白狼の森②
巨狼の足跡を追って一刻。生い茂る草木を抜けた先には、広い空き地があった。足跡はここで途絶えている。周りを見渡しても、静寂があるだけでした。
何となく辺りを警戒していく。だけど、360度見渡した所で、異変らしき何かは見当たらなかった。
「……これは、なんだか罠に誘き寄せられた気がしますね」
訳が分からない。巨狼は間違いなく私を誘い込んでいた様だった。なら、その本人は何処へ……?
「嫌な予感がします」
いつぞや口にした様な言葉を吐く。自慢では無いが、私の勘は良く当たる。
――と、自分では思っている。
どの道、知らない場所に一人。それも、傍から見れば無防備な少女が、武器を携帯せずに呆然と立っている。野生の肉食動物からすれば恰好の獲物だった。
――いつ、何が、どこから襲ってきても可笑しくはない。
気配察知。つまり、敵の居場所の探知はメドゥーサちゃんを相手にするのに一番必要な技術だった。それを鍛える過程で、基本として教わったのは、狩る側の視点。そして、狩られる側の視点から考える事だった。
今の私は狩る側の視点から見れば、飛んで火にいる夏の虫の様なものなのだ。
――ざわざわ。
木々が騒めく。羽虫の喧騒が止む。巨大な何かが、足音を立てた。
……グルウルルウァ
餓狼の様な唸り声が、木霊した。それに反応して、私は素早く臨戦態勢に入る。
「…………どこ?」
吐き捨てる様に呟く。それに返答が返ってくるはずがなく、緊張感だけが増していった。
先手を打ちたい。だが、相手の居場所が分からない。地の利も向こうにある。一手目は防御に回るしかなかった。
一歩下がる。また、一歩。三歩下がった所で、それは動いた。
――後ろからだ。
先手必勝。私は、咄嗟に身を翻して、膝裏に隠していたナイフを鞘から抜き取った。そして、姿を視認すると同時に、ナイフを投擲する。麻痺薬の塗られたそれを。
だが、ナイフはソレに届く事無く大きく開けた顎で嚙み砕かれ、ぽろぽろと欠片となって落ちていった。
そして、ソレは巨大な爪を携えた腕を振り被ったかと思いきや、素早く振り下ろした。私は、後ろに跳躍してギリギリの所で、それを避ける。
黒い一閃が空を薙ぐ。僅かに切り裂かれたメイド服が、ひらひらと宙を舞った。
危機一髪の回避だった。恐怖が加速する。
だが、それ以上に。
「……許さない!!」
怒りが先行した。
「よくも私の一着しかない大事なメイド服をッ!!」
しかし、怒りに任せて我武者羅に攻撃する程、私は愚かでは無い。
(先ずは、距離を取って様子を見よう)
私は大きく後ろに跳んで、距離を取ろうとした。だが、当然。黒い毛並みのソレは、獲物を逃すまいと肉薄してくる。私は、地魔法でその足元を揺らして、それを妨害した。
踏み込みが浅かったソレは、私との距離を詰めきれず、微妙な位置で勢いが切れて立ち止まってしまう。その全身が、月光に照らされて露わになった。
先程の白銀の狼に負けずとも劣らない、巨躯に逞しい顎。逆立つ黒い毛並みは、夜を纏っているかの様だった。
「……これは厄介な相手になりそうですね……」
苦笑染みた声を挙げながら僅かに仰いだ私は、その時、視線の遥か高みで白銀に煌めく毛並みを見た。
――さっきの白銀の巨狼だ。
それは、こちらを睥睨しており、私の視線を感じたのか、また身を翻しては去って行ってしまいました。
「――あいつ、やっぱり私の事嵌めやがったな!! うがあっ! 許さないぞ! 目の前のこいつをやっつけたら、絶対その毛を毟りに行くからな!」
そんな覚悟を胸に抱えながら、私は再び、眼前の脅威に向き直った




