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鮫と海豚。

 あの後、化粧を整えて戻ってきた九鬼丸さんは、いつもの彼女に戻っていた。


 本人が言うには、朝に食べたものが夏の暑さで悪くなっていたのかも、とのこと。


 よかった、俺の自撮りスクショのせいじゃなかった。


 夏場のなまものは足が早くて危険である、健康のため気をつけてほしい。


 さて、それ以外には特に言うべきことのない登校日だった。


 始業時間になると教室にやってきた教師にひとつふたつ連絡事項を伝達され、それで終わり。


 1時間もかからず解散、下校。


 現在は、少し前に通ったばかりの通学路を逆走して帰宅中だ。


 スマホに連絡を入れれば済むし、やっぱり夏休み中の登校日とか必要ないんじゃないかと思うのだが、



「長期休暇の途中に登校日を設定しておかないと、夜更しなんかで生活リズムを乱す生徒がいるからね」



 と、天音は俺の顔をじーっと見ながらそれっぽい理由を口にする。



「ひ、否定はできねえ……、けどずっと休みならお前も夜遅くまで延々とUNOに籠もってるだろ?」


「休み中でも23時までには眠れるよう行動するわ。そうしないと誰かさんの家族の朝ごはんを作りに行けないし。ちゃんと一日三食を食べさせないと栄養が……」


「ほんとすんませんウチの家族の生活力がカスで」


「あなたもその家族の一人よ。料理自体は嫌いじゃないから良いけど。一人でご飯を食べるのもつまらないしね」



 優しい。


 八坂家をダメにすることに関して彼女の右に出る者はいないだろう。


 お隣さんがこのお方で本当に良かったと、ありがたみを噛み締めているうちに、あっという間に我が家の前。



「今日もそっちでお昼を食べて良い?」


「ああ。昼はたぶん母さんが何か作るだろうから、のんびりしていきんしゃい」


「どこの方言よ? ……ただいま帰りました」


「ただいまー」



 天音と共に我が家の玄関を開けるやいなや、二階からギャーギャーと喧嘩するような声が聞こえてきた。



「きぃぃぃッ!? なんでこんなところにバナナの皮が!?」


「アンタならギリギリインコース狙うだろうとわかってるから仕掛けといたのさ! ばーかばーか!」



 その片方は奈緒の声。


 なんだ、何が起こっている?


 この騒がしさはただ事ではない。


 状況を確認するため俺は慌てて二階へ上がり、奈緒の部屋の扉をノックした。



「奈緒! どうした!? 誰かいるのか!? 入るぞ!?」



 部屋に踏み込む。


 人間がサメに襲われるパニックホラー映画のポスターが何枚も張られた、相変わらず主の趣味がわかりやすい一室。


 その部屋のモニター前には我が妹ともう一人、ツリ目がちの勝ち気そうな女の子の姿がある。


 二人はFDVR技術が完成する遥か以前より存在したクラシックスタイルゲーム――コントローラーでモニター画面上のキャラクターを操作するやつだ――を遊んでいたらしく、その手にはゲームのコントローラーが握られていた。



