リアルとゲームは別なんですよ?
ゲームは1日1時間、ではないが、俺は次の日が学校の場合、夜の10時までにはUNOからログアウトするようにしている。
母親に似たのか、俺は朝にかなり弱い。
夜ふかしすると自力で起きられなくなってしまう。
朝に弱い母親が俺より早く起きることはまず無い。
よって寝過ごしたら誰も起こしてくれず、そのまま遅刻確定。
それを避けるために、俺は普段から早寝を心がけているのだ。
ベルゼブに勝利した後、とりあえず次の町である西京までたどり着き、リスポーン地点の再設定を済ませた俺は、いい時間だったので現実世界に戻ってきた。
凝り固まった身体をストレッチでほぐす。
これから風呂に入ってさらに身体をマッサージ、明日に疲れが残らないようにして、その後に就寝だ。
部屋の扉を開けて廊下へ。
階段を降りて1階へ、リビングの横を通って風呂場へ――、
「きゃああああああああああ!?」
突如、静かな夜の空気を引き裂き、母の甲高い悲鳴が八坂家中にこだました。
俺は慌ててリビングへ向かい、そこで腰を抜かしていた母に問う。
「どうした母さん!?」
「か、兼続ちゃん、あ、あれ、壁のとこ、ご、ごき、ごき」
壁?
母が震えながら指差す方を見た。
黒いアレがいる。
「きゃあああああああああ!?」
俺の悲鳴が八坂家中にこだました。
家の中に黒いアレが出てしまった、名を呼ぶのも恐ろしいアレが。
俺は黒いアレが苦手である。
UNOで虫が平気な人だと言っていた?
それは仮想世界での話だ。
仮想世界でならどれだけデカくてキモい虫が出てもなんとも思わない。
しかし、現実で親指ほどのサイズしかないアレが出たら耐えられない。
だってこっち現実だもん!
仮想世界はあくまで仮想だ、あっちの虫は作りもの、3Dのグラフィック、データの塊、触った時の触感も電気信号によって生み出される偽物の感覚。
しかし現実世界の虫は違う。
マジで存在しており、俺の本当の身体に触れることもできる、ホンモノなのだ。
そんなんが家の中に出たら、そりゃあ悲鳴をあげるに決まってる。
俺の虫耐性は仮想世界限定なんですよ。
恐怖する俺たち親子の目の前で、黒いアレがカサカサと這い回る。
キモい。
キツい。
しかし腰が抜けてて何も出来ない。
っていうかなんでリアルで出るんだよチクショウ!
アレか!? ゲーム内で虐殺した報復か!?
ゲーム内での借りはゲーム内で返せってああごめんなさいごめんなさいカサカサしないで激烈にキモい!
誰か助けて、そう俺が神に願った次の瞬間、
「あーもう! さっきから何なのつぐ兄アンドお母さん!? オメガうるさいんですけど!?」
扉をバタンと開いてリビングにずんずんと踏み込んでくる美少女は八坂家の娘にして我が妹、八坂奈緒。
動ける人が来た、助かった。
俺は震える指先で壁際を指し示し、必死になって妹に状況を説明する。
「あ、あれ、かべ、かべんとこ、ご、ごきが、ごき……」
「えー?」
奈緒は俺の指先を目で追って、黒いアレを視認。
直後、
「きゃあああああああああ!?」
奈緒の悲鳴が八坂家中にこだました。
腰を抜かして尻もちをつき、必死に手足を動かして後ずさる奈緒。
そうだった、奈緒も虫がダメな人だった!
