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2-3:契約継続


 まったく素晴らしいサーカスだ。

 それが夜のショウに対する観客の評価だった。

 屋台や酒場はその話題で持ちきりで、人々は興業団が見せた素晴らしい魔法と、使い手の正体について口々に噂しあう。

 死霊術師(ネクロマンサー)ではないか、という声も少なくはない。

 けれども迫力に度肝を抜かれた世間口はその仮説をかき消してしまう。多くの人にとって、ネクロマンサーとは不気味な術しか扱えない、人気とは対極の存在だった。

 翌日の朝。

 酔いと夢が醒めゆく頃、聖都モーゲンの人々はぼんやりと思っていた。


 ――あれだけの腕前だ。きっと大枚はたいて雇った、どこかの大御所に違いねぇ。


 ――今頃は貴族みたいな屋敷で寝てるんだろう。



     ◆



 もちろんそんなことはなかった。


 エイプマンがナスターシャに告げたとおり、モーゲンの城壁外にはパレードが管理するテントがある。

 中心を占めるのは大テントと呼ばれる巨大な円形の天幕。それを囲うように小さなテントが設置されていた。まるでテントでできた集落だ。

 ナスターシャは一つを寝床として与えられた。

 世間の話題になっているとはつゆ知らず、死霊術師(ネクロマンサー)ナスターシャはまだ深い眠りについている。


「白いパン……黒いパン……へへへ……」


 やがて日が昇る。テントの内側を照らしたのは、陽光ではなく、荷物入れから飛び出した光の球だ。


「ウィス! ウィス!」


 ウィル・オー・ウィスプ――いわゆる人魂は、ナスターシャが使役する死霊だ。

 ウィスは毎日の仕事を始めた。


「ウィス! ウィス!」


 声は次第に大きくなる。

 ナスターシャは起きない。ぐうぐう眠っていた。


「ウィス!! ウィス!!」


 ばたばたと音がして、入口のカーテンが開かれた。


「うっさい! なんなのぉ!」


 オレンジ髪の少女が目を見開いて現れた。

 寝起きらしく翡翠色の瞳をぐしぐしとこすっている。巻きがちな髪に手ぐしを入れると、猫耳がぴょこんと飛び出した。


「……へっ!?」


 猫耳の娘は硬直した。

 ハンモックに死体が寝ていたからだ。


「ウィス! ウィス!」


 ナスターシャは朝が弱い。

 低血圧で青白い顔。なぜか半開きの目。口元には笑みが広がっている。


「き、昨日の死霊術師(ネクロマンサー)……? なんでこんなとこに?」


 猫耳娘の視線が下りる。

 暑かったのか、薄い布団は足ではね除けられていた。寝間着は乱れ、それなりに起伏のある肢体が景気よく肌をさらしている。


「ウィス! ウィス!」

「う、うっせー! これ止めろ! こちとらの魔獣が起きちゃうだろ!」


 猫耳娘は何度か肩を揺すり、頬を叩き、それほど持ち合わせがない忍耐をあっという間に消費した。

 猫耳娘は意を決してテントを飛び出す。再び戻ってきたときには、金だらいやフライパンなど、ありったけの金具を両手に抱えていた。


「起きやがれ! エロゾンビ!」


 彼女はパレード全員を叩き起こした。



     ◆



「寝過ぎたっ!」


 ナスターシャは飛び起きようとして、ここが固い寝床ではなくハンモックの上であることに気が付いた。


「うわっとと」


 手をつこうとしても、近くに支えとなるものはない。結果ナスターシャは落ちた。

 猫耳の娘が冷ややかにナスターシャを見下ろしている。なぜか手には金だらいやフライパンを持っていた。どうやらこの猫耳娘が起こしてくれたらしい。


「え、エヘヘ……」


 頬をかきながら身を起こす。彼女はナスターシャを見て――主にサラシを取った胸の辺りを――顔をしかめ、盛大な舌打ちをしてみせた。

 なんだろう。余計に怒らせた気がする。


「失礼します」


 そう言ってエプロンをした娘が入ってこなければ、ナスターシャは八つ裂きにされていたかもしれない。


「これ、朝食です。持ってくるようにと」


 棚に置かれたのは、白くて美味しそうなパンと、よい香りがするキノコスープだった。ぐぅ、とお腹が鳴る。


「ふん!」


 猫耳の娘は後を向いた。黒い尻尾が苛立たしげに揺れている。


「あ、あの」


 忍び込んだと思われてはたまらないので念のため声をかけたが、その心配は無用だった。


「……いい、事情は聞いた。それ食べたら座長のテントに行って。じゃあね!」


 ぴしゃりと言って猫耳娘は足音荒く去って行った。

 当たりがきついのは死霊術師(ネクロマンサー)だからだろうか。

 一応、昨日も頑張ったし、泊ったのは死霊を不安視した座長の采配なのだが。

 悲しく思うが、見慣れた対応なのがこれまた悲しい。

 ぼそぼそと食事を済ませる。髪を縛り、除霊に備えての準備運動をしてから、ナスターシャはエイプマンのテントを訪れた。

 座長のテントは執務室を兼ねているようでやや大きい。カーテンが下半分開いている。

 ナスターシャはこほんと咳払いをした。


「……座長、いますカ?」


 声をかけると、エイプマンが入口のカーテンを開けた。赤を基調とした仕立ての良い服を着ている。決してサイズが合っていないわけではないけれど、筋肉で胸のボタンがはじけ飛びそうな気がして、ナスターシャははらはらした。

