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面倒臭い休暇

 今回の「仕事」のような内容は、本来なら私は引き受けない。綺羅乃小路からの紹介だから断らなかっただけだ。

 それを知っているから、綺羅乃小路は以前彼に紹介されて縁を結んだセレブな奥方とのコネをこの仕事で使うことも了承したし、依頼人自身にも私へ最大限の便宜を図りサポートするよう提案してくれていた。だから最初から第二応接室の本物の鍵も持っていたし、高性能の証拠集めに必要な機材も用意して渡され、使用法のレクチャーまでしてもらっていた。

 社長が綺羅乃小路から私を紹介される前に、自身で内部調査や外部の調査会社を利用して既にかなりの調査を進めていたこともあり、私に依頼したかったのは最後の一押しだけだったのだ。

 まぁ、その一押しが出来ずに手を拱いていて綺羅乃小路に相談したということなんだけど。


 社長は妻と店長の不倫関係を確信していたが、店外での二人の接点が複数の調査会社を使っても掴めなかった。

 その結果があったから、店長の用心深さにも自分へのマイナス感情にも気付いていた社長は、不貞行為が行われているのは店内であり業務時間中だろうと答えを出す。

 鎌倉店の店内でそれが可能なのは第二応接室だけ。

 だが、社長が乗り込んで彷徨けば警戒されて証拠を握るのが難しくなる。社長の息がかかっていると疑われる人間でも駄目だ。

 かと言って、プロに密かに侵入させて第二応接室にカメラ等を仕掛けさせるのは店のセキュリティを徹底させすぎてしまったので不可能だ。コンセプトを打ち出す時に、セキュリティの堅牢さも売りにすべく尽力したのは社長自身だった。


 第二応接室に隠しカメラと盗聴器さえ仕掛けてしまえば離婚事由として有効な証拠は必ず手に入る。


 それが分かっていても、それが可能な人材の心当たりが人脈お化けの社長にも無かったそうだ。

 警戒心の強い店長に疑われず自然な形で店のバックヤードに出入りできて、必要以上に妻の気を引くこともなく、それでいて社長からの信用に値しながら、潜入調査の専門家でその技術を有していること。

 そんな都合の良い条件を全て揃えた人材が一人いれば一日で決着な案件だったのだ。

 それ以外のお膳立ては出来ているし、後始末の準備まで終わっているのだから。


 だから嫌々やっていたけど、それほど危機感を持って臨んでいた仕事ではない。

 バックヤード全体を一人で歩き回る大義名分さえ手に入れれば、私の今回のお仕事は半分終わったようなものだったから。

 うんざりするような女王サマ劇場は見せられたし参加させられたけど、そこから後は早かったな。


 私は上着のポケットから面倒臭そうな鍵を取り出す。

 この鍵が必要な鍵穴は、多分私じゃ鍵無しで開けることは出来ない。

 タクシーを降りて、さして重くない旅行鞄を抱え、目の前の可愛らしい洋館を見上げる。

 綺羅乃小路にぶら下げられた餌、温泉付きの別荘だ。中には我儘な舌の綺羅乃小路が「一番」と太鼓判を押す料理人が待っているはずだ。


 第二応接室に仕掛けた隠しカメラは、いっそ呆れるほどに十分な離婚事由となる証拠を映し出し、リアルタイムで私が更衣室のロッカー内に放り込んでおいたスマホ型の機器を経由して社長の元にある受信装置に飛ばされ録画されていた。

 言い逃れはできなかったようだ。

 当の二人に気付かせないように、既に外堀は社長の手で埋められていたのだから。

 単体では離婚事由とならない内容だが、妻の人格に問題があることを示す言動の記録や、それによって夫の事業にもたらした不利益の列挙と損失額の計算結果も、オマケとしてなら効果は発揮できる。


 掴み所のないフワフワとした笑顔を浮かべる柔和な紳士だったけど、学生時代は天才の呼称を恣にし辣腕経営者として名を馳せる社長は、敵に回しちゃいけない人間なんだなと思う。

 女を見る目は無かったみたいだけど、見限った後の容赦の無さは感情の動きが一切無い分、元妻と元店長が哀れだなと感じた。

 浮気に対して怒りも憎しみも皆無というのは、した方の自業自得とはいえ、女として堪ったものではないだろう。背信行為をした店長の方もだ。どちらも、社長にとっては「取るに足らない」存在だったのだと否応なく自覚させられた。

 シンデレラの気分で王子様の持つ力を「愛されている」自分の物だと勘違いして自滅した元妻と、憧れが過ぎて憎しみになり初対面から社長へ強い感情を向け続けていた元店長。

 どちらも社長への依存と執着を無関心という形でぶった斬られた。下手な制裁よりも余程彼らにとってはキツい仕打ちになっただろう。


 私には関係ないけど。


 女王サマは離婚されて社長夫人の地位を失った。慰謝料を寄越せと叫んでいたらしいが、有責配偶者は払う側であって貰う側ではないことを三日かけて弁護士から理解させられると田舎に帰って行ったらしい。

