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幸福の花は静かに笑う  作者: 武尾 さぬき
第2章 利害関係者(ステークホルダー)
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第6話 十色の力(前)-6

 危険な状況になったら走って逃げればいいと思っていた。だが、それすらできずにあっさりと捕まってしまった。情けないがいっそのこと大声を出して助けを呼ぼうかと思った。しかし、喉が締め付けられているみたいに声すら出せない。




 なにをされたわけでもないが、私の頭と身体が危険信号を発しているようだ。




「お兄さん……、ちょっとだけ話があるんだけどいいかな?」




 後ろにいた体操選手の男が肩を組んできた。酒樽の男の万力からはここでようやく解放される。だが、逃げられない状況に変わりはなかった。




 少し前までは私を監視している衛兵がいると話を聞いていた。今もそれが続いていたらこの状況を救ってくれたのかもしれないが、残念ながらそうもいかないようだ。




 私は、この男たち3人に連れられて今来た道を戻り、裏通りをさらに奥へと入っていった。大きな建物と建物の間にある狭いスペースに連れ込まれ、そこでようやく肩組みからも解放された。




 生ゴミのような臭いが鼻をつく。




 建物の側面を背にして私は(はりつけ)されるような姿勢になっていた。広げた手の指先が壁に触れ、湿った泥なのかカビなのかが付着する。そして、その壁に背中を押し付ける羽目になってしまった。体操選手の男がいわゆる「壁ドン」の状態で私の顔を……、目を覗いていた。




「お兄さん……、なんかお金持ってるんだよね。ちょっとこっちに融通してくれないかい?」




 口調は一応疑問形だったが、私の返事を待たずにカマキリ男が私のズボンのポケットをまさぐっている。酒樽の男はいつの間にか私から奪った小物入れの鞄をひっくり返して中身を探っていた。




 こういう時にカレンさんのように剣を扱えたり、パララさんのように魔法を使えたりしたら、返り討ちにできるのだろうか。




 相手を叩きのめして、ついでに情報を聞き出したりする……。漫画やアニメでよく見かけるシーンではあるが、私にはこの状況を打開する力が無い。




 危険を感じながらも、この男たちは単なる金銭目的で私を襲っているのか、それともブリジットとなにか繋がりがある者たちなのかと考えていた。


 この3人組みを紹介所の付近で見かけた記憶はない。私が聞き込みをした人の誰かが情報を流したのだろうか?




「こいつ……、大した金持ってませんぜ?」




 酒樽の男が私の荷物をすべて地面にぶちまけた上でそう言った。カマキリ男もポケットから手を抜いて首を左右に振っている。


 当然だ。私は仲介料の話をしてまわったが、実際に大金を持ち歩いているわけではない。移動と飲食に最低限必要なくらいしか持ってきていないのだ。




「お兄さん……、ブリジットさんに仲介料払いに来たんじゃなかったのかい?」




 なにか答えようとしたが驚くほど声が出ない。ただ、それと同時に頭では体操選手の男が「ブリジット」と口にしたことを反芻していた。その口調からは「知り合いのブリジットさん」という含みを感じたからだ。今、目の前にいる奴らはブリジットと繋がっている。




「ぁ…ぁっ…あっあ」




 私はこの状況で話すための発声練習をしていた。まさか恐怖に陥るとここまで声が出ないとは思わなかった。




 以前に絶叫マシンが本当に苦手な人は「絶叫」すらできない、と聞いたことがある。今の私はまさにそれに近い状態なのだろう。一定の恐怖のレベルを超えると声すら出せなくなってしまうのだ。




「あ…っと、今は仲介料を持っていません……。ブリジットさんに会えたら直接お渡しする予定でしたので――」




 かすれた声だったがようやくなんとか音にすることができた。




「ブリジットさんは今ちょっと忙しくてこの辺りに来れないんだわ? 金の受け渡しならオレらが代わりにやってやるけど?」




 体操選手の男が顔を寄せてそう言ってくる。声を出すたびに息が顔にかかって不快だ。




「こちらは安定した職のためにお金を掻き集めてきたんです。それをなんの保証もなしに本人以外の人間に渡せると思いますか!?」




 お金の回収目的だけでも、もう少しうまいやり方があるだろうに……。頭の回らない奴らめ! と私は頭の中で目の前の3人を罵倒していた。




 しかし、裏を返せば今はその程度の抵抗しかできないのを物語っている。自分の非力さが情けない。彼らは「仲介料」だけの情報で私を襲ってきたのか。パララさんの時もそうだったが、常にそれなりの高額なお金を要求しているのだろう。





「――その人の言う通りだ」





 その時、目の前の3人組とは明らかに違うドスの効いた低い声が響いた。

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