クソメガネの来訪②
ローズの香りが漂う一室で、三人の男女が対面している。二人は女性。というより、少女の年代。もう一人は、歳でいうと18歳で二人の二個上の片眼鏡をかけた男。
前者の片方の赤い少女は、ミッドナイト家を象徴する月下香の意匠が施された豪奢なソファーに腰掛けており、ピンと張り巡らされた背筋からは高潔な美しさが感じられる。
そして、もう片方のメイド服を着た少女は、腰掛ける事など許される身分では無く、赤の少女の傍に立ち尽くしていた。
本当はこのメイド服を着た可憐な少女が、元は男性であり、この国の第一王子その人だと知る者はこの場にはいない。
そして、二人の少女の対面に腰掛けるのは後者の片眼鏡の男。その表情からは、僅かな不満が除いており、あからさまに不機嫌であった。
「それで、話とはなんでしょうか? キリカナン様」
私のお嬢様。ルルカリア・ミッドナイトが口を開ける。
キツめのその口調の裏には、メイドの私しか分からない、対面している相手への畏怖が込められていた。事実、キリカナンを前にしてから、お嬢様は震えていらっしゃる。私の知る悪役令嬢は、もっと高飛車な態度のお方だったはずですが、一体どうしたのでしょうか?
お嬢様に問われた片眼鏡の男——キリカナンが口を開いて静寂を破った。
「いつまで、白けるつもりだ? ルルカリア。王宮での噂ぐらいは聞いているであろうに」
ん? 王宮内の話題? 何だか嫌な予感がしますね。
「……はっ? 噂ですか? すみませんが何も存じ上げません。何かあったのでしょうか?」
お嬢様が怪訝そうに訊き返すと、キリカナンは一層怒りを滲ませて強張った顔で返した。
「ふん! 白々しい! 貴様が婚約破棄を言い渡してから、第一王子アルシェード様の御姿が見えないのだ。貴様なら何か知っているのでは無いか?」
……これ、私の話題ですよね。あれ、母上が穏便に解決してくれたはずでは? もしかして、嫡廃された事って未だ広まってない?
「……えっ? アル……シェード様が? いない? 家出とかでは無いのですか?」
「そんなバカな事があるか! 第一王子だぞ! そんな責任放棄染みた愚行を犯すはずが無い!」
……あははー。責任放棄したんですよねーそれが。
「しかし、気になるのはその第一王子が廃嫡されたという、王宮内での噂の事だ。だが、私とて簡単には王宮内に立ち入る事は出来ない。そのため、真偽の確証を得られずにいる」
彼は、友の所在を求めて、元婚約者であるお嬢様のところにいらした。という事でしょう。それとも単に寄生先の王族が居なくなって焦っているだけか。
どのみち、このまま話題を拗らせてはいけませんね。どうにか話を逸らさせないと不味いです。しかし、メイドの私は許可無く口を開いてはなりません。
「だから、事実を求めに私も元へ? でしたら、残念ですが私はその件とは無関係にあります。王宮内の噂というのも、これが初耳でした」
公爵家の情報網を以てして、王宮内の噂程度も流れて来ないのはおかしな事だ。だが、お嬢様が私の件の事を知らなかった理由は存在する。
それは、私が直々に母上と協力してミッドナイト家にだけには、決して情報が渡らぬよう、緻密な情報操作をしていたからです。
理由はお察しの通り私の正体を
アルシェードと結び付けさせない為でしたが、まさかこんな事でお嬢様に情報が渡ってしまうなんて。
「そもそも……アルシェード様が……廃嫡ですって? 何かの間違いでは無いのでしょうか?」
そう言いながら、僅かに鋭い視線を私の方へと向けてくるお嬢様。
——ドキッ!!
その視線はすぐにキリカナンの方へ戻されましたが、眼を向けられた私の心臓が飛び出そうになった事は言うまでもありませんね。
案の定。お嬢様がアルシェードの話題に噛み付いてしまいました。
——さて、この状況。一体どう致しましょうか。




