どんぐりの芽吹き3
「中川と菅原と何かあったんでしょ?」
教室についた途端、強烈なボディブローが飛んできた。
思わず息をのみ、一歩入ったところで立ち止まってしまう。
見ればほかに誰もいない教室の一番後ろの窓際に、じっとこちらを見つめる光枝が静かに立っている。
どこか緊張感のある佇まいで、嘘は許さないとでもいうような、聞いたことのない冷たい声だった。
まるで知っているかのような断定した言い方じゃないか。え?居た?見た?どこから?
あの時はエアポケットに落ちたみたいに周りに人影はなく、3人だけがそこにいたように思ったけど……?
第一、あの周到そうな中川が、人目のあるところであんなことをするだろうか。
噂になれば、菅原が傷つくかもしれないのに。教室ではそうならないために、注意を逸らす策を弄したじゃないか。いや、そもそも教室ですんなって話だけどさ。そして、俺の前でもすんなって話だけどさ。
「駐輪場で何があったの?」
黙っている俺に焦れたのか、光枝か言いつのる。
人物も場所も特定済みか、千里眼?推理力はんぱねぇ。
けど、何があったといわれても、俺自身には何もないわけだし。ただ目撃者として動揺してるだけだし。クラスメイトのプライバシーをぶっちゃけちゃうのも人としてどうよ、とも思うし。
なんとなく顔を見づらくて、自分の席に座り、頬杖をつく。
「プライベートな事だから、言えない。」
光枝に背を向けたまま、そういうのが精いっぱいだ。
「……わかった。」
ひゃっ。真後ろで声がして思わずビクッとしてしまう。いつの間に移動したんだ。
静かな動きで光枝は俺の前の席に横向きに座ると、下を向いてスマホをいじりだした。
えっ、それ、俺のスマホじゃない?!
一瞬唖然としてる間に、光枝は目的のものを見つけたのか、ピタリと指が止まった。
「……ふうん、番号知ってるんだ……」
小さくつぶやき、おもむろに俺に画面を向けた。
「彼に聞いてみるよ。」
そこには、『菅原遥渡』の名が表示されている。
えっ、それはちょっと、
「止めろよ。」
スマホをかざす手首をガシッとつかむ。
思わず眉間にしわをよせる。
かわいそうだろ、菅原が。どっちかっていうと被害者に近いぞ。俺が隣にいたことにも気づいてないだろうに、間近でキスシーンを見られてたなんて、どんな羞恥プレイだ。
おまけに、絶対、動揺して関係ないことを口走った挙句、限りなく質問とかけ離れた答えで締めくくられる未来しか見えない。
スマホを握る光枝の手から、ふと力が抜けたように感じて、顔を見ると、
いつもの脳内世界を見る目になってる。
え?今?
何を考えているのか気になるが、とりあえず、逆の手でそっとスマホを抜き取った。
抵抗されることなくするりとそれは俺の手へ戻る。
光枝の腕を握っていた右手をそろりと外すと、今度は俺の手を光枝が握ってきた。
手の甲を包み込まれるようにギュッと力が入る。
目が合えば、しっかり焦点が俺にあっている。
脳内世界から帰ってきたらしい。
?目が合ってる、焦点もあってる、でもどこかぼんやりとして見えるのは何故だろう。
不思議な感覚に、吸い寄せられるように見つめあう。
「好きだ。」
はい?
「君のことが好きです。僕の恋人になってください。」
真っ直ぐに俺を見る瞳に、驚いた顔の俺が映っている。
……本日二度目の超展開に、俺はどう……今度こそどうすれば……
開けられた窓から昼間より少し温度を下げた風が廊下へ抜ける。
グラウンドを使う運動部の声が遠くに聞こえてくる。
校内のわずかなざわめきまで、しんと静まり返る教室ではよく聞こえる。
まるで、時が止まったみたいだ。
確かに流れている時が、大きな岩に分かたれて、その流れを二つに分けてまた出会う。
ああ、そんな歌があったな。あれだ、
『瀬をはやみ 岩にせかるる滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ』
俺たちはその岩陰に入り込み、時の流れから取り残されたようだ。
俺は光枝と目を合わせたまま、手を握られたまま、逸らす事も、振り払うこともなく、ただ見つめあい、手を包む温度を感じていた。
俺は対処法を知っていた。一度目を閉じて、情報を遮断する。
冷静になれ、見なければ、また流されていくものたちだ。
ひとつ、息をする間目を閉じて、ゆっくりあける。
ええと、告白されるような流れだったかな、なんかそういう雰囲気とかあった?
