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幸福の花は静かに笑う  作者: 武尾 さぬき
第1章 異世界営業
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第4話 花の闇(後)-6

「……ボクになにか御用ですか?」





 「ボク」と聞こえたが、明らかに女性の声だ。私のことを怪しんでいるのが声から伝わってくる。しかし、それよりもっと重要なことがわかった。




 言葉が理解できたのだ……。




 これは奇跡か。それともここは異国に見せかけて日本のどこかなのか?




 歩み寄ってきた人は、やはり女性だった。私はなにから話していいかまとまらず、「あー」とか、「えー」とかばかり言ったあとに、「私の言葉はわかりますか?」と聞いていた。




「えとっ……、わかりますけど……?」




 相手も話しているのだから、当たり前かもしれないがとりあえず確認したかった。コミュニケーションをとれるというだけでも急に希望が見えてきた。


 とりあえず、私自身が状況を理解できていないので、それを説明するのはとても困難だった。




 ゆえに、気付いたらまったく知らない土地にいて、手持ちの鞄を無くしてお金や身分証がないといった内容をそのまま話して伝えた。





 夜の遅い時間に男が急に話しかけてきて、こんな話をするなど怪しさ以外ないと思う。しかし、ありのままを伝える以外の方法を今は思いつかなかった。




 今非常に困っているということを感情に訴えるしかないと思った。実際に困っているので熱心に今の事態を話していると、再び腹の虫が鳴った。




「ふふっ……、困っていることとお腹が減っているのはわかりました。ボクのお店が近くあるのでよかったら来ますか? 今日はもう閉店ですが、ちょっとしたものならお出しできますよ?」




 普段の私ならこうした善意の申し出は一旦断っていただろう。だが、今は藁にも縋る思いだったので、ぜひお願いします、と大声で返事をしていた。目の前の女性は口を大きくUの字に曲げて笑った。とても可愛らしい笑顔だった。




 お店はこの近くですから、と言って彼女は少し駆け足で進み始めた。私は一旦、鞄のことは諦めて彼女の後ろを追いかけた。




「先ほども走っていたようですが、なにかお急ぎなのですか?」




 私は駆け足で前をいく彼女に率直な疑問を投げかけた。




「そういう訳ではないのですが……、早くお店に戻りたいのです」




 私はその意味が理解できなかったが、時折彼女が振り返る姿を見て、ひょっとしたら誰かに追われているところを声かけてしまったのかと思った。明らかにすぐ後ろにいる私ではなく、その後ろを見ているように思えたからだ。




「誰かに追われているとかではないですか? なにか協力できることがあれば言って下さい」




 仮に誰かに追われている状況と仮定して、私がなんの力になれるかは甚だ疑問だ。それなのになぜか私はこんなことを口走っていた。


 すると、前を走っていた女性は急にペースを落として歩き始めた。そしてこちらを振り返ると、先ほどと同じ笑顔を見せてこう言った。




「不思議な方ですね? ボクに声をかけた時はあなたの方が困っているようでしたのに……、ボクを助けてくれるんですか?」




 彼女の言う通りだ。人を助ける以前に私が助けてもらいたい状況なのだ。そう言われて苦笑してしまった。




「それもそうですね……。なにを言ってるんだか――」




「安心してください。別に追われてるわけじゃありませんよ……。優しい方なんですね?」




 彼女はそう言うと前を見て、ここが私のお店です、とすぐそこに見える建物を指差した。


 おしゃれな街カフェのような建物が目に入った。入口の看板のところに酒樽が置いてある。カフェというよりバーなのだろうか? 勧められるがままに店の中に入りカウンターの席に座った。




 店内はやはりカフェに似た雰囲気だったが、カウンターの向こうの棚には酒瓶が大量に並んでいる。彼女はカウンターの奥に消えていったかと思うと「あっ!」と言ってこちらへ戻ってきた。




「お名前をまだ聞いていませんでしたね。なんとお呼びしましょうか?」




 私としたことが大失態を犯した。このような状況で自分から名乗らないとはなんと無礼なことか……。




「申し遅れました。私はスガワラ・ユタカと申します」




 私が名乗ると、彼女は小さい声で何度か「スガワラ」と呟いていた。




「珍しいお名前ですね……。それと、ちょっとだけ発音がむずかしいです。スガ…ワラさん?」




 私にはぴんとこなかったが、どうにも彼女には「スガワラ」と発音するのが難しいようだ。




「知り合いにはよく『スガ』とか『スガさん』と呼ばれていますが……、それならどうでしょうか?」




「スガさん……。あぁ、これがいいですね。いきなりでなんですが『スガさん』とお呼びしてもよろしいですか?」




「はい。私もそれに慣れておりますので」




「それでは改めましてスガさん、私はラナンキュラス――ですが、みんな『ラナ』と呼んでますね」




 ラナさん……、灯りのある店の中で見ると、淡い紫色の髪をした美しい女性だった。そういえば「ラナンキュラス」という名の花があったな、と頭の片隅に過った。心なしか外で出会った時より彼女の背丈が小さく見えるのは気のせいだろうか。




「ラナさん……、ですか。素敵なお名前です。こちらこそ改めてよろしくお願い致します」




「はい、よろしくお願いしますね」




 口をUの字に曲げて彼女は微笑んだ。この笑顔を見ているとほんの少しだけ、私の不安が消えたような気がした。

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