預け、自室へと向かう。

 二人の会話の意味を理解できる者は、この場には居ないだろう。理解できるのは、この場に居る二人だけだろう。


「いいから急いでよ。もう変化が始まってるじゃないか」

「ああそうだな。まったく、融通が利かないなあ」

「あのバカ、いつになったら解決策を見つけてくるんだ」


 ヤレヤレと困り顔の伯爵に対し、怒り顔の少年。

 背後で怒る少年を伯爵は振り返り、「ま、時間はたっぷりあるんだ。気長に待つさ」と言って、二階の奥にある自室の扉を開けた。

 窓のカーテンは開かれ、正面には見事なまでの満月。


 伯爵の心臓が、ドクンと大きく跳ねた。


「ああ、そろそろだな。モンドー、頼んだよ」

「はいよ。じゃ、ベッドに寝ころんで」

「了解」


 何が起こるのか分からない、だが二人には分かっている。この現状を、理解しがたい状況を、二人はなんら疑問に思うこともなく、慌てることもなく対処している。


 気付けば伯爵の綺麗な目はすっかり無くなっていた。

 文字通り、《《無くなっている》》のだ。

 窪んでいるのではない。そこには何もない。


「俺、あんま見たくないからシーツかぶって」

「すまんね」


 言われて伯爵はシーツを頭からかぶる。大きな伯爵の体をシーツがすっぽり覆う。

 しばらくはそのまま動きは無かった。伯爵の姿は見えないまでも、そのシーツにくるまった状態のシルエットは動かず、そこに確かに伯爵がいるのを告げている。


 だがややあって。


「あ」


 モンドー少年が小さな声を上げた。その目に映るは、どんどん縮む伯爵のシルエット。

 シーツにくるまれていた伯爵の姿がドンドン小さくなっていき──やがてそれは小さなボールのサイズになった。両手で抱えられる程度の大きさのそれ。


「めくるよ」


 少年が声をかける。


「ああ」


 返事はすぐに。

 そっと少年はシーツをめくった。


 そこに伯爵の姿は無い。


 ポツンと寝台の上に置かれたそれを、迷うことなく少年は手にした。

 ボールのようなそれは、けれどボールではない。

 白いそれは、大人の頭のサイズだった。


 いや、実際にそれは頭なのだ。


 頭骨(とうこつ)、頭蓋骨、ドクロ……異国ではシャリコウベだとかシャレコウベだとか。

 言い方はどうでもいい。ただ簡単で言いやすいドクロ呼びを、伯爵も少年も好む。


「やあ、ドクロ伯爵」

「どうも、ウルフ・モンドー」


 ドクロがなんら不思議でもないことのように、言葉を発する。カタカタと、不気味にドクロの口元が動いた。

 それを顔をしかめて眺める少年にも、変化は現れている。毛むくじゃらの手がドクロを掴み、そっと窓際そばのテーブルに置いた。満月のほうに向けて。


「じゃ、俺も行ってくるよ」


 そう言って少年が服を脱げばすっかり犬の姿だ。──などと言えば少年は怒る。


「ああ、行っておいで。今日は人狼の集会があるんだったか?」

「ウルフマンて言えよ、そっちのがカッコイイだろ」

「価値観の違いさ」

「うるせえ、俺はウルフマン一択なんだよ」


 そう言って、犬……ではなく狼の姿となった少年は、銀の毛を揺らして屋敷の外へと出て行った。

 シンと静まり返る室内。


「さて、と」


 ドクロとなった伯爵は呟く。


「皆の様子を見るとするか」


 満月の光を浴びながらそう言って、伯爵はない瞳を閉じた。閉じた気になった。

 ポッカリと開いた黒い目は、なにを見るのか。何を見ようというのか。

 それは伯爵にしか分からない。


 だって彼は【ドクロ伯爵】だから。


 長い長い、気が遠くなるほど長く生きる彼は、人ではなかった。何者でもなかった。かつては何者でもあったのかもしれないが、もう忘れてしまった。それほどの時を彼は生きる。


 そして《《ちょっとした事件》》のせいで呪いをその身に受けることとなり、満月の夜はこうしてドクロとなるのだ。

 だが彼はそんな自分を悲観してはいない。本が読めないのはつまらないが、それ以上に得るものがあるのだから。


 ドクロ伯爵は動けないし、何も見ることができない。だというのに『見る』ことが出来るのだ。

 彼が知る場所のことなら、どこへでも見通すことができる。


 ポッカリ開いたドクロの目の奥で、彼は見るのだ。


 慣れ親しんだ、領地内の様子を。人々を。

 まるで夢を見るように、彼は見るのである。

 

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