黒狼戦②
第二ラウンドの火蓋は切られた。
私を視認したソレは、一度唸りを挙げた後、大きく踏み込んで来た。鋭利な爪牙が再び振るわれる。今度は反応できたので、身を捩って、それを回避する。攻撃直後の一瞬の隙を逃す訳には行かない。
私は、ナイフを逆手にして持ち、ソレの眼球目掛けて両手で押し込む様にして、突き出す。だが、その攻撃は予想外の方法で防がれた。
黒狼が一度、大きく吠えたのだ。その咆哮は大きく空気を振動させ、私は踏み耐えられずに、後方へと吹き飛ばされた。
ぐるっと、身体が一回転するが、私は受け身を取って着地の衝撃を緩和した。
「あ、危なかったぁ~」
安堵する様にため息を吐く。着地どころが悪ければ、骨の一本は折れていたかも知れない。最悪の場合は頸の骨が折れてあの世行きだ。メドゥーサちゃんとの特訓が活きた。
だが、安心するのも束の間。次の瞬間、顔を見上げた私は、こちらに向かって肉薄する黒狼の姿を捉えた。その口元からは何か黒い気が蓄えられており、危険な何かが吐き出されそうに見えた。
――まさか……!?
これは不味いと思って、攻撃態勢を解いて回避を選択する。だが、その一瞬の反応遅れが命取りであった。先に繰り出された爪牙は回避する。その瞬間、後ろに跳躍する。だが、黒狼もそれを読んでいたようで、私の回避に合わせて、口中に蓄えられていたそれを、吐き出した。私の、黒炎に似た漆黒の炎が、躱しきれなかった私の左足元に付着する。
「うぐっぁああぁあっっ……!!」
それはそのまま燃え広がり、激痛となって私の左足を焼き尽くした。
――ぱたっ、
激痛が止んだ頃には私の左足は、喪失しており、片足の支えを失った私はそのままその場に倒れ伏す。
「ああぅっ、うぐぁ、い、たい、、、」
ジンジンとした痛みが後からも襲い掛かってきた。喪失感と共に、激しい絶望感に苛まれる。
失った片足を抑えながら悶える私だが、頭上を見上げなくても、悠々と歩み寄る死の足音から、ソレが迫ってきている事は分かった。
――ここで、終わるの?
思わず涙が零れそうになるのを、寸での所で抑える。そして、思い出したのである。いや、思い出させられた。
――ここはゲームの中では無く、現実なのだと。
途端、これまでに感じた事の無い程の恐怖が襲い掛かってきた。同時に、身を呪い殺す程の後悔が。
――ゲーム感覚で甘く見過ぎていたんだ。
当然の事に今更気付く。死に直面した今、やっと。
頭上を見上げる。こちらを見下ろす冷徹な視線の黒狼と目が合った。その瞳には凍える様な闘志と共に、もう一つ。確かな恐怖が滲んで見えた。
――気付くのが遅すぎたんだ。
この黒狼は、野生という名の常に命賭けの環境で生きて来た。自然では何が起こるか分からない。虫の様に見下していた存在が、いつしか自分を狩る側に回っている事も珍しくはない。当然の様に、弱肉強食が広がる環境で生きて来たこの黒狼にとって、たとえ一見弱そうに見える私であろうと、油断する材料にはなり得なかったのだ。
文字通り。命賭けの命の奪い合い。だが、対して私の方は所詮ゲーム感覚で、淡々と俯瞰的に眼前のこれを処理しようとしていただけに過ぎない。
そこに在る命と、そこに在るだけの人形。
その感覚が、勝敗を分けた。そして、私は今更になって自覚する。
――私は、今此処に、【アリス】という個人として生きているのだと。
そして――死にたくないのだと。
途端、黒狼は大きな牙を覗かせながら、その口を開いた。
「強き、ニンゲンよ。ワレの勝ちだ。死ぬ前にワレの問いに応えよ」
威風を見せ、ソレは私を見下しながら言った。
そして、私は敗北を悟ると共に、恐怖とも後悔とも違う、醜い感情に苛まれた。
――敗北感からくる……激しい屈辱である。




