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幸福の花は静かに笑う  作者: 武尾 さぬき
第4章 意思疎通≪コミュニケーション≫
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◆◆第11話 漆黒の意思(後)-1

 遺跡の中は思っていたよりずっと広かった。




 湿気のある空気と、外よりわずかに低くく感じる気温は幼い頃に行った鍾乳洞の記憶を呼び起こさせた。




 通路は暗く、設置された魔鉱石の灯りが無ければ、目の前すら闇に閉ざされていたかもしれない。足元は決してよくなかったが、サージェ氏は先頭で躊躇せずにずんずん進んでいく。





「魔除けの聖水をたっぷり使いましたから、まものから寄って来ることは少ないと思いますよ? それでも効果が薄いやつも時々いますからね、注意するに越したことはありません」





 ランさんの声は通路を反響していった。進めば進むほど下に降りていく。壁は石壁のようだが、この遺跡の内部はまるで蟻の巣のようだ。




 しんがりのランさんは分かれ道があるたびに、チョークのようなもので壁に印をつけていた。




 ラナさんは無言で私の横を歩いている。手に持ったランプの灯りが横顔をかすかに照らしていた。その表情からはなにを思っているかわからない。美しい髪の毛先が灯りを反射してキラキラと光っていた。





 サージェ氏の後を追いながら進んでいくと、急に開けた場所に出た。手持ちのランプの灯りでは端っこまで照らすことができない。




「自分たちが最初にまものの群れと遭遇したのはここだったはずです。少し調べますので、ランさんはそのふたりを頼みます」




 サージェ氏は、私たちと離れて周囲をランプで照らしながらゆっくりと歩いていく。




「ラナさんとスガさんはこのまま僕と待機ですよ。こうした広い部屋は遺跡内にときどきあるんですが、ランプの灯りが行き届きませんからね。危険が多いところでもあるんですよ?」




 ランさんはランプを足元に置いて、私が借りた短剣より幾分長い剣を構えながら周囲の様子を窺っていた。しばらくすると、サージェ氏の灯りがこちらに戻って来る。





「奥にまものの死体がいくつか転がっていた。カレン様が倒したものだろう。先に進む道を見つけたが、ここから先は、前に入った捜索隊も踏み込んでいないようだ。灯りも設置されていないので慎重に進まなければならない」




「カレンちゃんは二刀流ですからね。傷跡が特徴的になりますので、それを目印に進めば彼女の居場所に辿り着けるかもしれませんね」





 カレンさんは二刀流なのか。彼女がすごい剣士であったり、ラナさんが伝説級の魔法使いだったりと話には聞くが、私はその姿を一度も目にしていない。魔物といつ遭遇するかわからない今の状況でも、彼女たちの戦う姿は想像できなかった。




 サージェ氏が「魔物の死体」と言っていたので、足元にはあまり目を向けないようにして歩を進める。できることなら目にしたくない。幸い()()は私の視界には入らず、不快な臭いなどもしなかった。





 ここからは手持ちのランプが頼りになってくる。それでもサージェ氏はまったく躊躇う様子を見せずに通路を進んでいった。




 しかし、彼は突然その足を止めた。先に行くな、という意思表示なのか、右手を横に広げて道を防ぐ動作を見せた。





「この先……、います。恐らく数は1、自分が斬り込むのでランギス様は周囲の警戒を続けて下さい」




「わかりましたよ。ラナさんもスガさんも念のため注意を怠らないでくださいね!」





 会話の流れから、この先に魔物がいるとわかった。鳴き声でもするのか、息づかいでも聞こえるのか、残念ながら私にはなんの気配も感じ取れない。




 サージェ氏は左手に持っていたランプをゆっくりと地面に置き、それと同時に弾かれたように正面へと走り出した。その時、闇の奥から「なにか」がこちらに迫って来るのが見えた。





 私は目を疑った。




 サージェ氏は振り下ろされた刃を身体を反らして躱した。間をおかず、彼は両手で握った剣を右から左へと一文字に流す。残身は、左手の小指から中指までの3本と親指の付け根だけで緩く剣を握って振りぬいた姿だった。




 「鮮やか」の一言に尽きる動きだ。彼の一太刀は相手の首と胴体を見事に切り離してしまった。




 ――問題はその「相手」だ。




 なんと形容したらいいのだろうか。




 大きさも形も紛れもなく「人間」だった。




 そして私は、ラナさんが言っていた「真っ黒」の意味をここでようやく理解する。




 黒い水……、「墨汁」と例えるのが正確なのか、人の形をした墨汁の塊。




 それが私の目にした「まもの」の姿だった。しかも、このまものは人と同じように手に剣を握ってサージェ氏に斬りかかってきたのだ。


 サージェ氏はもちろん、ラナさんもランさんも驚いた様子はない。恐らく「まもの」の姿はこれが皆の共通認識なのだ。




 知らなかった私だけが驚いていた。




 ただ、不思議と「首を斬り落とされる」瞬間を見たにも関わらず、吐き気もなにも襲ってこない。




 きっとあまりにもこの「まもの」の姿が無機質だからだ。




 例えるなら、人型をしたロボットの首が取れた瞬間を見た感じだ。きっと私の脳内は、今の状況をそのように捉えているんだ。




 人の形をした黒い「なにか」。




 それも私たちと同じように武器を握って襲ってくる。まるでそこに意思があるかのように……。これが「まもの」なのか。私の想像とはあまりにかけ離れていた。





「いやー、さすがですよ。サージェくん! 僕が剣を握ってもこう鮮やかにはいきませんからね」




「カレン様の指導の賜物です。ランギス様もまだ油断しないでください。気配はありませんが、まだ近くに潜んでいる可能性はあります」




 サージェ氏は矛先を正面に向けてあたりの様子を窺っている。それは後ろのランさんも同様だった。




 数秒してサージェ氏は、音で聞こえるほど大きく息を吐いた。どうやらまものはもう近くにはいないらしい。全員の緊張がほぐれた瞬間だった。





「ここからは気を引き締める必要がありそうです」





 サージェ氏は地面に置いたランプを拾って再び前へと進み始めた。私はその後を追いながら倒れているまものの姿を確認した。切り離された首と胴からは、まさに「墨汁」というような黒い液体が流れ出ていた。




 それを見て吐き気をもよおしたが、なんとか堪えた。目から涙が少しだけ滲み出る。




 今はカレンさんを捜すことに集中しなければ。まものの姿・形なんてどうでもいい。理屈ではわかっているつもりなのだが、あの姿は私の脳裏に焼き付いて離れないものになってしまった。

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