どんぐりの芽吹き2
今日は散々だった……
居間のソファにぐったりと背を預け、風にまだやわらかい葉を揺らす庭の木をぼんやり眺めながら思う。
繰り広げられる超展開から逃げ出したはいいが、すでに俺の脳はオーバーフローを起こし、何をやっても、繰り返しよみがえる映像によってすべて押し出され、何もかも取りこぼした。
「神田君、今日はもう上がったほうがいいよ。」
そんな言葉をかけられたのは初めてだ。
大丈夫ですといえる状況でもなく、早々に帰宅した。
どうしたって考えてしまう。
明らかにあれは、舌、入れてただろ。
そう、菅原の頭越しに中川の少し閉じられた不敵な視線と、あごのラインが、ゆっくりと菅原の口内を味わっているようにうごめいて……
「うがぁっ!」
ちがう!そんなこと考えたいんじゃなくて!!
ばふんっ!と抱きしめたクッションに顔をうずめる。
映像を思い出してはいけない!破壊力がありすぎる!思考のすべてをそっちに持って行かれる。
だからそう、声だ。
言葉を思い出せ、なんて言ってたか。
中川は……確か、
「今度は現実だってわかるまでやめない」そう言ってたな。
『今度は』は、前回がある、初めてではないという事か。
『現実…』それは、たぶん菅原の、「白昼夢」を受けての言葉。
『分かるまでやめない』のは……キス……
要するに、『お前が夢だと思っている前回のキスは現実だ』だな。
そして、
『このディープキスを夢だと思おうなんて甘いんだよ、体に覚えこませてやるぜ』だ。俺様め。
ん?後半ちょっと悪意ある訳だったか。
でも仕方ない。実際体に覚えこまされた訳でもないのに、おれの脳裏にくっきり刻まれたんだからな。
菅原は俺に気づいてなかったが、中川はバッチリ俺を認識してる。その上でのあの所業だ。
あれは、牽制の意味もあるキスじゃないか?
『俺のもんに手ぇ出すなよ』
俺がいつ菅原に手を出したよ。それを言うなら、せいぜい「口をはさむな」だ。しかも、それすらはさむ前だったし。
大体なんだ、菅原はお前を好きなのか?無理やりのキスに見えたぞ?お前の押しつけじゃないのか?
菅原は、なんて言ってたっけ……
えーと確か、
『白昼夢だ。夢か現実か確かめる。夢は寝てる時だけじゃなく、脳はすべてを記憶せず、リミッターを外せばみんな天才で、リミッターは安全運転に必要だ』
んん??
夢の話が、いつの間にか安全運転の話で終わってる。
まてまて、情報量多いな。
最後の安全運転の話関係ないだろ。じゃ、リミッターの話も関係ない?そもそも何の話だった?あ、白昼夢だ、からか。白昼夢は明らかに関係あるな。
お、分かったぞ。
菅原はあれだ、喋ることに没頭しすぎるあまり、自分の発した単語に思考が引きずられて、次々話題が変わり、最終的に主題とは全く無関係な結論で締めくくられる……
無自覚飛び石爆走迷子だな。
目につく石に次々飛び移ってちゃ、目的地には着けまいよ。
爆走迷子をもとの位置に返すには、出発点に戻らなければ。重要なのは最初の一つ二つの石だろう。夢か現実か確かめる、あとはなんだっけ、妄想や願望が夢を見せて、現実だと脳が思わせた。とか、そんな内容だったか?そして、脳が万能でないのはリミッターのせいだとかなんとか……その先は蛇足か。
とにかく早口で怒涛の捲し立てだ。理解が追い付かなかった。
どうにも俺も、飛び石に惑わされているような気がする。事はもっとシンプルなんじゃないか?そもそも白昼夢だと思い至った件は何のことか。冷静に考え直してみる。それは教室であったこと?
ほかには思いつかない。教室を飛び出した直後の怒涛の独白だ。
教室であったことを、『白昼夢』だと考えた菅原と。それを『それは夢じゃないと思い知らせる』と言った中川。
ん?え?
あまりにもカッチリとピースが嵌った。俺はさっき考えなかったか?
『お前が夢だと思っている前回のキスは現実だ』
それはつまり、『さっき教室でしたキスは夢じゃない』という事か?
教室でキスなんて正気の沙汰じゃない。放課後とはいえ、俺を含めまだまだ生徒は残っていた。そんな中で??え?いつの間に?
