どんぐりの芽吹き1
「僕が君をすごいと思うのは」
「展開が速すぎる」
同じ学校での、群像劇となっています。
「僕が・・・」の登場人物とかかわるので、そちらを先に読むのがお勧めです。
俺の家の庭にはどんぐりの木がある。
誰が拾ったものが芽吹いたのか、最初は双葉を広げるばかりだったそれが、いつの間にやらすくすくと背を伸ばし、今や2階の窓から手が届きそうなほどだ。
春に健気に新芽を広げる姿を見れば、そろそろ切るべきか、なんて家族の話題も、いつの間にか立ち消えとなった。日々成長を見守れば、自然と愛着もわいてくる。
お前ばかりがでかくなりやがって、などとちょっと恨めしくもなるが、
今やすっかり庭の住人として認められる存在だ。
植えられたのではなく、自分で居場所を定めたこの木は強い。
でもせめて、シイの木だったら
「実が食べれたのになぁ。」
放課後の教室はまだ半数ほどの生徒が残り、ガヤガヤと騒がしい。
頬杖をついてぼそっとつぶやいた俺の言葉を、耳聡く拾ったらしく、前の席の光枝が振り向いた。
「何?何の話?実?」
手に持った小説はポーズか?
「本読んでたんじゃないの?」
「ああ、教室で脳内世界を見てると、死んでると思われるから、開いてただけ。」
事もなげにさらっと言った。
いや、ページがめくられなきゃ十分死体でイケるよ。
外国の血を感じさせる、色素の薄い同級生をジト目で見る。
脳内世界とは自分の中の想像や妄想の世界らしい。目を開けたまま旅立つのがポイントだ。一年前からさんざん聞かされてすっかり耳馴れてしまった。
普通に、考え事したかったから、とかでいんじゃね?耳が生きてる時点で、その脳内世界への没入も失敗してるし。
入学以来の付き合いになるこの男も、なんだか変わったやつだった。
祖父に西洋の血の流れる彼は、少し癖のある茶色い柔らかな髪と、同じ色の瞳が優しげな印象の、校内でもかなり目を引く生徒だった。
俺は真っ黒なストレートの髪に、きつく見られがちな切れ長の奥二重で、時々からまれて損をする。直接言われたことはないが、陰で黒猫と呼ばれているのも知ってるんだぞ。しかも、子猫だ!クソッ!今はまだ目覚めてないが、俺の遺伝子だってまだ全力だしてないだけだし!父は180センチ、母は165センチあるんだ。俺はまだ160センチだが、必ず伸びる!伸びしろしかない!
すでに180センチはあろうかという光枝を見上げつつ、目元が優しげっていいなぁ。と、遺伝子の仕事をうらやましく思ったものだ。そろそろ休め。遺伝子め。
1年で同じクラスになって程なく、俺は奴に目をつけられた。
「神田、文芸部に入らない?絶対向いてると思う。」
初めて喋った内容がこれだ。
文芸部ってなんだ。文化芸術部?文具手芸部?
文芸よりも妖怪の発するモンゲ~の方が馴染みがある程度に、まったく興味のない言葉だよ。
「僕らみたいな人間は、どうしても一歩引いた目線で周りを見てしまうんだ。そんな冷めた心を解放するために是非、文字の力をかりるべきなんだよ!」
いやいや、僕らってなんだ。何の仲間に引き入れようとしている。
だいぶ理解不能な大演説を、おっしゃる通りの引いた目線で見ちゃうってもんだ。
「絶対才能あるって。僕、結構勘が働くんだよね。」
ありもしない才能を見抜くより、空気を読む勘を働かせた方がいいと思うぞ、と、遺伝子のいい仕事を無駄遣いする残念イケメンを見遣る日々だ。
2年になった今もって、口説かれ続けている。
モチロンお断りだ。俺は由緒正しき帰宅部だ。
毎日、ガッツリバイトを入れている。
「で、何の実?」
「シイのみ。」
「ああ!あの、祭りの屋台で売ってるの、食べたことあるよ。」
は?なにそれ。どこの祭りさ。
「そんなの見たことな――」言いかけた時、目の端で何かが飛んだ。
なんだろうと目線をやる。俺を越え放物線を描き、
ガシャーン!
