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じいちゃんの直筆の履歴書には、すごいことが書かれていた。


毛筆で書かれた履歴書がある。

・・・漢字が旧漢字。縦横が綺麗にそろっている。


ざっくり読みとく。

現代風に、論文にあるような著者略歴のように書くと、こんな感じである。一部は筆者が加筆した。


大正5年 東大農学部農芸化学化卒、鈴木梅太郎に師事。

大正7年〜昭和25年 熊本・宮崎にて農業高等学校にて教諭・旧制実業学校校長を歴任。

昭和3年 勲六等瑞宝章受賞

昭和5年 恩師土井晩翠・同郷の岡野貞一に作詞作曲を依頼、宮崎県立宮崎農学校の校歌制定に尽力

昭和19年清心女子大教授(化学)昭和25年学制改革により退職。 

専門は農芸化学・化学一般。晩年は藤沢で過ごす。明治23年生まれ、昭和43年没。


この履歴書の日付は昭和26年(1951年)。ほぼ半世紀にわたっての記述である。


特にやばそうな事項以外はそのまま掲載する。

雰囲気をだすため原文ママで記載してみる。 こんなの見る機会はめったにないと思う。


履歴書


 西江直廣

   明治26年10月20日 生まれ

   本籍 岡山県倉敷市******番地


大正2年*月  第二高等学校予科 卒業

大正5年    東京帝国大学農科大学 農芸化学科 卒

大正7年    熊本県立熊本農学校 

(中略)

昭和2年    宮崎県立宮崎農学校 校長

昭和7年    宮崎県立高鍋農学校 校長


・・・・(後略)


この物語を描いている私(以下、気ままに小職と書く)は、昭和37年(1962)生まれの直系の孫。ペンネームは「すみのり」


あれ? この履歴書を書いた年齢は・・・今の私とまったく同じ。

あれ?? じぃちゃん寅年ね。72歳差。 たしか、寿子ばぁちゃん、明治32年生まれだったな。え?ばぁちゃん、亥か。 あれま、私の女房と同じ。。。? え? まさか、同じ9歳ちがい。。んだんだ。


孫である小職、馬鈴を重ね還暦を迎えてしまった。普通に就職するもスピンアウトし、専門職で生き延びてきたこともあって、還暦を堺とする再就職は切実な問題なのである。


しかし、あるキッカケによって、小職の運命は大きく変わることになる。


(第1章) いざ日向路へ 


九州ツアーに出発することになった。 

工程はひととおりOK。 最初の1週間の宿は、ぽちっとなを完了。

距離は片道1200kmあるので、岡山を中継。


すみのりは、愛車レガシーのエンジンをかけ、一路熊本にむかうのである。

ターボ車ゆえ、エンジンオイルも新品にしておいた。

高速巡航も悪路もこなせるツーリングワゴン。ただ・・・マニュアル5速でクラッチはやたら重い。

燃費はいわずもがな。マフラーは「フジツボ」。


いざ出発。


目的地は、じぃちゃんが奉職した職場である、熊本・宮崎・高鍋。 

そして、中学校時代(もちろん旧制)を過ごしたであろう、延岡や五ヶ瀬川を登ったところにある、延岡市北方町槙峰。芭蕉ではないが道祖神の招きなのか。。。


ついでながら、旭化成の電力網についても現地視察しておきたいし。。。

従姉妹によると、私は祖父譲りの学者肌にみえるらしい。呼吸器が弱いところ、少々ぐっしー(岡山弁:とろい)ところは家系のDNAなのか。


ふと思い出すと、わたしの親父の兄妹6人、みんな九州生まれ。一族はほぼ純粋な岡山県県人なはずなのに、

どうしてなんかなぁ。すみのりの好奇心は尽きないのであった。


この九州ツアーに至った流れを説明したい。少々長いが容赦願いたい。


2011年、じぃちゃんの娘(次女)つまり私の叔母が急逝した。遺産相続の処理が必要になったのであるが、個人は独身であったため遺産は兄弟に相続される(第三順位という)。ところが兄弟6人で生存しているのは3人で、みな90オーバーのスーパー高齢者。 必然的に小職にその処理の役目がまわってきたのである。


この第三順位の処理は非常に面倒である。故人を基準に、父母・祖父母(第二順位)、兄弟姉妹全員(第三順位)、の戸籍が必要で、「異母/異父兄弟」の存在/非存在についても証明しないといけない。 ところが、故人の叔母は大正10年生まれ。祖父母は・・・ 私の幼少の記憶をたどると、「西江直治郎」は知っているが生年月日や死亡年月日なども、全く知らない


市役所を周り、なんとか全員の戸籍をとる。関係者は;


父方:祖父母、母方:祖父母、 父母、 ・・・兄弟6人、本人の除籍。 

叔母のうち1名は健在であったので、祖父の戸籍は現役であった。

ところが小職の父(兄弟の末っ子)はすでに故人となっており、「代襲相続」なるものが発生する。私と弟の戸籍も追加。 合計***名の「戸籍の束」ができあがったのである。


愚痴をいうと、直系尊属・卑属の戸籍は、比較的容易なのであるが、傍系や、叔父叔母になると、役所に申請する際に「申請者・戸籍筆頭者・必要なもの」、さらに「用途・提出先」がより厳しくチェックされる。

そろそろバレるかもしれないが、小職と書いてはいるものの、法律関係ではない。。。ま、とある士業と説明しておこう。小職を堂々と名乗る資格をもっていれば、職権で楽に処理できたはずなのだがしかたない。


相続対象となる預貯金は2件ある。戸籍の束を毎回提出ではでは、相手方の金融機関も大変。法務省で「法定相続証明」を作成すると、金融期間にはこの証明書を提示するだけで戸籍の束から開放されるのである。


ところが、ここで思いもよらなかった事実が判明した。


相続は難航する   (続く)




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