1-8:ダンシング・ウィザード
エイダの匙を出ると、もう夕方になっていた。雨はすっかりあがり、濡れた石畳が夕焼けの空を映している。
エイプマンは懐から取っ手の付いた鐘を出し、りんごんと鳴らした。
「それハ?」
「呼び鈴だ」
しばらく待つと二頭立ての馬車がやってくる。
「御者と契約をしておけば、この鐘で馬車を呼べる。馬と御者にだけ特別によく聞こえる、魔法の音が鳴るそうだ」
「へぇ~」
「ま、都会の足代わりだな」
二人は馬車に乗って移動を始めた。
ナスターシャは風がおかしいことに気づく
馬も軽くいなないて足を止めた。御者が手綱を何度振っても、馬は進もうとしない。
エイプマンがでかい身を窓から出した。
「どうした?」
「わかりやせん。なんだか、馬が急に止まっちまいまして」
ナスターシャはほとんど無意識のうちに、ポーチから金ドクロの首飾りを取り出した。首飾りが強く震えて、中からウィスが飛び出してくる。
「ウィス! ウィス!」
「やっぱり」
エイプマンが問うてきた。
「どうした」
「前に、死霊がいるのかもしれないデス」
「なんだと」
「動物は、霊の気配に敏感なのデ」
ナスターシャは馬車を降りた。
金ドクロの首飾りを身につけ、マントの前を押さえて隠す。本格的な儀式に備え、両手に金の腕輪もはめた。
気配の方へ歩き出すと、エイプマンが前に出る。
「死霊術師は専門家なのデ、大丈夫ですヨ?」
「ふん、俺だって職業は重戦士だ。後衛を先行させちゃ目覚めが悪い」
はち切れそうな筋肉で言われると説得力がある。
議論している時間も惜しいので、そのまま進むことを選んだ。黄昏時を過ぎて空は暗い。都市部の高層建築に挟まれた路地は谷底のようだ。
だんだんと死霊の気配は強くなる。
こんな場所にも貼られている祭りのポスターが、かえって不気味だった。
やがてナスターシャ達は十字路にさしかかる。
「……うん?」
エイプマンが目をこすった。
「なにか、見えるぞ」
ナスターシャにははっきりと見えた。十字路で高層建築が途切れて、薄く明かりが差し込んでいる。
そこに一人の男が佇んでいた。
「泣く者、デス」
「……なんだそりゃ」
「何らかのメッセージを伝えてくる死霊デス。荒野にいるのは普通デスケド……どうして街に」
エイプマンは声を潜めて尋ねた。
「泣き女みたいなもんか?」
泣き女、ヴァンシーとは色々な場所で伝承に残る死霊だ。泣きながら現れ、重要なことを予言するという。
地域によっては、お告げをくれるありがたい神様として扱われることもあった。
「デス。フェルシーは、その男性版になりマス」
刺激しないように、ナスターシャはじっと幽霊を観察する。風音に混じって、微かなすすり泣きが聞こえていた。
「害は?」
「ナイ、デス。メッセージを伝えるのが目的の死霊ナノデ」
とはいえ専門家としては除霊をするべきだろう。昼間の霊のように、誰かにとりつく可能性もゼロではない。あくまで伝承は伝承だ。
ナスターシャが一歩踏み出すと、死霊はこちらに気付いた。死霊特有の生気のない頬に、穴のように真っ暗な目。瞳がある位置にオレンジの火が燃えていた。
「こっちに気づきましタ」
ナスターシャはエイプマンを避けて、進み出る。
「泣く人よ、あなたの言葉を聞かせて下サイ」
いくらか大仰な言い方だが、これが伝統にならった呼び掛けである。
しかし反応はない。
「……聞こえてるのか?」
仕方がない。
つま先で立って、錫杖をならした。
「アルカナの神々よ……!」
比較的強力な除霊を用いる。
言葉と舞いを組み合わせ、より複雑で、強力な除霊を表現するのだ。
「今より送る勇士の魂に、安らぎを!」
錫杖を風車のように回した後、ターンを踏み切る。舞うような動きで、たちまち円の軌跡を二つ描いた。
「魔方陣の円形を、体の動きで表現するか」
エイプマンが舌を巻いていた。
錫杖が描く、円形の軌跡。その一つ一つがまばゆい光を発し、幽霊へ投射された。
おお、とうめき声が大きくなる。フェルシーは身を屈めると、矢のようにナスターシャに飛びかかってきた。
「っ!」
錫杖で慌てて防ぐが、衝撃を殺しきれない。吹き飛ばされたナスターシャは、ゴミの山に突っ込んだ。
「大丈夫かっ!」