 財産分与に関しては、今まで彼女の言動で夫に与えていた不利益から算出した損害額プラス夫から請求された不貞行為の慰謝料の額に慄いた女王サマは「相殺でいいでしょ!」と叫んで言質を取られ、無一文で放り出されたそうだ。社長やっぱり怖いな。

 取り決めは全て弁護士を通して行われ、女王サマが元夫である社長と面会する機会は一度も与えられなかったと言う。


 元店長は、降格減給の上で店長の役職を解かれ本部勤務になった。営業課の平社員として鬼の営業部長に根性を叩き直されているらしい。

 外部に放逐するには内部情報を知りすぎているから、消すんじゃなければ飼い殺すのが平和的解決だね、と微笑んでいる様子は背筋がひんやりと涼しくなった。

 柔和な笑顔で「綺羅乃小路君と業務提携した暁には是非私とも友人になってほしい」と差し出された手を握るのは、悪魔と契約する気分だったな。いざとなったら綺羅乃小路に責任を取ってもらおう。

 鎌倉店は、人事刷新が済むまで表向きは「店舗リニューアルのためにしばらく閉店」ということになっているそうだ。


 洋館の庭を抜けてエントランスに立つ。

 建物の中から美味しそうな匂いが漂って来て思わず笑顔になり、鍵を差し込んで回し、扉を開けた。


「お帰りなさいませ、お嬢様」


「は?」


 見知った執事服の壮年男性に間抜けな声が出る。


「お荷物お預かりいたします」


 無駄のない動きで丁寧に有無を言わせず荷物を取り上げられた。

 どうして綺羅乃小路の専属執事がここにいるのだろうか。

 彼がここにいると言うことは、どう考えても。


「おや、遅かったね。友子ちゃん」


 いた。いやがった。

 脱力してその場にしゃがみ込み頭を抱える。


「どうして」


 呻くように疑問を口に出すと楽しげな声が返される。


「僕も休暇だよ。それに一番の料理人を貸し出す約束だっただろう? 僕にとって一番の料理人は黒沼だから、単体では貸し出せないよね」


「主の舌を完璧に満足させてこそでございますから」


 誇らしげに胸を張る黒沼は、綺羅乃小路の専属執事だ。護衛も兼ねているとは聞いていたけど料理もできたんだね。わー、ハイスペック執事だー(棒)。


「だからって、どうして執事に主がついてくるのよ」


 頭を抱えたまま唸っていると、痛みは感じさせないのに抵抗させない力で腕を掴んで立たされて、そのまま手を取られた。


「細かいことはいいじゃないか。別荘の中を案内するよ。温泉は露天もあるからね」


 露天風呂!

 餌をぶら下げられると何だか細かいことのような気もしてきた。


「神楽門との業務提携は決定したよ」


 私をエスコートしながら軽い調子で話す内容は、まだ公には発表されていないが日本の経済界の勢力図に十分影響を及ぼすものだ。


「それはおめでとうございます?」


 それが目的だったはずなのに、軽い調子の中に僅かの不本意を嗅ぎ取って首を傾げる。

 嗅ぎ取られたことに気付いた綺羅乃小路が長い睫毛を伏せて苦笑する。


「提携で僕が得る利益は計り知れないけどね、代わりに僕が手にしていた権利に目を付けられてしまって少し困っている」


 あぁ、あの社長、フワフワに見えて切れ者だし怖い人だったもんなぁ。


「君も神楽門に無理を言われたら僕に相談するといいよ。紹介した責任は僕にある。彼から口止めされたとしても遠慮はいらない」


「え、そんな怖いことがこの先起きるかもしれないの? あんな敵を笑顔で切り刻みそうなタイプと敵対したくないんだけど。どうしてくれるのよ。本当に責任取ってよ⁉」


 私が詰め寄ると睫毛の伏せられた目元をパチリと見開いて苦笑を笑顔に変えた。ついでに取った手をしっかり握り直される。え、何。


「大丈夫。人脈では劣るけど頭と腹黒さと資金力なら僕も神楽門に負けてないから」


 大丈夫って言いながら不穏な単語が混じったな。


「よし! 神楽門が手を出す隙が無いように仕事をたくさん詰めようか。そうと決まったら戦略会議だよ。おいで」


 ぐいぐいと手を引かれる先には温泉ではなく、綺羅乃小路のノートパソコンが開きっぱなしになっている飴色の重厚な執務机。


「いや、ちょっと、私は休暇のはずでしょ⁉」


「温泉と美味しい料理が付いてるし二週間は外に出さないから大丈夫だよ」


 別荘に籠もって次の仕事のミーティングって、休暇と呼んでいいものなのか?


「お諦めください。お嬢様」


 笑顔の威圧。

 勝てない。この執事にはきっと武器を持って暴れても勝てない。そんな気がする。

 面倒臭い。休暇なのに面倒臭い。

 この別荘の鍵を受け取って、このお仕事を受けた時には、とっくに罠にはまっていたんだろうなぁ。

 溜息を吐きつつ虚ろな目でノートパソコンの画面を見せられている私の休暇は、まだ始まったばかりだ。

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