前編:そして事件は起きた――
オークション当日、ラプラス第3号機が出発する前、やはり客船付近には山ほど人だかりができていた。出航前、送迎して貰ったリムジンへ忘れ物をとりにジーノ・パチーノが船から降りてくると、黄色い歓声があがった。しかし彼はその歓声に応えるほど余裕はないようだ。ちょうどそのタイミングでラプラス号の公認整備士があくびをしながら到着した。遅刻ギリギリのタイミングだった。
遅刻ギリギリだったのは整備士だけでなく、興行パフォーマンスで招待された手品師もそのようだった。とても若い青年だが、通りでギャングの男に絡まれていたらしい。しかしそのギャングも招待客だったらしく、手品師の顔は乗船してからも青ざめたままだ。
ジョン、ヴィン、サムの3人はデッキより人々が賑わう様子を眺めていた。サムは興奮しているからか、シャッターを切りまくっていた。それを見て微笑むヴィンは余裕のある父親のようである。
「おい、お前、いい加減に落ち着けよ。怪しくみえるぞ?」
「いいじゃねぇか、客で来ているのだし?」
「そうそう。こういう時ぐらい楽しみましょうよ。スワローさん?」
「ヴィ……ヴィーゼルさん、彼の出方によっては我々にも影響があります」
「その時は他人のフリをすればいいのですよ」
「いや、そんないきなしアドリブの効いた演――」
ジョンが何かを話そうとした時、彼の背後に人が近寄ってくるのを感じた。
振り返るとそこに車椅子の少女と介助で付き添う体格のいい男性の姿があった。
「こんにちは。随分と楽しそうですわね」
赤い目の彼女は躊躇することなくジョンたちに笑顔で挨拶してきた。
「え? 俺? 俺達? いやぁ~こんな豪華な旅行する機会なんてなかなかないものだと思って!」
何故かサムがしゃしゃりでた。
「ええ、特にあなたがね(笑)あなたたちは御家族でして?」
「いや、家族じゃないですよ! 友達ですよ!」
「友達?」
「え、ええ、こちらの御方がIT系の新進企業の社長でして……」
ヴィンがさらにぎこちない形でしゃしゃりでてきた。
「お、おっほん。私、インターネットセキュリティの新進系サービスを始めたジャック・スワローと申します! 会社名はスワローズです!」
ジョンはそういうと事前に作った偽装名刺を車椅子の女子に渡した。しかし彼女は名刺を見ることもなく、背後の男性に渡した。
「嘘おっしゃい。5年前ぐらいに交番で何度か見かけましたわよ? あなた」
「え!?」
ジョンとヴィンは声を合わせて驚いた。車椅子の彼女はジョンたちを指さしたままケラケラと笑っている。どうやら変装も演技も無駄足だったようだ。
「ど、どうして……ちゃんと入船できたのに……」
「警察の一人や二人見逃してあげているのではなくて? おそらく運営と警察上層部は繋がっていますわ。あなたたちは既に許可を受けた招待客なのでしょうね。あんなみすぼらしい名刺を作るなんて勿体ないことしましたわね~」
「ちょっと待ちなさい。それをわざわざ言うとは貴女方は……!?」
「ご安心を。道楽で探偵をやっているイザベラ・アルマリクという者ですわ。以後お見知りおきを」
「アルマリク!? あのアルマリク社の令嬢か!?」
「それはそうと、その帽子もサングラスもとったら如何? 似合いませんわよ?」
「そうよ~♡ よくみたらいいオトコじゃない~♡」
体格のいい男がジョンに迫ってきた。
