2-6:ビースト・マスター
「エイプマン!」
大イノシシから降りるなり、少女は腰に手を当てた。
小柄な少女で、オレンジ髪から猫耳がひょっこりと飛び出している。
獣人だ。大きな獣に乗ってきたということは、その種族に最も多い魔獣使いだろう。強大な魔獣と通じあい、従える職業だ。
猫耳少女はエイプマンを睨み、次いでナスターシャを睨み据えた。
「ね、死霊術師をジルバの代わりに雇ったの? そんな話、あたし聞いてない!」
小さな体で少女はどなる。
さらにナスターシャに食って掛かろうとしたところで、その頭にドワーフ種族のげんこつが降った。大工チームの棟梁だ。
「馬鹿野郎! てめぇ、あのでっけぇ入り口が見えねぇのかっ!? なんで壁破るんだ!」
「ステージの練習よ」
「誰が直すと思ってんだこの馬鹿野郎!」
言い合いがヒートアップしていく。ナスターシャはぽかんと口を開けていた。
「とにかく!」
ぎろり、と音が聞こえそうな迫力で、アーモンド型の目がナスターシャをとらえる。
その体をエイプマンの太腕が持ち上げた。
「ミリィ。どこにいたんだ?」
「魔獣の檻よ! ちょっとみんなが落ち着かないみたいだったからね」
掴まれたまま、ミリィという少女は尻尾と手足をばたばたさせた。
「戻ってきたら、ネクロマンサーをジルバの代わりにするですって!? なんでまたそんな」
エイプマンは仕方なさそうに嘆息した。
「ジルバは一時的に外れる」
「なんでよ! さっきは治ったって聞いたわよ!」
「研究だ。もともと金等級の冒険者だ、事情があるんだろう。空きは誰かが埋めねばならん」
「でも……! だからって……!」
「やれやれ。その分じゃ、朝のミーティングも回覧も見てないな?」
うぐっとミリィは詰まった。
演者チームのリーダー、ティーチがしなを作って肩をすくめる。
「テイマーは魔獣の世話が優先だからね。そのせいで情報が遅れたのね、ごめんなさい」
「それはいいけど……!」
ミリィは頭をぶんぶん振った。尻尾も揺れる。
「おいおいミリィ」
エイプマンは猫耳少女を頭の高さまで持ち上げた。
「ミリィ、君だって彼女の実力は買うだろう? 昨日の夜、ステージを照らし続けた魔力の量、そしてスタミナ。紛れもない銀等級、つまり一流、そう、パレードに相応しい人材というわけだ」
よくもまぁくるくると口が回るものだった。
エイプマンは荒くれ者の体格なのに、どんな魔法使いよりも口がうまいかもしれない。
「ネクロマンサーなのよ!」
「興業団のルールを忘れたのか? 人種や、職業、これらでの区別はご法度だ。どれだけ興業団に貢献できるかで判断する」
「でもね、知ってんでしょ! あたしはネクロマンサーが、き、き……」
ミリィは声を詰まらせた。頭を抱えてうんうん唸っている。
「に、にににに! き、き、きら……! ああもう!」
本音では嫌いと言いたかったようだが、ミリィは口を引き結んでナスターシャを睨み上げた。彼女の気持ちを代弁するように連れてきたイノシシが鼻息をふく。
「……じゃあ! ここで実力を見せてよ!」
そんなこんなで、ようやく話が始まった。
まずは訓練といくらしい。
アーモンド型の目がくりくりと動いてナスターシャを見上げた。
「言っとくけど、初日のショウと、テントのショウは違うのよ。お客との距離が近いからタイミングはかなりシビアになるし、1人で魔法を何種類も同時に使わなくちゃいけない」
あ、とナスターシャは気づいた。
確かに初日は他にも魔法使いがいた。たとえばネクロマンサーが急にステージに飛び出しても、他の人もいたからある程度はごまかしがきいたのだ。
しかしこのステージの広さでは、そういうわけにもいくまい。
「共鳴、デスカ……」
