1-6:マジシャン
ナスターシャはエイダの匙に宿を取り、パレードからの連絡を待つことにした。
時々入口が開いて慌ただしくお客が駆け込んでくる。夕方から急に雨が降り出したのだ。
こうも天気が荒れては、ナスターシャも職探しには出歩けない。
水売りの言葉通り、エイダの匙にはさまざまな求人が貼り出されていた。猫探し。窓修理。メイドの募集。数も種類もただの酒場とは思えないから、きっと仕事の紹介場として地元では有名なのだろう。
ナスターシャは目につく職の一つ一つをぼうっと見て過ごした。
存在は知ってはいてもやったことがないものばかり。
どれを選んでも人生は分岐していくのだろうか。
「パレード……」
思い出すのは、灰になった師匠のことだった。
◆
ナスターシャが師匠と出会ったのは、まだ10歳にもなっていない頃だ。この時からすでに師匠は老齢で、節くれだった手の感触を今でも覚えている。
ネクロマンサーの適性を見出され、身売り同然に両親から送り出された。涙はあまり出なかったように思う。
考えてみれば変な娘だったろう。
旅が続いたある日、師匠は大きな街でこう言った。
「闘技場に行くぞ」
それは魔物と人間、あるいは魔物同士の戦いにカネを賭ける場所だった。運営は冒険者ギルドが行っており、少なくない『あがり』が街の財政とギルドを潤していると伝えられた。
ナスターシャは嫌な気分だった。
当時は傷つけるのも傷つくのも嫌だったから。
「血に慣れろ」
だが師匠の言葉通りだ。
試合は恰好の教材にもなる。
他の場所でも、師匠は『お前には才能がある』の一点張りで、村を出たばかりのナスターシャに死霊術師の教育を施していた。
そんなこんなで実際に闘技場に出向いた時、ナスターシャがかいだのは血の臭いではなく、甘い香りだった。
たっぷりの蜂蜜に、キャラメル、そうした出店が闘技場の前に並んでいたのだ。
「なんだ」
師匠は鼻をならした。不愉快なものを嗅いだように。
ナスターシャはお腹を鳴らした。師匠は舌打ちをして、お菓子を買ってくれた。
闘技場に入ってさらに驚く。ひっきりなしに行われているはずの試合は、全て中止になっていた。
「魔物を、誤って殺しちまいまして」
師匠と顔なじみに役人がそう弁解する。師匠は問うた。
「戦いはないのか?」
「今は、別の興業団が入ってくれてます」
覚えているのは奇蹟だった。なぜなら、ナスターシャの目線はステージに釘付けになっていたからだ。
「スゴイ……!」
光と音の行進だ。
魔術師が見事な灯りを投げかけ、戦士が吠え、盗賊が跳躍を決める。
記憶の中の彼らは、きらきらしていて、自信に満ちていて、伸びやかに全身を使っていた。体を動かすことが喜びなのだ。
「冒険者による、興業団!」
隊長らしい男がそう大声を張り上げている。
細身に、ステージ衣装。手にはステッキ。そして不思議な形の帽子。
「うまくやれれば心地よし! お褒めいただければなお結構!」
次々と演目が披露される。
ナスターシャは、演者の一人一人が、冒険者であることに気付いた。
盗賊の軽業。剣士の刀捌き。魔獣たちが曲芸を披露する。それらが魔法の光に演出され、見事なショウになっているのだ。
「わぁ……!」
輝くステージに、ナスターシャは目を奪われる。
魔獣の力を借りて空中に飛び上がる技。鉄の箱を切り刻む斬撃。遥か彼方にも聞こえそうな歌声。
ネクロマンサーには無理なものばかりだ。
魔法に属性――土水火風雷、そして聖と闇――があるように、人生にも属性があると思う。ナスターシャは明らかに『闇』に携わる仕事になり、暗いところをコソコソ歩くことになると、幼いながらに思っていた。
だからこそ、彼らが眩しい。
気付くとつま先で立っていた。教えてもらったような、つま先で立ってくるりと舞うやり方を彼らも取っていたから。
体が勝手に動き出そうとする。踊りは好きだ。向いてもいる。その適性を見いだされ、死霊術の源流に近しい舞踏を仕込まれるほどだから。
「もういいな」
目の前が真っ暗になった。
師匠の手が前を塞いだ。
「こんなものを見るな」
怖い目をしていた。
「……あんなものは、まがい物よ」
「まがい、モノ?」
「あそこでやっているのは、街にいる冒険者だ。大勢の駐屯にはカネがかかる。不満も溜まる。だから住民との交流会ってわけだ――くそ忌々しい」
魔王との戦いが続いていた頃から、冒険者による興行団は慰安のために存在したようだ。ナスターシャがかつて見た一団は、今の『パレード』の源流の姿なのだろう。
師匠はナスターシャに向きなおり、屈むことで目線を合わせる。
「いいか、冒険者は戦うものだ。俺達は戦う」
師匠は言い含めた。
「お前は適性がある。最強の死霊術師になれる。なれるんだ。死者の声を聞き、恨みと怒りを練り上げるんだ」
師匠は馬鹿にするような目を、光満ちるステージに向けたものだ。
「……あんなものは、まがいものよ」
『最強』になれ、と師匠は言った。
言ったまま灰になった。
だからナスターシャは本当は今でも思っている。
――最強になって、どうするの?