「平気デス!」
ずぼっとゴミ山から頭を出したナスターシャに、エイプマンは鼻をつまんだ。
すぐに体勢を立て直す。魔法使いとはいえ簡単に倒れるな、とは師匠の教えだ。ナスターシャは受け身を叩き込まれていた。
「攻撃を受けたのか?」
除霊を受けたことで、フェルシーはエイプマンの目にもはっきり見えるようになったらしい。ナスターシャを守るように立ちながら、大男は言った。
「ああ、くそ。無害なやつじゃなかったのか?」
「強い未練とか、想いがあると、除霊に抵抗しマス。でも、大人しい種類のハズデスケド……」
「大人しいってお前……」
エイプマンは口をつぐんだ。死霊は宙に浮かび上がり、こちらを見下ろしている。
「どうするんだ?」
「助けマス。このままだと、メッセージを残さない限り、ずっとこの世界を彷徨ってしまうノデ……」
ナスターシャはつま先で立ち直した。修行を思い出せ。
呼吸を整え、足を正しい位置に。
再び錫杖を風車のように回す。両手を広げると、軸足を前に出し旋回へと踏み切る。
飛びかかろうとするフェルシーを、エイプマンが咆吼で制した。前衛職のスキル、敵の動きを抑制するウォ-・クライ。
「アルカナの神々よ!」
錫杖を地面に突き、涼しげな音を散らす。
死霊術師にとって金は魔力を宿す触媒だ。
魔力を宿した錫杖が、腕輪が、闇夜に次々と円を生む。
より強力な除霊には、より多くの円を描くことが必要なのだ。
「祝福と成功の神、サニよ」
死霊術師に長く伝えられてきた、霊に奉じるための舞いだ。
伸ばす手は可能な限り優雅に、そして雄弁に。
右足と左足の位置が目まぐるしく変わる。第1から第6まで定められた足の位置があり、ナスターシャは印を結ぶように、いくつもの型を正確に入れた。
剣士が構えを変えるようなものだ。
魔法を生み出す円は、足位置を変えること――ステップとステップの間に生まれるのだ。
「彼の者の前途を照らしたまえ!」
手足と錫杖を目一杯に伸ばし、馬車がくぐれるほどの大円を結んだ。
ひるむフェルシーからどす黒いもやが噴き出す。ナスターシャが錫杖を振るうと、暗黒の煙はまばゆい光と化し、次々と、爆ぜるように、路地を照らした。
「これは……」
「想いが強すぎると、きれいにこの世界から消えられまセン。だから……」
「むしろ荒れ狂わせるってわけか」
エイプマンは唖然としていた。
神々の力を借りて、死霊から力を引っぺがす。その力に指向性を与えて荒れ狂わせる。
「これが除霊だってのか?」
「死霊術師のやり方デス。発散させないと、消えない気持ちもあるカラ……!」
そもそも、死霊術師の力の源は、死者との対話だ。『まだ戦いたい』という死者の未練があり、それを骨にこめればスケルトンに、死体にこめればゾンビになる。基本は同意に基づく使役なのだ。
未練を何らかの形で発散させていると考えれば、ゾンビやスケルトンの使役も一種の除霊である。
ただし、もう戦いはない。
そういう時、未練の発散は別のやり方になる。今回で言えば、光と音だった。
「大暴れして、すっきりさせるってことかよ」
「そーいうことデス!」
エイプマンはあんぐりと口を開けている。
舞踏を続けるナスターシャに応じる余裕はない。一際大きく体を回すと、光がさらに強まった。
「……そういや聞いたことあるぞ。死霊術は不人気な分、なり手が少なくて古いやり方がまだ残っている」
興行師は目を見開いたまま何度も頷いていた。
「踊る魔法使い――ダンシング・ウィザード」
エイプマンがぱちんと指を鳴らすのと、ナスターシャがステップを決めるのはほぼ同時。
「イケる!」
「あと少シ……!」
ナスターシャは、このフェルシーが激しい戦いの中にあったことを知った。
フェルシーはナスターシャを見て、涙を流している。その顔が少しだけ穏やかになったように感じるのは、除霊する側の傲慢だろうか。
風に乗ってフェルシーの囁きが、残すべきメッセージが、聞こえてくる。
――パレードを。
そう聞こえて、ナスターシャははっとした。
――儀式を。
光が消える。
ナスターシャは息を呑んだ。
――頼む!
「今の……」
死霊の声が、微かに聞こえた。
パレード? 彼らは、パレードと言ったのだろうか?
