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幸福の花は静かに笑う  作者: 武尾 さぬき
第1章 異世界営業
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第4話 花の闇(前)-5

 夜の酒場はいつも通りだった。




 カレンさんやハンスさんといった常連客が集まり、今日の仕事の話や世間話に花を咲かせている。ブルードさん自慢の料理とお酒を右へ左へと運びながらお客の注文をとる。




 ラナさんは仕事を探しに来た人の相談を受けつつも時折こちらを手伝ってくれた。カレンさんはいつも通り、酒を飲み、何度も追加の注文で私を呼んだが、今日の仕事の話にはまったく触れなかった。





 そして酒場の閉店の時間が近づき、明日も仕事か……、と口々に言いながらお客たちは家路についていった。私はお店の清掃をして、仕事を終えたブルードさんを見送った。その後はお店の売上金の計算などの事務関係を済ませていく。




「ラナさん、今から仕事へ出てきます。戸締りはしっかりなさってください」




「わかりました。本当に気を付けてくださいね」




 ラナさんは倉庫から木刀のようなものを見つけてきて私に手渡してくれた。武術の心得などまったくないが、それでもこれで丸腰よりは幾分かましになると思わわれる。薄っすらと埃が積もっていたので、長い間誰の手にも触れられてなかったのが伝わってきた。




「ありがとうございます。ラナさんは気にせず休んで疲れをとってください」




 そう言って私は酒場を出た。





 外は魔鉱石の街灯が点々と夜道を照らしていた。以前に都会の夜を経験している私にとっては非常に暗く感じる。空には無数の星が輝いていて、その明かりも微力ながら夜道を照らす手伝いをしているようだった。




「こちらの世界は空を汚すようなものがないんだろうな……」




 夜空を見上げながらそんな独り言がこぼれた。私は今日カレンさんと話した駅前のベンチに向かって夜道を進んでいった。





◇◇◇





「ただベンチに座って待つだけ……、ですか?」




 私は今聞いたことの真意がわからずそのまま聞き返した。




「そう! 夜に街へ出てこのベンチに座る。1時間くらいかな……。じっとここで座って――、それから酒場に戻る。それだけをやってほしい」




「誰か会いに来るんですか?」




「どうだろう? ひょっとしたら衛兵の誰かが声をかけてくるかもしれないねぇ……。その時は人を待っているとか適当に言ってくれたらいいよ?」




「えー…と、つまり人が会いに来る予定自体はないんですか?」




「そうだねぇ。ここに座って見た人や出来事を翌日私に教えてほしい」




 彼女を信用しないわけではないが、仕事の内容があまりに不可解だった。




 まさか私を切り裂き魔の囮に使おうとしているのか――、一瞬そんな考えが頭を過ったが、絶対に危険な目に合わせないと言ったカレンさんの言葉が嘘とは思えない。




「それをカレンさんに伝えることで……、切り裂き魔を捕まえるのに繋がるんですか?」




「あぁ、先に言っとくけど間違ってもスガを囮に使うようなバカな真似をするんじゃないからね?」




 私の邪推が表情に出ていたのだろうか。




「カレンさんを信用はしています。ですが、あまりに不思議な内容ですので――」




「後できちんと説明する。けど、今は詳しく話せない……。これじゃ依頼を引き受けてもらえないかねぇ?」




 この話をしているカレンさんは終始真剣だ。刑事ドラマとかで関係者以外には事情を話せないが協力してほしい、みたいな展開を幾度か見たことがある。ようするにそんな状況なんだろうか……?




「期間はいつまででしょうか?」




「――とりあえず7日間かな? それでなにも無ければ止める。切り裂き魔を捕まえられなくても約束した額の報酬は払うよ。その時は私の自腹だけどねぇ」





 1週間毎日、夜中に外へ出て、駅前のベンチに座ってそこから見える光景を報告する。これにどのような意味があるのか私の理解は及ばなかった。ただ、彼女の口ぶりにはその期間で切り裂き魔を捕まえられる、と感じとれた。




 なぜ私が選ばれたのかもわからない。だが、そこになにか期待があるのなら、裏切りたくない気持ちもある。そして、万が一切り裂き魔が自分の身近な人たちに危害を加えたら――、と考えなくもなかった。




「わかりました。その仕事引き受けます。とりあえず7日間やってみます」





 私はカレンさんと話した内容を思い出しながら夜道をひとり歩いていた。




 知らないうちに危ないクスリの運び屋とかにされている人は、きっとこういう感じなのかもしれない、と今の状況を例えるものを頭の中で探していた。




 彼女の話だと酒場を出てから駅前で過ごして戻るまでの間は、ずっとサージェ氏が見張ってくれているらしい。ひょっとしたらそれに加えて衛兵も私を見張っているかもしれないのだ。


 私にはその気配を感じ取れないので信じるしかなった。ラナさんが渡してくれた木刀もどきを握る手に力がこもる。





 駅前に着いた。路面電車の駅は最後の便が出た後で閑散としている。夜は少しだけ風が冷たかったが、人の気配がない場所はそれを余計に引き立てていた。


 ベンチに腰かけて辺りを見渡したが、本当に誰一人いないようだ。ここで1時間なにをしろというのだろうか……?




 ここで見た状況を教えてほしい、と言われたが「なにもなかった。誰もいませんでした」しか報告できない気がした。時々通りかかる人がいないではないが、目立って伝えるようなことは無さそうだ。




 このよくわからない仕事をこなす夜がこれから続くことになるのだ。

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