地下墓地に放り込まれる。発狂するほどの知識を詰め込まれる。死霊術師の修行を適性でこなしながらも、疑問は消えることはなかった。
私は最強になりたいのだろうか。
◆
一際大きな雷が店中を揺らした。
「お客さん」
ぶっきらぼうな声に顔を上げる。
「ご注文を」
「ア、ハイ――」
気付くと何も注文せずに、1時間以上ただ座っていたことになる。
ナスターシャは慌てて壁のメニューを見た。けれど視界が滲んだ。
「……アレ?」
ぽたり、ぽたり。
水滴がテーブルに落ちる。雨漏りかと思ったが、違った。ナスターシャ自身の涙だった。
店員がぎょっとして後ずさる。関わり合いになるのを避けるように、そのまま奥へ引っ込んだ。
「……師匠」
強くなれ。強くなれ。
その一点張りで、殺人的な修行を命じてきた。幼い頃は気にもしなかったが、冒険者として自立し、他のパーティーと関わるようになってからはさすがにおかしさに気付いたのだ。
「なのニ、平和になったラ死ぬなんテ……」
ずるい。ひどい。
そして――悲しい。
冒険者は死亡しても、神殿など特別な施設へ大金を払えば、相応の確率で蘇生が見込める。ただし二度と戻らない、本物の死を迎えることもある。
大金を払った蘇生も必ず成功するとは限らない。蘇生術を失敗した場合、大抵の遺体は灰となり二度と蘇らない。
冒険者にとって永遠の別れとは、遺体が灰になった場合だ。
ナスターシャの師匠ザラーのように。
「師匠……」
灰は何も教えてくれない。
冒険者は自己責任の世界。ネクロマンサーを続けたことも、キーンの誘いを断ったことも、全て自分の責任だ。
だから情けなさと悔しさは一度意識すると再現なく自身を責め立てる。
「死霊術師でも、戦わない生き方、できるのかナ……」
再び、雷。
ドアが開いて一際強く雨風が吹き込んできた。
ナスターシャは染みついた動きで入店者を確認する。
ひどく大きな男だった。
「魔術師はいるか」
男は言ってフードを取る。頭が天井スレスレだ。
「……失礼ですけど、あなたは?」
ウェイトレスが問うた。大男はにやりと笑う。明らかに元冒険者、それも戦士などの前衛職の体格だ。
男が雨よけの外套を取る。
ナスターシャはその装束が上物であることに気づいた。筋肉ではちきれそうな体をピシッと包み込んでいるということは、一点物の上等品を仕立てたということだ。ヒゲもきれいに剃られていて、巨体の冒険者にありがちな粗野なイメージはわかない。
大きな目は迫力がある一方、好奇心が強そうな、不思議な愛嬌があった。
「俺か? 俺も魔法使いだ。もっとも……奇術の方の、奇術師だけどな」
岩石のような手が何度か閉じられる。と、何も持っていなかったはずの右手には、いつの間にか花が握られていた。
「お一ついかがかな」
冒険者サーカス団『パレード』現座長のエイプマンは、不安がるウェイトレスに一輪の花を差し出した。
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