……はっ!!!
そこで俺は気づいてしまった。そうだ。あの行動に意味がないわけがない。
むしろそのための行動だ。
マジックなんかでよくある手だ。別のところに注目させて、その間に本懐を遂げる。
だから中川は花瓶を割り、そして菅原は真っ赤になって逃げた。
逃げた……嫌だった?
ちょっと中川の強引さが目立って不快な気持ちになる。でもふと思い出す。
夢を見たのは、妄想や願望が原因だと、菅原は言ってなかったか?前半の飛び石の上で。そう定義して、夢だと判じたんだ。
ってことは、『自分に都合のいいありえない夢を見た』と、それが白昼夢?
……なんだ、なるほど。
「文芸部に入らなくても、俺も答えにたどり着いたみたいだ。」
『ケンカに近いが、根本的に違う』そういった光枝の答えとも合致する。
なんだかどっと疲れて、体から力が抜ける。
「痴話喧嘩じゃないか……」
そこからはもう思考を放棄する方向へと向かう。クラスメイトの二人がどんな関係か、恋人なのか、それ以前なのか、それはもう俺の考える必要のないことだ。
恋愛のことなどは、一番忌避したいことだったのに。巻き込まれて精神をガリガリ削られた気がする。
まあいい、事の次第がわかれば後は元通り、明日からまたアルバイトに励めばいい。
胸でざわつく想いを無視して、深く息を吐く。
思考を切り替えようと、シフトの変更連絡がないか、スマホを確認しようとするが、――ない……
マジか……泣きっ面に蜂とはこのことか。
落としたか、忘れたか、だれか善良な人間に拾われていれば救われるが……祈るような思いで、家電で自分の番号にかける。家じゅうに響け!呼び出し音よ!
願いむなしく、家の中は静まり返り、手にした受話器から小さくコールする音が漏れるのみ。おお、俺は運に見放されたようだ。
『もしもし』
絶望する俺の耳に、声が届く。
はっと、我に返り、受話器を握りなおす。男の声だ。
「あっ、そのスマホ、俺のなんですけど。」
しまった。テンパってアホみたいな第一声になった。
男の笑い声が聞こえる。
『ハハッ、知ってる。学校に忘れてたよ。神田。』
「!その声、光枝か!学校!?よかった~。」
『今家?バイトは?』
「家だよ。なんで分かった、ああ、登録してるか。バイトは早退した。」
『早退?なんかあったの?携帯忘れたから?』
「いや、携帯は今気が付いて……まぁ、その、いろいろ……」
つい口ごもる。しまった、携帯探してとか、適当言っとけばよかったと思ったが後の祭りだ。
心配げな声が聞こえてきた
『……気になるなぁ。携帯も必要だろうし、今から近くまで行くよ。』
「いや、別に明日学校で渡してくれれば、特に困らないし……」
『そう?僕も一日あれば十分かな。手元に個人情報の宝庫があるし。きっと明日までには何を相談されてもなんでも答えられるような、頼りになる僕ににアップデートできると思うよ。』
「ええ~……」
心配通り越して相談をごり押ししてきた。
「いまどこ?」
『教室』
「行くから」
『待ってる』
短く会話を終わらせ、家を出る。自転車で20分だ。その間に、光枝は俺の情報を暴くだろうか?
いや、携帯を見つけた時点でやりたきゃできたはずだ。光枝が知りたいのは、バイトを早退した原因か。しかし、それこそ話すにはハードルが高い。
適当な言い訳を考えるには、20分は短く自転車はハードだった。
酸素が思考へ回せない。
結局言い訳も思いつかないまま、原因の駐輪場へ着く。
思わずいつもとは違う端のほうに自転車を止めてしまう。なんか、残像が見える気がするし。
あの時少しタイミングがずれてたら、こんな現在じゃなかったかも。ふとそんなことを考えてしまう。
そう、光枝の提案に乗って聞く選択をしていたら、俺は脳裏に映像を焼き付けることなく、文芸部という魔境へ出かけることに……ええ、何その究極の二択。どっちも地雷なんですけど。
まぁ、今更考えても仕方ない。ため息とともに小さく頭を振って、ふと校舎を見上げると教室の窓からこちらを見る光枝が見えた。
ああ、駐輪場の端からは教室が見えるんだな。
酸素の行き渡らない頭でぼんやり手を振り、光枝が振りかえすのを見ながら、階段へと向かった。