ナスターシャは死霊術師として、死者の声に耳を澄まそうとする。けれども彼らは除霊を経て、死者と生者を隔てる壁の向こうへ言ってしまった。
周りも騒がしくなってきた。あれだけの光を出したのだから当然だが。
通りの窓が次々と開き、多くの人が顔を出してくる。騒動が収まったのをみてか野次馬も集まってきた。
「ヤバっ」
ナスターシャは慌てて身を隠そうとした。まだ死霊術師の証、金の錫杖と、首飾りを付けたままだ。
一人がナスターシャを指す。
「……誰かいるぞ!」
無遠慮な視線を遮ったのは、大男だった。
どん。
どん。
ゴリラのように大胸筋を叩いて、エイプマンが声を張った。
「……冒険者の興業団、パレード!」
しんと辺りが静まりかえる。
「今のは、我々の宣伝でありまぁす!」
にっと力強い笑みが辺りを制圧した。
人差し指が天頂を指す。
「天候回復につき、予定どおりに公演! 今宵! 今のごとき光が、あなた達を連れて行くことを保証いたしまぁす!」
エイプマンが鐘を鳴らしまくる。野次馬を蹴ったてるように馬車がやってきて、ナスターシャとエイプマンを拾い上げた。
「今はもう失われ――だがしかぁし! 我々が生き、聞き、この目で見た、かつての冒険の世界へと!」
エイプマンは半身を馬車から乗り出したまま、夜の市街に呼びかけていた。
きっとどんな死霊術師でも除霊できまい、商魂という名の魂だ。
「お集まりあれ! お集まりあれぇ!」
夕方の街を馬車が駆け抜けていく。椅子の手すりに掴まりながらナスターシャは言った。
「あっ! ギルドに、死霊の連絡をしないとデスネ」
「ほう。感心だな?」
「……それくらいしかできないデスケド」
街中である程度の強さの死霊を退治した場合、ギルドへの報告が義務付けられている。野犬や強盗ならば領主の兵士が仕切っていることも多いが、魔物ならばどんな街でも冒険者ギルドに報告しておけば適切に捌いてくれた。
ただ面倒を嫌う冒険者には無視されることも多い。
「わかった。でも今はショウまで時間がない、パレードから人をギルドにやるのでどうだ?」
「……了解、デス」
しかし、最後のあの囁きはなんだろうか。
パレード、そう言っていたようにも聞こえたが、しかしいくらなんでも――。
「うーん?」
そんな風に色々と考えていたが、エイプマンの呟きで現実に引き戻される。
「そろそろだ」
裏路地を抜ける。ぱっと視界が開けた。大通りだ。
暗くなり始めた空に浮かび上がるように、大きな建物がたたずんでいる。
「あそこが、今日のステージ。元闘技場だ」
壁のあちこちにすでに篝火が焚かれており、時折、ちかちかと魔法の光が内側から空へ投射されるのが見えた。きっと天井が開いているのだ。
ナスターシャには、巨大な盃が置かれていて、中身が光を照り返しているように見えた。
「とびきりのでかいハコだろ? 腕利きの魔法使いじゃないと照らしきれないわけ、分かるだろう」
パレード。
冒険者による、サーカス団。
「これガ……!」
ナスターシャは気付くと、座ったままつま先を立てていた。
幼い頃のあの日、どうして師匠がナスターシャの目を塞いだのかに気づく。
きらきらしたものに目を奪われて、ちょっとでも見ようと、あるいはそこに至ろうと、足りない背のためにつま先で立つ。
憧れ。
その気持に名前がつけば、きっと追いかけてしまうから。
ナスターシャは光が満ちるパレード会場を見つめる。
やってみよう。
自分に言い聞かせて、両の拳をぎゅっと握る。
鼓動が高まってきていた。
〔冒険者登録票〕
名前:エイプマン
性別:男性
年齢:29
職業:重戦士 レベル12(最大は15)
スキル:ウォー・クライ(味方を鼓舞し、敵をすくませる)
防壁(味方の盾となる。その間、自分の防御力は上がる)
憤撃(斧による強力な一撃)
ほか、各種、斧による攻撃スキル。
アルカナの暗示:戦車(行動力と積極性。つまりイケイケの神様デス!)
※
アルカナの暗示は、ナスターシャが暇な時にカードで占うもの。要は運勢、あるいは生き様。
冒険者登録票の記載事項ではない。
20種類ほどの暗示があり、それぞれ意味が異なる。
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お読みいただきありがとうございます!
次回で1章は最後になります。
明日も投稿予定です。