狭い範囲に魔法使いが密集すると、互いの魔法が干渉しあうのだ。魔法が消えてしまうくらいならいいが、時にはまったく別の効果が出たりする。
「そ。だから、タイミング、コントロールも超精密」
ナスターシャは立て続けに3種類の魔法を放った。ここでなめられては銀等級の名がすたる。
「灯明――光で周囲を照らす、基本中の基本デス」
初日のパレードでステージを照らしたのは、ナスターシャのほぼ最大光量だった。洞窟であのレベルの光を出すと、数十秒は敵の目をつぶせるだろう。
「次は、濃霧――暗い霧を生み出しマス」
天井付近に暗い霧が満ちる。灯明の魔法を雲が遮ったようになり、図らずも本物の空のようになった。
なるほど、演出とはこのように組み合わせて使うのかもしれない。
「三つ目は、空音――何もないところに音を生み出しマス。ちなみに音は予め吹きこんでおけバ、大抵の音は大丈夫デス」
今回はポン! ポン!と何かが爆ぜるような音を生み出してみた。
「いわゆる3点セットだな」
エイプマンが顎をさすった。
この基本の補助魔法は有名で、多くの魔法使いが愛用する。
周囲を照らす灯明。
暗い霧を生み出す濃霧。
離れた場所に音を生み出す空音。
視角と聴覚に作用する単純な魔法だが、単純ゆえにあらゆる敵に効果がある。
「基本はいいわね」
演者のリーダー、ティーチは長い手で拍手を送ってきた。
「パレードでも主にこの3つを使うわ。でも確かに、複雑な演技では、タイミングこそ大事になるの」
そう言ってティーチはミリィを招いた。
「ふふ、ミリィ?」
「なに?」
「今度はあなたの演技を見せてごらん」
ティーチは顔の下半分を口にして笑った。
ミリィは口笛を吹いた。するとステージの近くで控えていた大猪が、のっしのっしと歩いてくる。その近くには子猪や猿が続いていた。
「ちゃんと名乗ってなかったわね。あたしは、魔獣使いのミリィ。冒険者ランクは銀等級よ」
大猪の鼻息で土が舞い上がる。ナスターシャは咳き込んでしまった。
「しっかり見てな、ま、目で追えたらね」
挑戦的に言った瞬間、ミリィが消えた。
冒険者の動体視力をもってしても、大猪の鼻に足をかけるところまでしかみえない。
「と、跳んダ……?」
「そう!」
応える声は、天井高くから。
「猪ってね、突進もそうだけど、上にかちあげる力がものすごいのよ!」
ナスターシャは唖然とした。
いわば生きているジャンプ台というわけか。
ミリィは天井近くのロープに捕まり揺れていた。
ティーチがパン!と手を叩く。
「霧よ、さぁ死霊術師、やってみなさぁい!」
しゃんと錫杖を鳴らして呼気を整える。
「濃霧!」
天井付近に生み出した霧はミリィを覆い隠した。目をこらすと、中で縄から縄へ飛び移っているミリィがみえる。
「これはお見事! さぁお次は灯明よぉ!」
錫杖を振る。
まばゆい光が霧を裂き、照らされた場所へミリィが降り立った。動きが絶えたステージ。濃霧の残滓が微かにたゆたっている。
ナスターシャは息をのんだ。
小柄なミリィが何倍にも大きく見える。まさに魔獣だ。霧立つ森で狩りのために全身の力を貯めて身を潜める小さな狩人。
他の演者とは少し違う、とナスターシャは感じた。
この覚悟と緊張感はなんだろう。
「……こんな感じ」
ミリィに声をかけられて、ナスターシャは息を止めていたことに気づいた。
「このスピードを覚えて、しっかりと、正確に魔法を使う。テントはステージよりも小さいから、ワザで魅せるってわけ」
できる、と翡翠色の目がナスターシャに挑戦してきた。
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次回は日曜日(8月23日)に投稿予定です。