1-9:夜のパレード
歳月とは不思議なものだ。
小さい頃憧れた舞台に、忌み嫌われるネクロマンサーが立とうとしているのだから。
ナスターシャは慎重に持ち物を確認することで、期待と不安を抑えつけようとする。
「ハンカチ、持った。カバン、持った」
薄闇の中、小麦色の指が動き荷物を身につけていく。
「マント」
土色のマントをはおった。襟を立てるのは、ちょっとでも大人びて見える工夫だ。
「杖、魔法書」
杖を抱えて本を脇腹のポーチに留める。跳ね回ろうとする金髪は香油をつけ、後頭部で結い上げた。
最後に身につけたのは、金細工のドクロがあしらわれた首飾りだ。大抵の人が不気味さに後ずさる代物を、ナスターシャは大事そうに胸に提げる。
「よし!」
拳を作りふんと息をはく。
窓から見える夜空には、ちょっと明るい場所があった。今夜の舞台から早くも明かりが漏れているのだ。
町外れに佇む、かつて闘技場だった建物。今は美しい光を空に投げかけ、何度見てもまるで神様の美酒が注がれているように見える。
興行の舞台はあちらだったが、ナスターシャがまず通されたのは、ちょっと離れた衣装小屋だった。直前に死霊と戦ったせいで、身だしなみを整えなくてはいけなくなったのだ。
「あそこニ……ワタシ……」
大きなステージを思うと、せっかく押さえた鼓動がまた高まっていく。
「まだか!」
おまけにドアが乱暴に開かれたのだから、心臓が飛び出しそうになった。エイプマンが身をかがめながら入ってくる。
「……と、すまん。準備中か」
「イエ、もう大丈夫デス」
エイプマンはきれいに剃られた顎をなでながら、とっくりと準備が終わった姿を検分する。やがて太い指が胸元を指した。
「……その、不気味な首飾りは、取れないのか?」
ナスターシャはぶんぶん首を振った。金髪が真横に振れる。
「ワタシ達死霊術師は、コレがないと力がでないんデス」
「しかしなぁ」
「か、隠すのはできマス」
マントの前を留め、首元を覆う。
エイプマンはそれで手を打つことにしたようだ。
「ふむ……よし、いいだろう! いくぞ」
ナスターシャは半ば引きずられるように衣装小屋を後にした。
元闘技場に続く広場は様々なテントでごった返している。あちこちのポスターにもあったとおり、今夜の街は、初夏を祝うお祭り騒ぎなのだ。
とびきりいい匂いもしてきて、目を白黒させてしまう。
「ふわぁ……!」
エイプマンは大きな体で人混みを割ったりはね飛ばしたりしながら、ナスターシャを闘技場まで誘った。
「この入口だ。さぁ中へ!」
勝手口をくぐり資材で狭くなった廊下を抜ける。
辿り着いたのは大部屋らしい。
少しも広い気がしないのは、着飾った演者や魔獣の檻がぎっしり詰まっているからだ。
色々な冒険者がいる。猫耳の娘もいれば、背の高いエルフ、小柄なハーフリンクス、大工らしきドワーフ。黒髪の剣士は東国の『カタナ』という剣を持っているし、陽気な化粧のピエロはなぜか異様に眼光が鋭い。
現れた新参者に全員の視線が集まり、空気がぴんと張り詰めた。
「待たせたな」
エイプマンの落ち着いた声が広間を制圧した。
大男は上着の襟を整えながら、壁にかけられた赤の山高帽を取り上げる。
「さぁ、今日のサーカスを始めるぞ」
一座のトップ、エイプマン座長は杖を取ると、くるくると回す。まるで魔術師――いや、むしろ奇術師なのだろうか。
「まずは新顔の紹介といこう」
全員の目がこちらに集まる。
「今夜の魔法担当だ」
鼓動が激しくなる。
