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幸福の花は静かに笑う  作者: 武尾 さぬき
第3章 友達
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第10話 黄昏の追憶(後)-3

 1年目に様々な店舗をまわって働いた私だが、2年目になるとほぼ固定で同じ店の中で働くようになった。大手家電量販店で有名ブランドのケータイ電話を販売するのが主な業務だ。ここでも安定した販売実績を残して、会社からもお店の従業員からも信頼される人間になっていたと思う。





 ところが、3年目に入って試練が訪れた。所属している店舗で求められる実績は前年比110%以上、というもの。つまりは昨年の自分の実績の1.1倍必要なわけだ。




 仕事に全力を注いできた去年の自分の実績は手強かった。




 去年以上に経験を積んだ私であっても、同じくらいならまだしも、さらに10%乗せるのは簡単ではない。しかも、それを一時的ではなくずっと維持しなければならないのだ。




 仮に今110%が達成できたとしても来年もここで働いていたなら、さらにその10%増が求めらる。先を考えれば考えるほど過酷な条件だった。




 私は、求められる実績が多くなるほど徐々に「提案営業・販売」と「押し売り」の境界を越えるようになっていた。




 案内した商品が明らかに不要、とわかっていても、押しに弱そうなお客、とわかれば遠慮なく話を続けて強引に契約まで持ち込むようなことをした。


 本来なら1つ買えば受けられる割引を、2つ3つと買わないと受けられないような話をして、複数買わせたりもしていた。




 良心の呵責に苛まれながらも、「他の人だってやっている」、「会社や店舗の利益につながる」と正義感を捻じ曲げてこうしたやり方を続けていた。


 同時に働く時間も長くなっていった。お店の開店から閉店までずっと働くようになり、実績はなんとか伴っていたものの身体に疲労がたまり、精神的な余裕も失っていった。





 そんなある日、正社員登用試験の話がまわってきた。社内での実績とは別に筆記試験があるらしかった。


 私はこのチャンスを絶対にものにしようと、休みの日や仕事が終わった後、家での数時間を勉強にあてた。




 時期を同じくして、ヤスからよく仕事の相談で電話がかかってくるようになっていた。私が今、仕事で苦労しているように彼は彼で苦労しているようだ。環境や境遇は違えど、同じようにがんばっている仲間がいるのは励みになった。





 ただし、それは最初のうちだけだった。




 ヤスからの電話はいつしか夜遅くに毎日かかってくるようになっていた。毎日の残業による仕事の疲労、必要な実績に届くか届かないかのギリギリにいるプレッシャー、空き時間は筆記試験の勉強をしなければ、という焦り……、いろんなものが積み重なって私はヤスの電話を無視するようになってしまった。




 一度電話のコールを放置すると、次に出るのが気まずくなり、繰り返すうちに彼からの電話をまったくとらなくなっていた。





『筆記試験が終わったら謝ろう』





 私は自分にそう言い聞かせていた。「寝ていた」と嘘をついたり、「気づかなった」などと簡単な弁解をスマホの会話アプリで返していた。


 1週間くらいだろうか、そんなやりとりをしていたら、彼からの電話はかかってこなくなった。心が少し痛んだが、「仕方ない」と割り切ることにした。




 しばらく時が流れ、正社員登用の筆記試験の日がやってきた。試験のレベルは特別に高いと感じるものではなかった。


 だが、同じ試験を受けていた人間が口を揃えて「難しかった」と言っているのを聞いて、事前にしっかり勉強していたのがよかったのだと思った。




 周囲の反応とは裏腹に、私はかなりの手応えを感じていた。これなら筆記でおちることはないはず。社内の実績でもおとされる要素はない。ここまでくるのは大変だったが、ようやく正社員になれるのかと思った。


 同時に、ヤスに電話してしっかりと謝らないといけないとも思った。





 試験の終わった夜に電話をするとヤスはすぐに出てくれた。私が電話を無視してしまったにもかかわらず、『こちらこそ夜遅くに何度もごめんよ』と逆に謝られてしまった。




 この日は久々に長電話をした。




 正社員登用と筆記試験の話をすると彼はとても喜んでくれた。




 帰宅後の勉強がなくなり、とても解放された気分だった。




 仕事での実績は相変わらずで、前年比110%の壁は厚く、大変な日々はこれからも続きそうだ。それでも家にいる時間に、なにかに追われるような感覚がなくなってとても清々しい気分だった。

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