「や! やめろ! はなせ! こらっ!」
オネェ壮年と青年刑事はじゃれ合うようにしてやりあった。ヴィンやイザベラはそれを微笑むようにして見守った。そんなひと時だった――
ラプラス第3号機はラプラス港を出港した。大海原をいくなかでオークションは開催される。警察の警備がないとは言え、盗みを働くには実に難解な環境だ。
客船のあちらこちらにラプラス市の目下膝元メイスン・カンパニーが手配した警備員が配置されていた。オークションが行われる会場には特に密集していた。
陽はとっくに沈み、オークション開催前のパーティが行われていた。
メインステージでは手品師リック・アルバニアが縁起を担いだパフォーマンスを魅せていた。手から花をだしてみたり、シルクハットの帽子から鳩をだしたりとなかなかレベルの高い手品師のようだ。会場は大盛り上がりでメインイベントの開始時刻は押していた。ジョンも知らなかった彼だが、やはりメイスン市長が呼ぶほどのゲストだ。二流三流のパフォーマーではなかった。
メイン会場の玄関口近くではギャング組織のリーダー、ギャン・ブラッドフォードは運営責任者であるカリファ・ランデンバーグの監視のもとでおとなしくしていた。カリファがでてくるまで彼は目立つほどの野次をイベント会場にて飛ばしていた。アルバニア氏に何か怨恨でもあるのだろうか。おとなしくしてもギラついた視線を手品師の彼へ送り飛ばし続けているようだ。
ラプラス市選出の国会議員ダマス・ファーレンは頭痛が治まらないのか、頭をおさえながらも側近の医師であるケビン・クリスティにあれやこれや話しかけている。そんな状態にも関わらず赤ワインを片手に持っている彼は何だか滑稽だ。
イベント主催者であるララァ・メイスンはメイドでアルバイトの女子大生、アリー・ランディと会話を交わしていた。メイドである彼女はワインにシャンパンをララァに勧めたが、主催者は「ウィスキーロック」を頼んでいた。主催者としての緊張感がまるでないようである。実はこのやりとりの前にララァはサインをアリーに求められてもおり、それに快く応じた姿も見えていた。お陰様でそれ以降。ララァのファンであるアリーはやたら彼女の傍に近寄っていた。
「おいおい、随分と余裕のあるオーガナイザーだな(笑)」
そう微笑むベテラン刑事補佐も水筒に入れてきた紅茶を嗜んでいた。
「ヴィンさん、人のこと言えないですよ。貴方も自重してください」
「いいじゃないですか。お酒じゃないのだし。それに事件なんておきますかね?」
「起きないと思うのですか?」
「いや~なんか、このイベント自体、馬鹿にハッタリな気がしてならんのですよ」
そう言ったヴィンは紅茶を飲み乾すと水筒の蓋を閉め、そして急にその表情を変えてサムへ話しかけた。
「して、サム君、さっきから顔色が悪いようだがどうかしたのかね?」
「い、いえ、実は船酔いしてしまう人間でして。ははは……」
「本当に顔色悪いぞ? おい、部屋で休んでいたらどうだ?」
さっきまで楽しそうに撮影をし続けていたサムはオークション開始時刻が近づくにつれて顔を青ざめていた。
「もしかしたら大事件が起きるかもしれない。多少しんどくても無理はするよ。一大スクープをフィルムに収められるかもしれないからな」
「どうしてもと言うなら止めはしないけどもな……」
怪盗Xによる怪盗は行われるのだろうか?