手に持った杖をぎゅっと握りしめた。何人かはナスターシャが放つ独特な『闇』の雰囲気と、杖についた金飾りに早くも眉をひそめている。
「ナスターシャ。不死王ザラーの愛弟子にして、凄腕の死霊術師――いわゆるネクロマンサーだ」
しんと静まりかえる。
死霊術師。死霊を操る魔法使い。不気味なやつ。怖いやつ。
いやでも聞こえるひそひそ話を、猫耳の娘がたった一人で代弁した。
「は、はぁ!? ね、ねくろまんさぁっ!? どういうこと!?」
猫耳の少女は毛を逆立て、質問を豪雨のように浴びせかけた。エイプマン座長は高笑いするばかり。ナスターシャはきりきりと胃が痛くなってきた。
「わかっている、よぉく分かる」
猫耳娘の文句は止まるところを知らず、長身、長命、陰湿で知られるエルフ族の罵倒語まで持ち出して座長を糾弾した。
要するに彼女が言いたいのはこういうことらしい。
「ほんっと信じられない! ワケありなの連れてくるだろうと思ってたけど、マジで何考えてんの!?」
そのうち夜を告げる鐘が打たれた。『ぶおおお!』と大笛の音もする。開演まであと1時間といったところか。
演者たちが顔を青くする。ナスターシャも顔を青くする。
座長だけが楽しそうに顎を撫でていた。
「実力、経験は本物だ。時間はないが、今から最初のタイミングだけ合わせるぞ」
◆
「えっと、最初が霧で、次が光……」
指で手順を確認していくナスターシャに、各々の演者はすごく心配そうに顔を見合わせていた。
歓声が地鳴りのように聞こえる。
演者達が大部屋の出口、すなわちステージに向かっていった。
「……知らないからね」
猫耳娘もこちらに一睨みするとステージへ消えた。
ナスターシャは気分を入れ替えて配置につく。
元闘技場は、すり鉢状に深くなったステージを観客席が囲う構造だった。二度目の大笛を受けて座長エイプマンが舞台中央へ歩いた。
「皆様、大変長らくお待たせいたしました!」
ナスターシャはカーテンの隙間から、こっそりと進行をうかがう。
数千人の観客に囲まれても大男はちっとも迫力負けしなかった。
「今宵は、皆様をご案内いたしましょう! 私達が生き、聞き、この目で見た、冒険者の世界へと!」
エイプマンの朗々とした宣言は、嫌でも勝ち取った平和に思いを馳せさせる。
確かに、かつて世界には魔物が満ちていた。
戦える人々は冒険者ギルドに足を向け、戦士、魔術師、神官などの職業選定を受け魔物と戦った。剣と杖の時代とも言われている。
けれども魔物達の王、いわゆる魔王は少し前に討たれていた。
人間は勝利した。
魔物は減った。
そうか、と思う。
だから彼らは生き方を変えたのだ。
「よい旅を!」
エイプマンが一礼する。
ナスターシャは物陰に隠れたまま杖をステージに向けた。
「濃霧」
舞台に黒い霧が走った。
範囲は直径100メルトールにも及ぶ円形。これほどの範囲を一瞬で霧に包める術者は少ない。
観客にしてみれば、夜闇が生き物のように動いて舞台を飲み込んだように見えただろう。
「演出用の魔法は必須だけど……まさかネクロマンサーとはねぇ」
ぽつりと聞こえてナスターシャは視線を横に向ける。さっきの猫耳娘が、馬車みたいな大猪をなでていた。緑のステージ衣装は薄闇のなかでもぼんやり光って見える。
「ま、確かに上出来。いくよ」
カーテンが払われた。
ステージに満ちる暗黒の霧へ演者が吸い込まれていく。
霧の中から赤帽子が飛び出した。
いけ、今だ。
「灯明」
爆ぜる光は闇夜で魔物を探した照明魔法。霧の解除と同時にやれば、まばゆい光から演者が飛び出したようにみえる。
