野球の神様 ~世界征服編~
日本の国には、昔からたくさんの神様たちがいらっしゃいます。山の神様、お酒の神様、さらには学問の神様や笑いの神様などなど。これは、そんな神様たちの一人、球子と名乗る「野球の神様」の物語です。
吉田が家に帰ると、窓ガラスが割れていて、バットを持った少女が部屋に入り込んでいた。
「……えーと、とりあえず聞くが、お前は泥棒の類か?」
吉田がそう落ち着いていられたのは、ひとえに少女の容姿にあった。少女といっても幅広いが目の前に存在するのは、十歳前後のおかっぱ頭の女の子だった。手にした金属バットと割れた窓ガラスがなければ、とても強盗には見えない。
もっとも最近は子供に犯罪をやらせる親がいると聞くが。
「いいえ。大暴投っすね。球ちゃんは泥棒じゃなくて、神様なのっすよ」
少女はバットを畳の上において、胸を張って答えた。……なるほど、可哀そうな子だったのか。
けれど吉田は同情する気にはなれなかった。割れた窓ガラスを大家にどう説明すればいいのか。それ以前に、今日はこの後、彼女が遊びに来るというのに。
吉田の視線に気づいた少女は、悪びれた様子もなく答えた。
「大丈夫っす。雨が降れば降雨ノーゲームっす。なかったことになって窓ガラスは元通りっすよ。午後の天気予報が雨だってことは、球ちゃんちゃんと研究済みっすよ。ただ、降るのが遅れて五回成立するとアウトっすけど……」
「わけわからん」
ただ、この女を家から追い出さなければならない、ということは、なんとなく理解した。
「雨が降るんなら早くお家に帰るんだな。お母さんが心配するぞ」
少女の腕をつかんで、部屋の外に出そうとしたら、抵抗された。
「まぁいいじゃないっすかぁ。ほこらに誰も来てくれなくって、暇なんっすよぉ。しかも雨っすよ。ドームじゃないっすし、寂しいんっすよ。かわいい女の子が遊びに来てくれて、お兄さんも嬉しいっすよね?」
「いや、別に。俺彼女いるし。ロリコンじゃないし」
言ってやると、がびーん(っす)と、少女はショックを受けたようだ。可哀そうだが仕方ない。なんて思っていたらあっさり復活したようだ。
「分かったっす。ならば早く願い事をかなえて帰るとするっす。なんてたって球ちゃんは野球の神様っすからね。なんでも野球の力で解決っすよ」
いや、とっとと帰れよ。
吉田の心中お構いなしに少女は尊大に言った。
「さぁなんでも願い事を言うっす」
「じゃあ帰ってくれ」
「…………」「…………」
「えっと、球ちゃん、ブロックサインじゃないとわからないっす。てへ」
わからないのはこっちの方だ、と吉田は内心毒づく。
まぁせっかく、願い事かなえてくれるって言うのだから、からかい半分に、自らの願望を伝えてやった。
「じゃあ世界征服」
「お安い御用っす」
ためらいもなく少女は答えると、右手を掲げ「隠しバット」と叫んだ。
フラッシュをたいたような光。吉田は一瞬目をそらす。再び少女に目を向けると、いつのまにか少女の小さな右手に黒い木製バットが握られていた。窓ガラスを割ったやつは畳に置いたままだ。
そのバットで世界中の人間を殴り倒せ、というつもりじゃないだろうな。手品には少しだけ感心したけれど。
「で、これでどうしろと」
「バットの一振りで世界一になるっす。WBC決勝のイチロー選手のように――」
「それは一部の競技の世界一であって、世界征服じゃないだろ」
「なっ、せっかく球ちゃんがボケないで本気で提案したっすのにっ」
ボケって何だ、ボケって。
「ならば球ちゃん、全力投球、本気だすっすよ。隠しバットっすっ!」
また別のバットが出てきた。
「で、今度はこれでどうしろと?」
「これで世界中の政府の重要人物」
「――を、たたき殺すのか?」
少女はショックを受けたかのように固まった。
「何言ってるっすか。バットで人を叩くなんて。神の道にも人の道にも外れまくってるノーコンっす。話は最後まで聞くものっすよ」
「で?」
「これで政府重要人物が厳重に保管している赤いボタンを叩くっす。まさに世界征服っすね」
「爆弾のスイッチ押すのは、バットじゃなくてもできるだろ。そもそも、世界がなくなったら征服しても意味ないし」
隠しバット。
「どこかにある、なんかしめ縄が巻かれた石をフルスイングでたたき割るっす」
「確かに魔王とか出てきそうだけど、それじゃ征服するの、俺じゃないだろ」
隠しバット。
「このバットを、手にしたものは世界中の富と栄誉を手にするだろうという伝説が……」
「さっきのバットと同じもんだろ。ていうか、魔王つながり?」
いちいち突っ込んでやる俺も律儀だなぁと思う。そもそもバットを代わり変わり出す必要あるのか、一本のバットを使いまわせばいいのに。――単に手品を見せたいだけか?
しかしさすがに疲れてきたのか、少女は隠しバットとやらをやめて、大きく息をはいた。
「……仕方ないっすね。最終手段っす。お笑い的にはあまり多用するなと、おとーさんに言われてるっすけど。しかし、これがないとプロ野球記録の一イニング5三振は成立しないんっすよ」
意味がわからんが、気になる単語が出てきた。
「……親父がいるのか?」
「当然っす。ちなみに『笑いの神様』やってるっすよ」
「……なんかなぁ」
脱力する吉田を前に、少女はまたバットを取り出した。そして今度はボケ(?)を出すこともなく、身長と大差ないバットをふりかぶったまま真剣なまなざしで、吉田に向けて突進してきた。――え?
「最終手段、振り逃げっす!」
吉田はぼんやりと振り下ろされるバットを見つめていた。
――さっき、神の道に外れるとか言ってなかったっけ?
数時間後。突然の雨に服を濡らした吉田の恋人がアパートに訪れた。そこで、頭に漫画チックな大きなたんこぶを作って倒れている吉田が発見された。
吉田は、命に別条はなく――というより、単に眠っているだけのようだった。その証拠に、楽しい夢でも見ているのか、幸せそうな顔をして寝言をつぶやいていた。「はっはっは。われの言葉を聞け、愚民どもよ」
ちなみに、窓ガラスは何事もなかったかのように、傷一つなかった。
また、野球と言いつつバットだけになってしまいました(笑)
次回は、違ったかたちで、活躍できればと思います。