たった一匹の虫により、八坂家の母子三人は揃って行動不能に陥ってしまう。
一方で黒いアレは我が物顔で家の中を這い回り、それどころか羽を広げて飛ぼうとしている。
「ちょ!? やだやだムリムリオメガムリ! つぐ兄なんとかしてお兄ちゃんでしょ!?」
「ムリムリ現実の虫はムリ! 兄とか関係なくアレは全人類の精神に対し特効持ちだから! 母さーん!? 母さんヘルプ!」
「おおおお母さんこの世に苦手なものが1000個くらいあって~! そそそそのうちの一つがアレなのよぉ~!」
「弱点だらけじゃねえか俺の母さん!!」
「弱点だらけじゃんウチのお母さん!!」
ギャーギャーと、夜だというのに八坂家は大騒ぎ。
その時、玄関の方から扉の開く音。
何者かが廊下を足早に歩いてくる。
リビングの扉を勢いよく開けて入ってきたのはお隣さん。
黒髪眼鏡の委員長顔、東雲天音。
彼女が部屋に入ってきたのと同時、野生の勘で危険を察知したのか、黒いアレが飛翔した。
そして、よりにもよって俺の顔面をめがけてまっすぐに飛んでくる。
それはもう情っけない悲鳴が漏れた。
「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!?」
と、俺の顔と黒いアレの間に、天音が立ち塞がる。
「ふんっ!」
スパァァァン! と。
天音は手にしていたスリッパで、黒いアレを叩き落とした。
床にベチっと叩きつけられる黒いアレ。
天音はすかさず瀕死のアレをティッシュで捕獲、トイレの方へと持っていく。
水の流れる音。
その後、天音がリビングへと戻ってくる。
彼女はやることやった後、八坂さん一家に対し言うべきことを漢字四文字でぶつけてきた。
「近所迷惑!!」
「「「ごめんなさい!!」」」
どうやら隣近所にまで聞こえるような声で騒いでしまっていたらしい。
あらやだ恥ずかしい。
まったく、と、天音は呆れたと言わんばかりにため息を吐く。
「虫の一匹で大げさすぎます。特に小春さんはもうちょっとしっかりしてください。いま八坂家の家長は小春さんなんですからね」
「はい……」
「あと奈緒ちゃんもあんまり夜に騒がない」
「うう、ごめんなさい、あま姉……」
と、二人に優しく反省を促した後、天音は腰を抜かしている俺を、
(にやぁ)
と、「無様ね」と言わんばかりの顔で見下ろしてきた。
ムカッ!?
なんですかちょっとくらいリアルの虫が平気だからって! 仮想世界で非実在大型不快害虫を前にしたら半泣きになって逃げ出すくせに!
……そう反論したいのだが、黒いアレにファーストキスを奪われてしまいそうだったところを助けて貰った手前、何も言えず、ぐぬぬと歯噛みするしかない。
そんな俺を満足気に見下した後、天音はいつの間にやら持っていた――パニック状態の俺が気づかなかっただけで、最初からスリッパを持つ方とは反対の手に携えていたらしい――手提げ袋から、小さいお鍋を取り出した。
「ところで小春さん、これ、ビーフシチューです。少し作りすぎてしまったので、おすそわけ。冷蔵庫で一晩寝かせて、明日の夜にでも食べてください」
「あらあらいつもありがとねぇ~」
「いえ、本当にあまりものですから、お気になさらず。それと奈緒ちゃん」
「うい?」
「これ、うちの会社の試作品。良かったらどうぞ」
次に手提げ袋から出てきたのは、オシャレな外装のお菓子の箱。
妹はそれを受け取ると、わーいと無邪気に喜んだ。
「やったータダおやつ! ありがとあま姉!」
「いいえ。代わりに今度、味の感想を聞かせてって、お母さんが」
「オーケーオーケー、このお菓子ソムリエ奈緒ちゃんの所見、存分に聞かせて差し上げますとも。うひひ」
天音の母親は、おせんべいからケーキまでお菓子に分類されるものなら何でも作る大手お菓子メーカー”シノノメ製菓”の社長である。
つまりお隣さんがお菓子屋さんの偉い人。
その縁で我が家にはちょくちょくシノノメのお菓子サンプルが持ち込まれ、ついでに夕飯のおすそわけもしょっちゅうなのだ。
非常に助かる、ありがとうお隣さん。
が、それはそれとして。
「それでは、私は戻ります。おじゃましました」
「いえいえ~おもてなしもできませんで~」
「ゴキちゃんデストロイありがとねあま姉! 愛してる!」
母さんと奈緒に見送られての帰り際、天音はちらりと俺を見ると。
(にやぁぁぁぁ!)
と、再び勝ち誇っていった。
ムッカァァァァ!?
チクショウ、次は絶対に負けねえからなこいつ!?
俺は拳を握りしめながら、帰宅する宿敵の背を見送った。
TIPS:黒いアレ
黒くてすばしっこい虫。
あまり解説したくない。
ゲームなどにはデフォルメされた外見で登場することが多いのだが、海外にはリアルなアレが敵キャラとして出てくるゲームもある。
かんべんしてほしい。




