面倒臭い上得意
新しいの始めました。よろしくお願いいたします。
私の名前は佐藤友子。よくある名前のおかげで地味に大人しく振る舞っていれば他人の印象に残りづらい。そのため仕事は順調だ。
私の仕事は覆面調査員。顧客は企業や施設のトップが主だが国家権力を使う側からの非公式な依頼もあり、従業員として潜入して調査結果を報告する。
潜入先によっては危ない橋を渡ることもあるから、一応顧客は選ぶことにしている。私個人では断り切れない権力者からの依頼も来るが、そういう時に頼るために、信頼できる権力者からの依頼は基本的に断らない。
現在私は一番の上得意である病院経営者の自宅サロンでお茶に招かれ、高そうなカップの前に座っている。
リゾートホテルのような大きな総合病院や、タワマンの最上階から5層を買い上げての隠れ家的セレブ専用クリニック、それらの黒字分を流用した庶民向けの良心価格で安全な総合病院などを経営しては全てが大成功という、絵に描いたような人生の勝者。
その名前は綺羅乃小路綺羅臣。
紛うことなきキラキラネームの主だ。
由緒正しい大金持ちのお坊ちゃんとして生まれ、美貌と才能に恵まれたこの男の人生は非常に自由。好きな仕事をしながら二十代と三十代で二度の結婚離婚を経験して、四十代の現在は独身生活を謳歌中。
離婚の原因は二度とも子供ができなかったことだと言う。
本人いわく、「神様はちゃんと平等でね、何もかもに恵まれた僕には子供は授けないことにしたみたいなんだよ」だそうで、彼の側に原因がある男性不妊なのに親戚が妻を責めるから逃げられてしまうのだとか。
一族の老害を黙らせる力を付けるまでは三度目の結婚はしないだろうなぁ、と笑っていたが、その目はにこやかさとは程遠かった。
今回の私への新規顧客紹介も、彼の力を付けるワンステップなんだろう。
非常に面倒臭い内容なんだけど利益は大きい。紹介する彼も、私が得る報酬も。
彼が私に紹介したい人物は、首都圏の高級住宅街付近と神戸に合計8店舗のスーパーを展開する辣腕経営者だ。
もちろんただのスーパーではない。完全会員制で既存会員の紹介が無ければ会員になれない超高級スーパーだ。金持ちセレブなら会員になれるということでもなく、他のお客様に決して迷惑をかけない品性を持っていることが絶対条件。このスーパーの会員証を持っているとセレブの中でも一目置かれるんだとか。
そんな上客だけを相手にするスーパーだから、売ってるものもスタッフも厳選されている。
接客メインのスタッフには五つ星ホテルの優秀なスタッフを引き抜いていたり、店内で調理される料理は全てが一流の料理人の手によるもの。裏方のスタッフでさえ、華族や貴族に仕えるメイドや執事を輩出する家系の出身者に声をかけて募った。提供される商品は高級デパートの地下さえ足元にも及ばないレベルの極上品だ。徹底している。
そんな夢物語みたいな店を8店舗も展開して一度もコケずに成功を収めているのは、経営の才能は当然のことながら人脈が凄まじいそうだ。
キラキラネームな彼は、その人脈を持つ彼と業務提携したい。
だけどそこには一つだけ不安材料があると言う。
業務提携前に、不安要素である奥さんと縁を切って欲しい。
そのために調査をしてきてくれないか、と。
件の超セレブ向けスーパーの経営者は現在四十代。妻とは鎌倉の一号店が軌道に乗ってきた12年前に都内有名デパートの地階食品売場で出会った。当時新卒の二十代だった妻の素晴らしい商品知識と接客態度に惚れ込み、すぐに引き抜いて自分の店で働かせ、翌年には結婚。
その後、次々と店舗を増やし多忙を極めて飛び回る彼は、妻が学ぶことを放棄し、古くて狭い商品知識しか持たないままでいながら「社長夫人」という権力を振りかざして現場を混乱させている事実に気づかぬまま放置してしまった。
店内で接客をメインにするなら日本語の他に最低でも英語が流暢に話せることが求められるが、妻は日本語以外はカタコトだ。店長となるには様々な実務知識プラス、基本で英仏中の言語は読み書き会話が可能なことが必須。
社長夫人と言っても、妻の社内での身分は一店舗の裏方スタッフの一人でしかない。勤勉さにも欠けるから、裏方部門のチーフなどに昇進することもない。昇進は社内試験のクリアが条件だから。
その「社長夫人」が、せっかく集めた超一流のスタッフを辞めさせているかもしれない。