破裂音に教室内の空気がビリッと揺れる。
一瞬しんと静まり返り、視線が教室の後ろへ集まった。
腰高のロッカーが並ぶ床に、無残に割れたガラスの花瓶と、黄緑色のペンケースが転がっている。
室内がピンと張りつめたのは数秒で、音の原因が明らかとなったその場は、また、ざわりと動き出す。
あービビった。誰の筆箱?どっから飛んできたんだろう。あれ何?花瓶?誰が片付けるんだよー。口々に思ったことを言い合い、遠巻きに残骸をみていると、
「悪い。手が滑った。」
背の高い男が近づき、ちっとも悪いと思ってなさそうな無表情で、サッサと片付け始める。
中川だ。
最近ちょっと俺の中では近寄りがたいと感じるようになった相手だ。きっかけがあったとも思えないが、何故か奴から感じるオーラが冷たい気がする。
まぁ、イケメン・長身・無愛想。そんな中川と俺には、特に接点も無いので、さほど気にならない。
しかし、手が滑った?
俺の席は窓際から3列目。前から3番目だ。中川の席は廊下寄りの後ろだったはずだが、さっきまで、窓際の席の誰かと喋ってなかったか?俺の視界に背の高い背中が見るとはなしに入っていた。
何より俺の頭上をペンケースらしき物体が飛んで行ったんだ。ほぼ教室の端から端まで斜めに横断している。
そんな動きをするものを、手が滑ったとは言わないだろ。
中川は割れた花瓶を処理し、布製のペンケースの埃をポンポンと手で払ったあと、俺を見た。
え?
一瞬ドキリと体かこわばった。胡乱なまなざしを向けていたのに気付かれたのだろうか。
だが中川の視線は、俺を通り越して違う人間を見ているようだ。その視線の先を振り向いて確かめる。
菅原?
窓際の席に居るのは一人だけ、菅原遥渡だけだった。
彼は唯一クラスの中で俺より背が低く、その一点において俺の中で、抜群に好感度が高い。クリっとした目がリスみたいで、撫でたくなるようなかわいさがある。
それがどうしたことか、どう見ても、フリーズしてる?
菅原は、驚いたように目を見開き、口は半開きで全く動かない。前を向いてるけど、その眼に教室の壁が見えてるとは思えない。
脳内世界を見てる時の光枝に似てるな。あ、あれだ、驚くと死んだふりする動物みたいだ。
そんなことを考えつつ、まじまじと見ていると、次の瞬間、カ――ッ!と音がしそうなほど真っ赤になった菅原は、ガタッと椅子を派手に鳴らし、脱兎のごとく教室を飛び出した。
「ええ……?」
俺はあっけにとられた。いや、正しくは、俺と光枝は、だ。
思わず二人で目を見合わせて、首をかしげる。
何だろう?なんかあった?
光枝は右手で、フームとばかりに顎をはさみ、脳内世界へ旅立った。俺も一連の流れを整理してみる。
確かに中川は菅原の席の横に立っていた。
それから菅原のペンケース(黄緑のあれば菅原の物だ。)を投げた。
偶然か、狙ったのか、花瓶が割れた。
中川は「手か滑った」と明らかにうそを言ったが、自分の責任を認め片づけをした。
菅原は呆然自失、からの、赤面脱兎。
枝葉を取れば、菅原のペンケースを中川が投げ、菅原は逃げ出した。
導き出された答えは……
「いじめ?……」
俺は小さくつぶやく。それは、微妙に符合しないような、ザワザワしたものを胸に感じた。
「いや、ケンカ?」
こっちの方が、まだしっくりくるか?
でも、注視してたわけじゃないけど、そんな雰囲気はなかったと思うが?
頭をひねっていると、光枝がにやりと笑って言った。
「たぶん僕は正解にたどり着いたよ。」何か自信ありげだ。
「…ケンカ?とか?」俺も考えを言ってみる
「うう~ん、まあ近いと言えば、近い、根本的には違うな。」
なんだそれは、
「お前が正解か分かんないじゃん。どっからくる自信だ。」
光枝はちょっと気まずそうに目をそらし
「実は、中川がペンケースを投げる前、僕、現実世界で聞き耳を立ててたんだ。だから聞こえたんだよ。会話の一部が。」
言って、てへっと笑った。
なるほど、小説を手に、盗み聞きをしていたのか。そして、耳は生きてたんじゃなくて、生き生きしていたと。
「なんだ。もったいぶらずに言えよ。」
その会話にヒントどころか、答えがあるんだろう。聞かない選択肢はない。
「もちろん教えたげるよ。神田が文芸部に入ってくれればすぐにでもね。」
ニッコリ。
「……」
こんなにもいつも、光枝の脳の取り出し可能領域にある文芸部とは、一体どんな魔境なのか。逆に興味がわきそうで怖い。
俺は聞く選択を、きっぱりすてて、さっと鞄を手に席を立つ。
「じゃ、バイトだから帰るわ。」
「ええ~、気にならないのー?」
「一ミリも。」
分からないことを分からないままに放置するのは得意分野だ。何もかもを詳らかにすることは得策ではない。そして、かかわらなければ俺は平穏だ。
話したそうな光枝をしり目に、とっとと教室を出た。
けどトラブルってのはこちらの思惑など関係なく、ぶちあったってくるもんだよね。知ってた。
自転車置き場へ急いだ俺は、目的地に見つけてしまう。
中川と菅原だ。
なんでいるんだよ……。
面倒なエンカウントを避けられないかと、一瞬考えたが自転車をあきらめてはバイトに間に合わない。
一つため息をついて、自分の自転車に近づく。
菅原はうつむき加減に両手で自転車のハンドルを握って黙っている。
その自転車をはさんだ向こうに、中川がいる。
そして菅原の横にあるのが俺の自転車だ。
なぜだ。なんかの呪いか。
この距離感で無言で自転車をピックアップして立ち去るのはアリか?