ドラムが観客の鼓動とリンクし、歌姫の美声が興奮を天上へと押し上げた。
さぁ、行進の始まりだ。
エイプマンが声を張り上げた。
「こちらは遙か東の密林からやってきた、ビースト・マスタァー!」
猫耳の少女が魔獣の上に乗って現われた。虎型の魔獣は大迫力の咆哮を上げる一方、樽に乗ったり、火の輪をくぐったりする愛嬌をみせる。
猫耳少女は一頭一頭の背中を飛び回り、時折、月に届いてしまいそうなほど高く跳んだ。魔獣の背筋と、少女自身の足、二つのバネを活用し、ジャンプ台のようにしているのだ。
見惚れている間に、ピエロがこれまた高くジャグリングを披露する。玉は一つ一つが光るように細工されているらしく、夜空のおかけで星を投げているようだった。
「そして空にある彼らは! この技で大空のドラゴンを叩き落としたこともあります!」
空中を交差しながら跳んでいるのは、盗賊などのジャンプ力が強化されるスキルを持つ者達だろう。ハーフリンクスなど、小人の種族はより高く飛び上がり、高く組まれた台座の上でキャッチされている。
続いて、その台座から空中に張られた綱の上。
軽業師が2人、すうっと現れた。1人は綱の真ん中に立ち、バランスを取る。その上でもう1人が体を色々な方向に折り曲げ、たたみ、観客に呼吸を忘れさせる。
エイプマンがステッキを振ると、軽業師は夜の闇に溶けるように消えた。
これはスキル、暗殺者の空蝉だ。
エイプマンが背を向け、いつの間にか置かれていた鉄の箱に近づく。
と、刀を抜いた剣士が、箱を開けずに、上部を切断。まさかと思っていると、中から先程の軽業師が現れた。
しかも2人ともが、抱えて持てそうな箱の中から、だ。入っていたとしたらどんな関節をしているのか。
「超人、そしてスキル、まだまだお楽しみください!」
観客達はそれぞれ手を叩き、声援を送る。
彼等を照らす光を絶やさないようにしながら、ナスターシャもまた演技に見とれていた。
「スゴイ……!」
選ばれた者の、磨き抜かれた技。
事前に壁に貼られていたプログラムを見やる。
東国の剣士による『天体切断』
ビースト・マスターによる『対空ブランコ』
ナスターシャはタダでみれてよかった、と心から思う。
「あっ」
横で声がした。
見ると、出番待ちのピエロが青い顔をしている。
「よ、横だっ! 横に飛べっ」
「へ」
振り向こうとした時、ナスターシャははね飛ばされていた。
なんてことはない衝撃なので、くるくると受け身を取って立ち上がる。
演者の登場ゲートで、大イノシシが鼻息をふいていた。どうやらあの鼻に突き飛ばされたらしい。彼らのちょっと小突くは、人間にとっては大激突だ。
「あ」
ナスターシャの目は点になった。
当然ながら満席のステージが包囲していた。しかもくるりと受け身を取ったことで、まるで派手な登場を決めたみたいになっている。
ぽん!と音がして隠した首飾りからウィスが飛び出し、ナスターシャは真っ青になった。
「見てみろ!」
最前列がどよめいていた。
致命的失敗だ。
「あの火、ひ、人魂だ!」
「やぁだ。気味悪い……!」
「あの装束って……まさかネクロマンサー?」
頭が真っ白になる。押し出されたゲートが地平線の彼方くらい遠くへ見えた。
突き刺さる視線。募る焦り。
なんとか誤魔化さなければ、と頭が大警報を発する。
その時、ナスターシャは周りに冷たい気配を感じた。
――パレードを。
――儀式を。
先ほど除霊したフェルシーに似た声が、より強く、より大勢で、ナスターシャに語り掛けた。
――頼む!
