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発端は井口先生からの呼び出しでした。呼ばれた進路指導室には、男子剣道部の顧問と井口先生の他に学年主任の先生もいます。
「来てもらってすまない。翔真の事なんだが最近変わった様子は無かったか?」
「変化に気付けるほど親しい関係ではないので。ただ妹の真理佳さんからは、文化祭辺りから何か違うと相談されたことが有ります」
三人の教諭は顔を見合わせ、どこまで話すかと小声でやり取りし始めます。ただならぬ様子に、『真理佳ちゃんまで呼ばれても困るのだけれど』と思っていると、学年主任から予想外の話をされました。
「実は、最近の彼は授業態度が良くなくてね。居眠りしたりサボったりで、期末試験をほぼ白紙で出した。それに退部も願い出ていて、その辺の事情を知っている者を探しているのですよ」
「翔真君が、ですか?」
最初は誰の話をしているのか理解できませんでしたが、困った顔の井口先生を見て無理やりのでも理解します。それでも、翔真君がそこまでおかしな行動に出ているとは、夢にも思わなかったし想像できもしませんけれど。
このままでは、真理佳ちゃんが呼び出されてしまいそうです。今の彼女に正しい答えが言えるとは思えませんし、責任に押しつぶされてしまうかもしれません。
「他にあてが無いようでしたら、私が聞いてみましょうか?」
口々に頼むと言われて学校を後にすると、真理佳ちゃんにメッセージを入れました。
『ごめんね。翔真君に相談が有るのだけど、家に行っていいかな?』
『大丈夫だよ。お昼もうちで食べる? 炒飯で良ければ作るよ』
駅に着く頃に返信が有ったので、『お願いね』と返して相羽家へ直接向かうことにしました。
昼食には早い時間なので、着いて直ぐに翔真君の部屋に案内されました。
彼と向かい合わせで座ると、確かに私の知る翔真君ではありません。無表情で、決して目を合せようとはしないなんて、相当な荒みようだと感じます。さぞかし真理佳ちゃんに心配をかけているだろうと、彼女が可哀想になってしまいました。
「部活を辞めると聞いて相談に乗りに来たのだけど、なんか殴ってやりたくなったわ。真理佳ちゃんに心配かけてまで、なにをしているの!」
何のために来たのかは想像がついていたらしく、机の上にあった紙を黙って差出してきました。そこには大きな丸が二つ描かれていて、左の丸は半分くらいが黒く塗りつぶされています。数字や記号が印字されているけど、何かの検査結果なのでしょうか。
「沙織ちゃんに頼みが有る。真理佳を守ってもらえないだろうか」
「それは貴方の役目でしょ。その為の剣道ではなかったの?」
しばらく黙っていたけれど、開いたままの扉から階段を下りる足音が聞こえると、始めて目を合せてくれました。かなり弱った感じがするのは、真理佳ちゃんが立ち去ったせいなのでしょうか。
「その紙は僕の視野だよ。神経にダメージが有ってね、左目の半分が見えていない。まだ両親しか知らない事なんだけど、頼みごとをする以上は隠し事をしたくなくてね」
真理佳ちゃんにも言っていない事だから、下に降りるのを待って話し始めたようだけれど、どうして知らせてあげないのでしょう。
「いつから?」
「修学旅行先でやたらと人に当たってしまって。疲れがたまっているのかと思っていたんだけど、練習中に太刀筋が見えない事が有って検査したのが先々週」
「見えなくなってしまうの?」
「薬で進行を抑えられるけど、一度見えなくなった所が見えることは無い。それで剣道は辞める事にした。だから、真理佳を守ってやる事が出来ない」
随分と短絡的な考えだと思ったけれど、翔真君にとっては真理佳ちゃんを守れない事が最も重要な事柄なのでしょうから、思考も短絡的になってしまうのかもしれません。
「だったら笹本君にでも頼んだら? 彼、告白したそうじゃない」
言った途端にものすごい顔で睨んできたけれど、怯まずに言葉を続けます。
「友達だから何かあれば助けるけど、そもそも何から守るの。悪い虫からならば、彼氏がいた方が効果的でしょ。貴方が捨てたいなら好きにすればいいけど、彼女の気持ちも考えてよね」
そこまで言って立ち上がると、うなだれた翔真君を置いてリビングに向かいます。
真理佳ちゃんを励まさないといけないのですから。
じっとリビングでたたずむ真理佳ちゃんに、後ろから抱き付いて小声で話しかける。
「詳しくは本人から聞いてほしいけど、貴女を守る事が出来なくなって落ち込んでいるそうよ。だから笑顔で支えてあげてね」
「目の事はママから聞いているよ。私が変な事を言ったから無理な練習をして、取り返しのつかない事になっちゃった。私がそばに居ると、お兄ちゃんは不幸になってしまうのかもれない」
すべてが自分の撒いた種だと言い出す真理佳ちゃんは、儚げな笑顔で「沙織ちゃんにも、ごめんね、だね」と私にも謝ってきます。
「私は先生の事、なにが有っても諦めないよ。だけど貴女は諦めてしまうの?」
黙って首を横に振る真理佳ちゃんに、笑いかけて背中を押します。
「貴女に彼氏が必要だと言ったら怒った、捨てたいなら勝手にしろって言ったら項垂れた。きっと、翔真君は真理佳ちゃんが一番大事なんだよ。それは家族愛かもしれないけれど、大切に思っている事は確かだよ。だから、貴女が彼を幸せにしてあげて。そばに居て笑いかけてあげて」
「うん。ありがとう」