「あ、つぐ兄おかえりー、水泳部で飼ってるバカがうちに迷い込んで来たからちょっとね」


「バカ!? 人のことをバカとおっしゃいましたかしらこのフウセンウオがッ!」


「誰がフウセンウオだテメーこの河豚かわぶたが!」


「イルカは河豚かわぶたじゃなくて海豚うみぶただって言ってますでしょう!?」



 ぎゃんぎゃん口論する二人。


 俺は安堵の息を吐く。



「なんだ、友達が来ていただけか……」



 同時、二人が声を揃えた。



「友達じゃねえよ!」

「友達ではありません!」


「めっちゃなかよしじゃん……」



 ともかく、何事もなくて安心した。


 と、奈緒曰く友達ではないらしい少女は改めてこちらを向き、礼儀正しくぺこりとお辞儀。



「……はじめまして、八坂さんのお兄様。わたくし、河合かわいルカと申します。八坂さんとは運悪く同じ部活に所属してしまった仲ですの」


「あ、ご丁寧にどうも。八坂兼続です。奈緒がいつもお世話になっております。……なるほど、部活仲間か」


「仲間じゃねえよ!」

「仲間ではありませんわ!」


「やっぱめっちゃなかよしじゃん……」



 俺ですら奈緒とそこまで息を合わせられないぞと、河合ちゃんにちょっぴり嫉妬したのは内緒だ。



「……今日は、昨日のちょっとした間違いを正すために、不本意ながらこいつを訪ねさせて頂きました」


「間違い?」


「ええ。兼続さんは、UNOというゲームをご存知でしょうか?」


「めっちゃ知ってます」



 やってますので。


 ならばと、河合ちゃんはUNOに関する説明を省く。



「わたくしとこの女は共にそのUNOを遊んでおりまして、昨日はゲーム内のイベントでちょっとした勝負をしていたのです。結果は――その、本来ならありえないことですがそいつの勝利に終わりまして」



 話を聞いてピンときた。


 どうやら彼女も昨日のBDRの参加者だったらしい。


 そういえば、序盤からずっと奈緒と一緒に走っていたプレイヤーがいた。


 スクアロJ9に似た青いバイクに乗っていたので、知り合いなのかもと思ってはいたが、リアルの友達とは。


 河合ちゃんは握った拳をわなわなと震えさせ、さらに解説を続ける。



「ですが! わたくしたった一度の敗北で負けを認めるような腑抜けではありません! なのでリベンジを申し込みましたが――」


「ウチのマシン、昨日のレースで色々と無茶やって大破しちゃったからさ。修理に時間が必要でUNOでの勝負は無理なの」


「――ということなので! ならばと現実世界で勝負しようとなりまして! 現在こうしてレースゲームで勝負の真っ最中なのです!」


「なるほどな。奈緒と遊んでくれてありがとね。これからも仲良くしてやってね」


「あ、いいえこちらこそ。……だから仲良くないって言ってますでしょう!?」

「そうだよ仲良くねえよつぐ兄! なぜならこいつは……!」



 キッと、奈緒が憎しみを込めた視線で河合ちゃんを睨みつけた。


 対し、河合ちゃんも射殺すような目を返す。


 なんという迫力。


 中学生同士だというのに、相手にそれほどの敵意を向けるような因縁があるというのか……!?



「……こいつは! イルカ派だから!」


「はい?」


「つぐ兄は知ってるでしょう!? ウチがサメ派なのを!」



 人が怪物に襲われるようなホラー系の作品には何かと強い八坂家だが、奈緒はその中でも”サメ映画”と呼ばれるジャンルを愛する女だ。


 水中という人間にとってのアウェーな世界で、凶暴かつ強靱な人食いザメに襲われる恐怖を描いた作品群。


 人間がおもしろおかしく食われていくエンターテイメント性に特化したモンスターパニック寄りの作品も多いジャンルであり、ホラーに分類するかは議論もあるところだが――ともかく、奈緒は幼い頃から母さんの映画コレクションを視聴していた影響で、サメ映画と、その主役たるサメが大好きなのである。


 対し、イルカ派らしい河合ちゃんは奈緒に人差し指をビシッと突きつけ、



「サメ好きなんてありえませんわ! あんな不気味で危険な軟骨魚類! 水族館でもただ泳いでいるだけしか能がない魚畜生うおちくしょう! 対してイルカはかわいい! 賢い! あなたもイルカショーを見ればイルカの素晴らしさがわかるでしょう!」


「はっ! あんな人間に媚を売りまくってる野性味ゼロのナマモノにゃ魅力を感じませんね! サメの持つありのままの美しさを見習えってーの!」


「これだからサメ派は! 宝石だって磨かれることで美しくなるのです! 自然のままなどただただ野蛮なだけですわ!」


「野性を舐めるなよ!? サメとイルカで勝負させたら絶対にサメが勝つよ!? 頭でっかちのお利口さんがワイルドなサメに勝てると思うなよ!?」


「骨格を見比べなさい骨格を! あんな貧弱な骨格の魚、強さにおいてもイルカには遠く及びませんわ!」



 ……ようは趣味嗜好の対立である。


 わりとどうでもいい話だった。

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