100人以上の警備員が配置されている厳重警備が敷かれているこの会場で、そんな荒業を成せるなんて、まるで映画の世界の話だ。
自分もそこらのウェイターかメイドに頼んで何かを飲んでみようか考えてみたが、そうこうしているうちにオークションの開始時刻となった――
オークショニアのジーノが手慣れた感じでヘッドマイクを通し、『幸福をもたらすダイヤ』を紹介する。今宵の主役がようやく御登場した。魅惑の輝きに会場では興奮の声があがる――
ダイヤは掌になんとか収まるぐらいの大きな品物だ。ジーノの左右また背後に警備員が厳重警備を敷いており、一分の隙も無い。どう考えても不可能犯罪だ。ジョンは今しがた手にしたジンジャーエールを口にした。
その時だった――
次々と提示される額を読み上げていたジーノの声が突然消えたライトとともに消えた。会場は不自然な停電で一気に騒めいた。その騒ぎに追い打ちをかけるが如く、今度は銃声が会場に響きわたった。そしてそれに女性の悲鳴が続いた――
停電は1分もしないうちに回復した。会場を囲む窓ガラスの1部が大きく破損していた。人が通れるぐらい――
多くの客が会場の外へと避難していた。その人混みが引いてようやく誰かが倒れているのがハッキリとみえた。
真紅に染まり倒れ伏しているのは政治家ダマス・ファーレンだった。口から赤い液体を垂らし、その胸には真っ赤な湖ができているようだ。介抱する医者ケビンはただ唖然としているに等しい。
ダマスの背後に座っていたララァは驚きのあまりにグラスを床に落とした。その片付けに彼女の傍をずっとキープしていたメイドのアリーが必死になる。そのアリーと手品師のリックがぶつかり、彼は愛用している鳩を暴れさせて壊れた窓より逃げてしまった。すかさず追いかけるリック――
この光景が面白かったのか、腹を抱えて大笑いするギャンに警戒の念で銃口を向けるカリファ――
ブレーカーのトラブル報告書を持ってきた整備士のカールは会場の外へ逃げる客を何度かぶつかりながらも、何が何やらといった感じで会場に到着して会場内をキョロキョロ見渡した――
全て停電が回復して1分もたたないうちに起きた出来事だ。ジョンたちは状況観察に徹していたが、サムはやたら彼の足元の写真を連写で撮っていた。彼の足元には弾丸が転がっていた――
そして停電回復から約3分、正気をとりもどしたジーノは手元をみて、マイク越しに悲鳴を会場に響かせた。
「な、なんてことや……!」
この騒動の隙に『幸福をもたらすダイヤ』は盗まれたのだ――
会場はまさかの事態に再び大混乱に陥った。と、同時にジョンとヴィンはサムがいつの間にかいなくなったことに気がつく。しかしいくら一市民としての参加といえども、警察としての立場に変わりはない。冷静に徹するしかないのだ。
そのうえで確認しなければいけないことがある。それはダマス・ファーレンが暗殺された疑いがあることだ。しかしそれは確認するまでもなく、彼が席から立ち上がったことで心配いらなくなった。彼の体に滴る赤い液体、それは彼が口に含んでいた赤ワインだったのだ。そして皮肉にも彼の模擬死にララァ・メイスンは既に失神していた。
すぐにダマスとケビンはやりとりをしていたが、ダマスは一体何が起きたのか全くわかってないようだ。ケビンは必死にあれこれ説明をしていた。
「何をしているのです!! サム君を探しにいきましょう!! 刑事!」
「え? あ、ああ……!」
「よくみてください! さっきまで転がっていた弾丸もありませんぞ!」
床に落ちていた弾丸は確かになくなっていた。考えにくいがサムが拾って持ちだしたのか? 何の目的で? ヴィンと船内中を探し回るも彼の姿はどこにも見当たらなかった――
「刑事!! あ、あれを!!」
「なに!?」
ヴィンはデッキより目下の海を指さした。そこにはサムが被っていたシルクハットが不気味に漂っていた。
デッキに次々と人が集まる。ジョンは狐に包まれた驚きと恐怖で体を震わせるしかなかった――
やがて船内放送が船内中に響きわたる。声はカリファ・ランデンバーグ氏のものだった。
『この度の騒動に関しまして、皆様にたいへんに恐ろしい想いをさせました事を深くお詫び致します。申し訳ございません。たいへん恐縮なのですが、不可解な状況が続いていることに変わりありません。皆様は皆様がそれぞれ宿泊されます個室にて謹慎をお願い致します。マリアーノ港に到着は明日9時となっております。心苦しい想いをさせますが、どうかお許しください。ララァ・メイスンよりは港到着までに必ずお詫びをさせていただきます。何卒お願いいたします』
ヴィンはジョンの肩をポンと叩き、部屋への案内をはじめた――