なんとか脳に仕事をしてもらおうと必死に考える。
もしかして、
「か、か…」
「からかってない。」
「の」
「脳内世界と間違ってもない。」
光枝の予測変換が優秀すぎる。
「じ」
言いかけた時、遮るようにぎゅっと手に力が入れられた。
机の上に置かれ、上から包まれていた片手が、こんどはしっかり両手で上下から包み込まれる。
「冗談にしたら変わらず傍にいてくれる?」
乞うような声音が俺の脳に響く。瞳の奥に怯えが見える。
握られた手は、離される事無く俺に熱をつたえづづける。
ふんわりと笑顔を作り、光枝の優しげな瞳が揺れた。
パタリ――…
「大丈夫、冗談だよ。ただの言葉遊び。」
ポトリ――…
「いつもの勧誘だよ。文芸部に入る為のテストみたいなものだ。」
パタタッ…
「君が何て答えるか、試しただけ―……」
少し早口にしゃべり続ける。
瞳から涙をあふれさせ、 笑顔を崩さず。
声も手も、震えているのに――…
――苦しい。体がぎゅっと中心に引き絞られるようで、息が止まる。
心臓の鼓動に合わせて、頭がガンガンと鐘を打つように揺さぶられる。
わかる。今、そんな思いを俺はさせている。俺を好きだといったこの男に。
裸の心を見せて、受け止められなければ、どうか見なかったことにして、
今まで通りで居たいと、尚も願う優しい人に。
俺の好きな人に。
俺はなんてバカなんだ。
戸惑いとか、迷いとか、プライドとか、すべての心のざわめきが一気に吹き飛んでいく。
まさにリミッターが外れたようだ。あとは暴走するばかりか。
嘘でもほんとでもいい。
一時の気の迷いでも、勘違いでもいい。
すべてを吐き出してしまいたいんだ。
――やるなら一撃必殺だ――
俺は握られた手を引き抜き、ガタリと椅子から立ち上がった。
席を立った俺に、拒絶を感じたのか、光枝はびくりと肩をすくめ膝の上でこぶしを握り、下を向いてしまう。
俺は光枝の前に立ち、ゆっくりとした動作で両手を下から掬い取り、指を絡めてしっかりと握る。不安そうに見上げる秀麗な顔を、見下ろしながら言う。
「泣かせてごめん。ちゃんと言うから、聞いて。」
ひとつ息を吐く
「俺はいつも、食べられない実にばかり惹かれてしまうんだ。どんなに欲しても欲しても、空腹は満たされることはないと知っている。それが解ってるから、いつもそっと実を置いて、目を背けてきた。簡単なことだ。素知らぬ顔で過ごせばいい。時が遠くへと押し流してくれるから。」
平穏なんて、臆病者の言い訳だ。
「でも、お前は違った。時がたつほど存在感が増していくんだ。」
「食べられない実の筈なのにしっかりした種があって、いつの間にか芽吹いてどんどん枝葉を広げて大きくなって、居心地のいい木陰を作って、すっかり根付いてしまった。もうとっくの昔にそこは俺のお気に入りの場所で、空腹でも、野ざらしで嵐に見舞われても、ずっとそばに寄り添いたい。ここを離れたくない。」
「そんな強い想いを俺はもう気づかないふりはできない。
今はもう、この想いが、すべての拠り所だ。枯れる事なく育つ想いが、心の全部を占めている。」
瞳を見つめ、そらさずに告げる。
「愛してる。出会ってから、ずっと。」
握りしめた両手にギュッと力を入れる。
「これから、先もずっと。」
呆然という風に俺を見る光枝は、予想通りの反応をする。
「ゆ」
「夢じゃない。」
「の」
「脳内世界でもない。」
次は何が来る。
「あ」
「愛してる。本当に。信じて?」
