最も恐ろしい事② side. ルルカ
「おい、お茶を淹れてこい」
部屋に入室して早々、我が物顔の様に振る舞い始めたキリカナンが、メイド長にそう言いました。なんと不遜な。とは心の声に留めたメイド長が、速やかに用意してあったお茶を持って来て、キリカナン、私の順番でお茶が入ったコップを差し出します。
流石は我が家のメイド長。用意が周到です。客人が御見えになる頃にはいつも既にお茶が用意されてあるのです。客人への持て成し精神も携わっており、私より先にキリカナンの方からお茶を出した点も誇らしいです。
そんなメイド長の手腕を見たキリカナンが、
「ふむ」
と感嘆の声を漏らして、そのまま出されたお茶を口に含みました。
「ほう、悪くない。そこのメイドの貴様。名は?」
そして、彼にそう問われたメイド長は神妙な面持ちで答えました。
「不肖なる私めに姓はありません。名を、ジゼルと申します」
えっ? メイド長ってジゼルという名前でしたのね。 私が生まれる頃から既に屋敷で働いてた方ですのに、これまで名前を存じ上げませんでしたわ。
隣にいるアリスも初めてその名を聞いたのか、驚いた様な顔をしていました。
しかし、キリカナンは少し失意を浮かばせながら続けます。
「ふむ。平民の出か。だが、腕は悪くない。貴様、俺の屋敷でその手腕を振るう気は無いか?」
「なッ!? 無礼です! 他の家のメイドを勧誘するだなんて……!」
思わず叱責の声を上げる私ですが、それを諫める様に静めたのはメイド長ジゼルでした。
「申し訳ございません。不肖ながらも、私めはお嬢様のお世話を全面的に任された身です。そして、公爵家に固く忠誠を誓った身ですので、その忠義を損なう言動は神に誓って致せません」
「ほう。忠誠心まで一流か。つくづくこの女には勿体ない人材だ」
それだけ言って、キリカナンは漸く興味が失せた様に、ジゼルから目を背けました。私は、ご苦労。と一言だけ言ってメイド長を下がらせます。
それから、彼の話が始まりました。
最初に私の方から御用件をお訊ねすると、返しにキリカナンが放った言葉は、衝撃的なものでした。
「第一王子アルシェード様の御姿が見えないのだ。貴様なら何か知っているのでは無いか?」
そんな言葉がキリカナンから紡がれます。私は一瞬『アルシェード』の名を聞いた事で顔が顰めるのを感じますが、直ぐに表情を戻し、怪訝な態度で問い返しました。
「……えっ? アル……シェード様が? いない? 家出とかでは無いのですか?」
家出だなんて我ながら子供ぽいとは思いますが、本当にあの日以降のアルシェード様について何も知らない私はそうとでも捉えるしかありませんでした。
それから、キリカナンが言うには王太子アルシェードは廃嫡されたという噂が王宮内にて流れているとの事でした。
私は僅かに違和感に襲われます。それ程の大事であるなら、公爵家令嬢である自分に情報が渡っていないのはおかしいのです。
しかし、キリカナンの切羽詰まった様子からも、彼が嘘を吐いているとは思えませんでした。
私はその時、なんだかふと、隣に立っているアリスが気になって彼女の方に覗う様な視線を向けると。彼女はビクン! と大きく肩を震わせ、私から目線を逸らしました。
彼女の様子に違和感を覚えますが、その正体が掴めなかったので、私は諦めてキリカナンの方へ視線を直します。アルシェード様については何も分からない。と頑なに断る私に対し、キリカナンは執拗に何度もその所在を聞いて来ました。
「……アルシェード様を匿っていたりは?」
なんて彼が言った時には寒気にも似た感覚が身を擽り、思わず身震いしました。
――あり得ないでしょう? 私が、彼と同じ屋敷で就寝を共にするだなんて。
その様子を見て、キリカナンは悪びれずに言葉を重ねました。
「ふむ。それもそうだ。貴様の様な醜悪な女の所にアルシェード様が来るはずが無い」
それを言われた時、私は自分を侮辱された怒りよりも、キリカナンに向けられた冷徹な視線が恐ろしくて……正直涙を堪えるので必死でした。
――あの時の視線ですわ。忘れもしない、あの断罪の時の――
そして、そんな私の心情を知ってか知らずか。畳みかける様にキリカナンは告げたのです。
「アルシェード様がこちらにいらしゃらないのは分かった。そこで、本日はもう一つ要件があって来た。ミッドナイト家長女、ルルカリアよ。私は本日、貴様との婚約を打診しに来たのだ」