ネクロマンサーは本能的に、死者の声に応えていた。
「う、うまくやれれば心地よし!」
手を広げ、杖を振るう。混乱の中、憧れた口上が無意識に飛び出した。
「褒めてくくれば、なおけっこうっ?」
つま先を左右に開き、右足を前に送る。
「あ、アルカナの神々よ……!」
軸となる右足は、地面にしっかりと刺すように。
踏み切る。左足。
ターンが決まった。
スキル『死者の舞踏』を大勢の前で技を披露したのは初めてだ。
だが不安と一緒に体を突き抜けたのは、高揚感。
肩がびゅんと風を切る。膝、腰、背骨がきれいに連動し、腕は肩甲骨の流れを崩さず繊細な形に収まった。錫杖の金飾りが、円舞の名残を際立たせるように、輝く円を描いている。
これはなんだろう。
胸がいっぱいになって息苦しい。体の芯から突き上げるような、原始的で、本能的な気持ちがやってきた。
それは、喜び。
戦いも職業も関係なしに、人前で技を決める喜びだった。
「ウィス!」
ウィスが反応する。
やがて黒々としたもやが周囲に宿る。くすくす、くすくす、と死者の笑いが渦巻いた。
舞踏は死者に届いたのだ。
「力を、貸してくれてル……? デモ……」
こんなに来るなんて。
応じたのは馬蹄の音。黒いもやを突き破り、大勢の騎兵が姿を現した。
霊とはいえ迫力は本物同然。
というか、ある意味で本物なのだ。
呼び出された霊達は空中に浮かび上がると、ステージを一周し始める。彼らは七色の光を振り撒きながら、天の彼方へ駆け抜け、消えた。
それは幻にほかならない。
けれど何人かはナスターシャを見て、感謝するように軽く手を上げたように見えた。
「って――ハッ!」
気づいた時、客席は静まりかえっていた。
最悪である。
加減を間違えた。
ちょっとした虚像を生むはずが、ステージ全体に派手な幻を生んでいた。誤魔化すどころかさらに目立つ。しかも咄嗟に使ったが、これこそ忌み嫌われる死霊術ではないか。
あほだ。
「ヤバイ、ヤバイ……」
「皆様!」
エイプマンの一声で、全てが反転した。
「新人の魔法、そしてダンス、いかがでしたでしょうか!?」
その言葉こそ、まさに魔法だった。
どどお、と大風が吹いたと思ったら、それは歓声だった。降り注ぐ拍手、口笛。
「え……? えっ?」
ようやく気付く。咄嗟の死霊術を、演技の一部だと誤解させたのだ。客達は光や霧のような演出魔法と思っているに違いない。
「よくやった!」
「で、デモ」
「とにかくいいリカバリーだ」
大男は観客に手を振りながら、ステージの袖へナスターシャを引いていく。
猫耳の少女も戻ってきて、猪をぺしぺし叩いて落ち着かせた。
「わ、悪い。押したりしない子なんだけど」
そう謝ってくるが、頭に届かない。
落ちてくる喝采に、準備とは比べものにならないほど鼓動が高まっていく。
麻袋入りのおひねりが飛んできて、エイプマンの大腕がもぎ取った。
「どうもどうも! ボーナスは後で! ボーナスは後でお渡しを!」
舞台脇の暗がりに引かれながら、何度も深呼吸した。それでも知ってしまった歓声は、ステージを振り返るだけでナスターシャを惑わせる。
「パレード……」
鼓動は、今や心臓が壊れそうなほど高まっていた。
「やれるか?」
「は、ハイ!」
「よし! ショウはまだ始まったばかりだぜ」
エイプマンに応えながら、ナスターシャは杖を握り直した。
光と闇を内包しながら、サーカスの夜は進んでいく。
お読みいただきありがとうございます!
第1章はここで終わりです。
ここまででブックマーク、ポイント評価、感想などいただけましたらたいへん励みになります!
第2章は、8月8日(土)~投稿開始します。(ちょっとお時間いただきます)
それでは、また次回にお会いしましょう。