ズルいかもしれない。今まで散々逃げてきたのに、急に愛を信じろなんて、俺も大概ひどいことを言ってる。でも、本当だから。好きだから。臆病でごめん。傷つけてごめん。
もう目を背けない。今までこの愛から逃げるために使ってた時間を、この愛を守るために使うから。
どうか。
光枝は首を横に振った。
「僕は都合のいい妄想をしてる。目が覚めたらきっと独り、ここで泣いてるんだ。」
なるほど、きっとどんなに言葉を尽くしても、それはすべて自分の創作として処理されるんだろう。望む言葉であればあるほど余計に。
そんな風に臆病に追い詰めたのは俺だ。
ああ、こんなところで役に立つとは、お釈迦様でも思うまい―…
そしてこの方法を思いつき躊躇なく即実行できる中川は…なんて鬼畜で俺様なんだ。
「中川の気持ちが分かる自分が怖い。」思わずぼそりと口から洩れる。
本日3度目の衝撃の超展開だ。
けれど確実で、有効だ。
採用。
「分かった。夢じゃないって分かるまで、止めないから覚悟して?」
握った手を放し、ゆっくり腕をなぞり首を撫で上げ、頬を包み込む。
少し上を向かせると、たまっていた涙がツイッと目じりから流れ落ちた。
濡れた瞳の美しさと涙の罪悪感に胸がかきむしられる。焦燥に駆られるように目じりにキスを落とす。
流れた涙を追って耳にも、わざとリップ音をさせてキスする。何度も繰り返して。
光枝は放心したようになすがままだ。
まだ、これからだから。
五感のすべてに訴えかける。頬を合わせ熱を伝える。唇に触れる。ついばむように唇にキスをしながら、柔らかな髪を指で梳く。少し癖のある茶色い髪。俺のお気に入り。その髪にもキスしたくなって、自分の胸に押し付けるようにギュッと体を抱きしめる。髪に残るシャンプーの香りか、甘いにおいがする。
確実に俺の五感にも光枝が刻まれていく。
しばらく腕の中に体を閉じ込め、髪の柔らかさを堪能し、頭にキスを落とし、耳から首筋へ唇を這わせる。びくりと光枝が反応した。
首だな。
すでに目的が楽しむものへと変わっている気もする。
ふと気づく、首筋が赤い。耳も。
目を合わす。顔も真っ赤になってる。可愛い。
もう現実を認めてる?
もうひと押しさせて。
唇を重ねて、舌を這わす。入れてよ。
体がびくりと後ろへ下がろうとする、俺は両手を首の後ろで組み逃がさない。
まだまだ、これからでしょ。少し強引に唇を割り中へ入る。
「…ぁは、っんん…」
何か言いかけたのか、ずらした唇から声が漏れる。まだ、もう少しこのまま……
「んっ!かっ、神田!分かった、もう分かったからっ!!」
ついに体を押し戻される。
はい、終了~。ちょっと残念に思いつつ光枝を見つめる。
「もう現実だって認めちゃった?もう少し後でもいいよ?」
「うっ……」
すっかり現実世界の住人となり、戸惑ったり、喜んだりしている光枝を見てふと思う。
衝撃の超展開は、3度目にしてすっかり上書きされた。なんといっても五感に刻まれた感覚は強い。
恋愛の思考から逃げ続けた俺は、副作用ですっかり金持ちになった。もうアルバイトする必要もないし、これからは恋人と思い出作り放題だ。とりあえず、一緒にいる時間を増やすため、お勧めの魔境、文芸部にでも入るか?
これからのことをつらつら考えると楽しくなってきた。
とりあえず、ひとつ、思い出を増やしとくか。
「キスしていい?」
光枝が、おかしそうに少し笑った。
俺の好きな優しい笑顔。俺はまた一つ宝物を保存する。
今度はちゃんと名前を付けて、「恋人との思い出」フォルダーに保存だ。