社長が異変に気付いた時には、鎌倉店から相当数が辞めていた。他の店舗に移ったスタッフもいるために、会社自体からの人員流出として目に見える事態になるまで気付けなかったそうだ。
複数店を展開するようになってからは、採用は各店の店長に一任していたそうで、社長が直接スカウトしてきたような超一流のプロが入社することは減ったものの、採用基準はかなり高い。
ところが内部調査をしてみると、鎌倉店はスタッフの入れ替わりが激しく、基準をクリアしない人物の縁故採用も多いことが分かった。
店長に面談して事情を聞き取ると、問題なくお客様には満足していただいているのでご心配なく、などと躱される。
外部から調査会社を入れてみたが、基準をクリアしないスタッフが問題を起こした事実は確かに無く、その点は突けない。客にお行儀の良い会員しかいないことが幸いしたのか災いとなったのか。
社長が直接スカウトした元鎌倉店のスタッフから話を聞くと、「証拠は無いし想像でしかないから口に出したくなかったけれど」と前置きされて、「店長が社長夫人の意を汲んで、彼女より上の立場になれる実力を持ったスタッフを排除していったのだと思う」と重い口を開いてくれたそうだ。
具体的に何をされたと言える社内規則に抵触するようなことは巧妙に避け、働きにくくなるように環境を整えられていったと言うから、店長は確かに実力者なんだろうな。
多忙ではあったが自宅では妻と会っていたし関係も良好だと思っていた社長は、詰問ではなく日常会話としてさり気なく妻に鎌倉店の現状を聞いてみた。
そこで社長はショックを受ける。
妻の口から出てくるのは、店長以外のスタッフの悪口と、お客様を対象とした下品な事実無根の噂話ばかりで、そんな酷い環境でも頑張って働いてる自分にご褒美が欲しいと締めくくられたのだ。
素晴らしいスタッフに成長するだろうと期待して引き抜いたデパ地下店員の姿は面影さえも消え、惚れ込んだ経験不足を補って余りある魅力的な笑顔は下卑た醜悪な嗤いに変貌していた。
それでも、心を入れ替え努力してくれればと丁寧に諭す社長だったが妻の機嫌が悪くなるだけで効果は無い。
社長はアプローチを変え、「君の考えを聞きたいから思っていることを全部言ってほしい」と伝え、三日かけて妻の話に付き合った。
その結果、社長は二つの事実に気付いてしまった。
妻の改心は不可能。
そして、妻と店長はデキている。
誘導しても決定的な言葉は流石に出さなかったものの、社長は確信した。
だが、調査会社を入れても、既に妻から「夫に言いたいことを全部言った」とでも聞いただろう店長のガードが固く、不倫の証拠は出てこない。
既に情も冷めて消え、社長は離婚を積極的に希望しているが、現時点で離婚を切り出せば財産分与として何をどこまで奪われるかを想像し二の足を踏む。離婚可能な妻の瑕疵が欲しいが、捏造は信用商売だからしたくない。
ということで、鎌倉店に調査に入ってほしいと言われた。
まぁ、そんな奥さんを野放しにしていたら事業もコケるかもしれないし、安心して業務提携できないか。
でも面倒臭い。
目的が「経営者として目の届かない社内の問題を知りたいから調査してほしい」という、いつものじゃないし。離婚したいから妻の瑕疵を調査してほしいと言われても。
報酬額は危険手当が付くとき並に大きいし、そもそも彼に紹介された仕事は断わる選択肢は無い。
けどなぁ。
「この依頼を受けてくれたら僕からもボーナスを出すよ」
紅茶色じゃない爽やかな香りの紅茶の新茶を飲みながら眉根を寄せていると、手入れの行き届いた指でセキュリティの高そうな鍵を摘み上げて見せられた。
「今回の仕事が終わったら半月ほど休暇を取るといい。その間は僕が依頼を止めておいてあげるよ。この鍵を持って伊豆の温泉付き別荘でゆっくりしておいで。僕が知っている中で一番の料理人も付けるし別荘滞在中の生活費は僕が持つ。どうだい?」
美味しすぎる餌だ。
「乗った!」
思わずカップを置いて立ち上がると綺麗な笑顔を向けられた。
あ、コレ、やっちまったやつだ。
「じゃあ、よろしく頼むよ。期待しているからね」
彼が紹介する仕事に命の危険が迫ることは滅多に無い。その代わり、非常に面倒臭いものを紹介してくれることが度々ある。
仕方がない。
温泉と美味しい料理のために頑張ろう。