いや、さすがにそんな気まずさの掛け算はないだろう。
お疲れ~とか、お先~とか、軽く流して立ち去るか。
そう考えつつ近づくと、中川と目があう。
……睨んでくんなよ。
明らかに、『何の用だ。邪魔なんだよ。こっちくんなよ。』と、目が言ってる。
俺の用事は自転車で、お前じゃねーよ!
けど、構図としては、中川に向かってまっすぐ進むような形だ。
何の反抗心が発現したのか、しっかり眼をそらさずまっすぐ中川を見たまま歩いてしまう。
自転車の横につくころにはすっかり心が荒んでいた。
その心のままに、何かひとこと言ってやろうと口を開けた瞬間、
「わかった、白昼夢だ!」
思わずびくっと肩が揺れる。
うつむいたままの菅原が、まるでクイズの答えを見つけたように言った。
握ったハンドルに目線を固定したまま、早口に捲し立てる。
「ありえないことが起こったと思った時は、まず考えるんだ。夢か、現実か。夢っていうのは寝てる時だけの物じゃなくて、起きてる時の想像や妄想も含まれるわけで、つまりは強い願望の混ざった妄想が現実の境を越えて体験したと思わせた状況なんだ。そもそも人間の認知機能なんて曖昧なもので、視覚にしても聴覚にしても、かなりの割合を脳で要不要の処理をしてるんだから、すべての見聞きしたことを記憶してるわけでもないし、それはリミッターの機能が脳にあるとも言われていて、それを外すことができれば、すべての人が天才レベルの記憶力を持てるなんて研究もあるくらいだけど、リミッターは必要だからある装置で安易に外せば必ず反動が来る。パソコンならCPUへの高負荷でメモリーがやられたり、車ならエンジンの暴走で大事故になったりするんだ。もちろん研究分野ではリミッターをつけずに対処しながら進めることもあるけど、素人が手を出す領域じゃない。つまり、車の安全な運転のためにはリミッターは必ず必要なんだよ。」
いつ息継ぎをしたんだか、まるで一息で口から出てきたみたいに言葉が流れ出てきた。俺は驚きのあまり、口を閉じるのも忘れてその場に突っ立ったまま動けない。
なんだか訳がわからない。リミッターがなんだって?
ポン。
菅原の両肩を中川がつかむ。
「リミッターの話は、また後で聞こう。」
ものすごい笑顔!?で中川が言う。
何その顔!初めて見たぞ!!
「あ…?そう……?」
ゆっくり中川の方を振り向いた菅原がぼんやり答えた。
表情は見えない。横にいる俺に気付いているかさえ怪しい。
中川の瞳が、甘く揺れる。
「ん、で、今度は現実だってわかるまでやめない。」
肩に置かれていた手が、首をなぞり、菅原の髪を撫で上げるように頭へと移動した。
時は5月。柔らかかった春風も、太陽の眩しさが増すのと同時に熱を帯び、初夏を感じる薫風へと変わり始めたそんな放課後。
?俺は夢を見ているのか?これが白昼夢??
身じろぐと手の中で自転車の鍵がチャリンと小さく鳴った。
いや、現実だ。
なにを見せられているんだ。
キスシーンだ。
しかも長い。 しかも深い。 そして近い。
俺は開けっ放しの口を閉じることができない。もう何を言うべきかも分からない。どうするべきかもわからない。脳がしゃべることも、動くことも放棄したようで、ただ見開いた目に映る光景を記憶し続けるのを、呆然と受け入れる事しかできない。
だがしかし、それでも片隅で必死に頭を働かせた結果、ふらりと体が動き出した。
俺は自転車の鍵をそっと外し、
「お、つかれ……おさきに……」
用意した言葉を何とか絞り出し、小さく告げて、その場を去ることに成功した。




