「小説心酔」
自由になりたかった。だから、私は小説家を志した。言葉の海で私はどこまでも行けると信じていた。紡ぐ物語は己を束縛から解き放ち、空へ飛び立つための翼になると、そう信じていた。涙が零れ落ちる。零れ落ちた涙はやがて天へ昇り、雨と成り、世界を流転する。私は渇望している。自由のその先、何ものにも、己の自我にも束縛されない解放を。しかし、私はこの世界で何処へも行けない。夢、信条、私を構築するアイデンティティは私を暗い箱舟の中に押し留める。鍵穴は無い。言葉の海を漂流する私は一体、何処へ向かっていくのだろうか。過去、現在、未来、座標を知る術は無い。知らないのならば、何処にも行っていないのと同様である。
私は、私以外の私に成りたかった。不明瞭な暗闇の外側に飛び立つことが出来たならば、自由があると信じていた。そして、小説は自由を指し示す光だと思われた。私は、ある時は怠惰な男であり、ある時は、世界を救った英雄であった。私は、意地悪な伯爵であり、絶世の美少年であり、聡明な名探偵であった。私は束の間、私以外の私に成ることが出来た。けれども、本を閉じれば、私はいつもの私に戻った。私以外の私は錯覚に過ぎず、小説という光によって映写された、陰影に過ぎなかったのだ。それらは光が失われれば、立ちどころに消え失せる。私は一時の変身を求めて、一層小説に傾倒した。小説中毒である。最早、小説無しで生きていくことは出来ない。
私は世界の広さを知っている。しかし、広い世界で私は、私以外に出会うことは無い。暗闇の中で他者を知覚することは無い。私は、自己解釈に則って他者に形を与える。けれども、私の中に私以外の者、他者は存在しない。だから、私は決して他者に到達することは無い。ただ、私という領域の外に存在する私の欠片が私と共鳴し合うだけだ。暗い箱舟の外に存在する私の欠片はソナーとして、私に世界の広さを教える。私は叫ぶ。この声は何処へ到達するのだろうか。他者の心を揺るがすことが出来るのだろうか。私の物語は幾人の心の欠片と共鳴し合うのだろうか。私もきっと他者の欠片を持っている。だが、それを他者として自覚することは出来ない。私の中にある全部は私以外に成り得ない。
小説の神髄とは何だろうか。私は自身の紡ぐ物語にですら束縛される。本当はもっと面白い物語を生み出すことが出来る筈なのだ。斬新なシナリオ、克明な描写、驚愕の結末、他者を唸らせ、自分を納得させられる完璧な物語。私は自由に言葉を選ぶことが出来る。選べばいいのだ、最良の選択肢を。きっと、この世の中には元来、傑作しか存在しない筈なのだ。少なくとも作者にとっては傑作であらねばならない。しかし、私は未だ暗闇の中で傑作に到達できない。小説の神髄は真の小説家の内にだけ存在するものなのかもしれないと思う。私は元より小説家では無かった。落涙。涙の一滴は確かなものとしてこの世界に存在していた。けれども、私は何処にいるのだろう。私は何を語れるのだろう。
私はまだ、小説を知らない。小説の意味、可能性。誰か私に教えて。