 エイプマンは指で招き入れる。


「おう、来たか。入ってくれ」


 中は狭い。書類が組み立て式の棚からはみ出しているというのに、エイプマン自身がかなりの空間を占有する。

 ナスターシャは椅子を見つけ、書類をどけてから座った。


「おはよう、さて……実はちょっと報告があってな」


 座長は困惑したように太い指で頭をかいている。


「死霊に取り憑かれているかもしれない魔術師(マジシャン)だが……」


 エイプマンはひどく言いづらそうだ。ナスターシャは青くなった。


「ま、まさカ……!」

「うむ。あっさり全快した」


 力が抜けた。

 そっちか。


「よ、よかったデス……!」

「うむ。心配して損したぜ。むしろ、治った治ったとはしゃいでやかましいと、苦情の手紙が来たほどだ」


 病が治ったのもよいが、死霊によるものではなかったというのが、何よりの吉報だ。高位の冒険者を苦しめる死霊が街中にいるとなれば、普通は大事件だ。

 ドラゴンが街に潜んでいるのと大差ない。


「君にも昨日はパレードのテントを見てもらった。そこでも死霊の痕跡は見付かっていない」


 ナスターシャが寝坊した原因は、昨日死霊の痕跡がまったく見られなかったせいだ。見付かれば話は早いのだが、見付からなければ念のためさらに確認ということになる。

 日が変わる鐘が鳴り、月が傾き始めても、ナスターシャは目を皿のようにして死霊の痕跡を探したものだ。


「確かニ、なかったデス」


 結果は、死霊はいない。

 ウィスを飛ばして範囲を広げても、まったくのゼロだった。

 エイプマンはタバコの煙を吐き出す。


「死霊については、気にしすぎだったかもしれんな」

「……で、ですかネ」

「ああもちろん、仕事の代金はきっちり払うぞ」


 渡された麻袋には銀貨がきちんと入っていた。

 ナスターシャはほっとする反面、やはり寂しさを覚えてしまう。麻袋が昨日もらったおひねりを思い出させるせいだろうか。

 でも、欲張りはいけない。

 昨日のステージは、一夜限りの夢でしかない。これで本当に、おしまいだ。

 ぎゅっと膝の上で組んだ手を握る。

 名残惜しいのは、まだ死霊が気になるから――だけじゃない。


「あ、アノ……!」

「ところで、だが」


 エイプマンは被せるように告げた。


「今言った魔術師は、ジルバといってな。ウチの所属だが高名な魔術師でもある。冒険者の等級は、金だ」

「き、きん……!」


 冒険者の金等級とは、最上位ランクだ。世界に十数名しかいない。一説によれば銀等級は上位10%。金等級は1%よりずっと少ないという。

 1つ下の銀等級が一流と言われる所以であった。


「賢者ジルバ――そ、そういえば聞いたことありマス」

「うん、しかも勇者勲章持ち。ま、英雄の一人だな」


 冒険者でも特に実績が認められれば、本来の冒険者の等級とは別に、勲章が贈られる。『勇者勲章』とは最も名誉がある。

 そんな人までいるとは、この興業団は何者なのだろう。


「そのジルバがしばらくパレードを休みたいと言ってきた。どうしても、それも緊急に、研究をしたいことができたそうだ。つまり……」


 エイプマンはナスターシャを見つめた。


「契約の延長に興味はあるか?」


 ナスターシャはぽかんと口を開けてしまった。


「この際だ、ざっくり言おう。もうしばらく、ウチのパレードにいてもらいたい。もちろん、1回限りの報酬ではなく、期間に応じた日給制に切り替えよう。ジルバがいない間、最高位の魔術師(マジシャン)の穴は、別の魔法使いで埋めねばならん」


 ずっと黙っているナスターシャに、エイプマンは不安そうに顔を近づけた。


「……どうした」

「ア……」


 ナスターシャは急き込んでいた。


「あ、ありがとうございマス!」

「うおっ!?」


 がたんと椅子を蹴倒してナスターシャは言った。手を組み合わせてエイプマンににじり寄る。


「わ、ワタシ、頑張りマス!」

「な、なんだ、ずいぶん昨日のパレードがお気に召したようだな?」

「は、ハイ……! すごく、キレイで……!」


 ナスターシャは目線を下げ指を絡ませた。


「ドキドキした、デス。皆さん、素敵デシタ……!」

「はは、なるほど? こいつはお互いにとっていい契約だったようだな?」


 こくこく頷くナスターシャに、エイプマンもようやく笑う。


「ならばもう一つ言おう。予め言っておくが、これはまだ俺の腹案だ」


 その後、エイプマンはナスターシャがひっくり返りそうなことを言った。


お読みいただきありがとうございます!


次話は、明日に投稿いたします。

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