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「橘さんは、なぜ俺に指導してほしいと思ったんだい」
唐突にされた質問にドキリとしながらも、悟られない様に落ち着いた風を装います。
「失礼とは思いますが……。お若いので話し易そうだと思ったのと、小柄な私に合った戦い方をご存知かと思って」
私もまだ伸びるとは思っているけれど、平均身長より大きくはならないでしょう。そして、成長は止まっているはずの井口さんが平均以下であるのも、昨日の稽古から見て取っていたのでそう答えたのです。
もっとも、顔が好みだとかは思っていても言えるものではないし、中学生がそんな事を言っても迷惑以外のなにものでもないのも承知しています。
「これでも相当の実力者で、道場内でも強さは上位なんだぞ」
「これでもってなんだ。背が低いのはしょうがないだろうに」
援護射撃のつもりで口を開いた翔真君だったけど、井口さんには別の意味で響いてしまったようですね。
「まあ実力はともかく、小兵の戦い方に関しては熟知しているつもりなので教えることは出来る。それに教員を目指しているので、一から育てる弟子が欲しかったのも事実なんだよ。俺には渡りに船だが、二人ともそれでいいのか?」
どうやら、翔真君と私の二人が井口さんに師事する事になるようで、彼にも私にも異存は無く「はい」とだけ答えました。
そうこうする内に武具店に着き、入った店内には所狭しと品が溢れています。さらには竹刀の長さが昔の単位で○尺○寸と書いてあって、無造作に放り込まれたその枠には『高校男子』とか『中学女子』などの札が下がっています。
どうやら竹刀には、長さや重さに規定が有るようでした。ルールブックとかも買わないといけないようですね。
「竹刀は割れたりするから、多めに買っとくと良いぞ。竹刀袋は肩紐の有るのが良いかな、自転車で移動する事も有るだろうし。後は手入れに必要な用品だが、こっちのセットが有れば取り敢えず足りるから」
「竹刀ってそんなに壊れるものなんですか?」
竹が折れるほどに叩き合うのかと思って質問すると、苦笑いをこらえて答えが返ってきます。
「まっすぐ打ち込めればそうでも無いが、最初の内は角で叩いて割れやすいな。手入れをせずにささくれ立っていると尚更だよ」
竹刀と竹刀袋を選び終わった翔真君が、用品の棚の前で首を捻っているのが見えます。
「こっちの変な形の小刀は何ですか」
「竹刀のささくれを落とすのに使うんだが、道場に来れば貸してやるから」
それでも翔真君は買うようで籠に入れています。私は『手入れの時間も一緒に居られる』との期待から、借りるつもりで他の物を見に移動します。
目を引いたのは手拭の多さです。色もそうだけど、勇ましい文字がいろいろと染めぬかれていたりして、昨日は井口さんも頭に巻いていました。文字の入った物は少し恥ずかしいので、オーソドックスな柄の物を選んで、予算内で一通り購入する事が出来ました。
会計を済ませると、井口さんが竹刀を持って車まで運んでくれて、そろって乗り込んだ私たちに紙袋を差し出してきます。開けてみると桜の模様が入った鍔止めが入っていて、翔真君のそれはトンボの模様でした。
「初弟子に師匠からのプレゼントだ。——こういった物を貰うと辞め難いだろ」
照れ隠しなのでしょうか、そう言って車を走らせると無言のまま翔真君の家に寄って彼の荷物を下ろすと道場に向かいます。
道場に着くと翔真君と別れ、自転車を押す私の横を、荷物を持った井口さんが歩きます。
「井口師範は、どうしてこの柄を選んだんですか」
「綺麗な髪に凛とした目が印象的でな。時代劇に出て来る武家の娘って感じだったからかな」
やはりこの人は目を見て話をします。そんな些細な事にも好意を覚えてしまうのは、恋心を抱いている証拠なのかもしれません。
「大事にします。そして、認めてもらえるよう強くなります。ところで、彼女さんとか居ないんですか?」
「え? なんで?」
「いえ、あの、さん付けだったので呼び慣れていないのかと」
「あぁ、どう接するべきか戸惑ってはいるな」
ちょっとだけ目が泳いだようだけれど、どう取れば良いのでしょう。少し押してみる事にしましょうか。
「それでしたら、翔真君を呼ぶ時みたいに『沙織』でいいですよ。体育会系のノリってそんな感じだと思うので」
少しの間、小声で『沙織』と『橘』を繰り返していたのだけれど、家の前まで来ると一つ咳払いをします。
「最初は注意事項なんかの説明と、竹刀の手入れ方法だよ。あー、明日は夕方から入るから、橘の都合が合えばその時間に来てくれ」
「はい。今日は、ありがとうございました」
慌てたような口ぶりの井口さんをよそに、少しでも大人に見られたくって、落ち着き払って見えるよう頭を下げてお礼を述べ、見送ってから家に入りました。
明日は早起きして朝練を覗くつもりでいて、今日は早く寝たかったけれど、初めて男性からプレゼントを貰った事も有って、すんなり眠れる自信がありません。
お風呂に浸かりながら『夢でもあえるように、枕の下に入れて寝ようかな』なんて考えてみたものの、実際に置いてみると恥ずかしくなって、竹刀袋に入れてしまいました。それでもなかなか眠れなかったのは、井口さんのせいだと思うのです。