0.5 章
ども、作者の神城維来です。
一応、処女作ですのでお手柔らかにお願い致します。
勘違いしないでほしいのだが、
別に同情を求めているわけじゃない。
「人という字は人と人が支えて合っている」と誰かが言った覚えはあるが、あんなのはただの都合よい戯言だとしか思わない。どこの誰がどこでいつそんなことを言ったのかは知らないし、知りたくもないけれど、そいつは世の中をさぞかし嘗めた目で見ていたのだろう。言わなくても、世界はそんなユートピアみたいなところではない。いや、強いて言えばディストピアでしかないのかもしれない。数億人の人がまた数億人の人を支えて生きているのであれば、なぜこんなにも孤独に思える人が存在するのだろう。そんな綺麗事を真剣に信じているやつを見るたびに、僕は腹の底から湧き上がる吐き気を覚える。
あんなのはただの臆病者だ。
ただの怠惰の塊だ。
ただの、負け犬だ。
人は一人でも十分に生きていける生命体だし、わざわざ他人の力を借りずとも、自分の才能と技術と直感だけで一五一什を生き延びることは十二分にできる。そうしてきた人間など、この世で数知れないじゃないか。なのに人は、誰かの背中を借りて自分が成し遂げようとしていることを、他人に押し任せる動物なのだ。
そんなのは協力という名の負担でしかない。
共有という名の迷惑でしかない。
熱血という名の傲慢でしかない。
時期的にいつだったかはあまりよく覚えていないが、ある国語の授業で習ったこと。
【人の為と書いて「偽」と読む】
それを耳にして、僕は首を傾げるのだった。
言っていることが矛盾していないか。
人と人が支え合っているからこそ本物の【人】が出来上がるのであれば、なぜその行為を【偽】と主張するのか。嘘偽りを言わないことが人の為になるんだよと、そう主張して教わってきた教師に今だからこそ一言申したい。
てめぇ、それでも教師か。
人生は氾濫する大川で行われる競泳大会みたいなもの。流れに沿って必死に泳いでいかないと無残に溺死する恐れがある。同時に他の選手からも敵視され、邪魔をされ、蹴落とされる恐れもある。そんな世界に僕らは無理やり放り込まれる。生き延びてゆくための泳ぎ方さえ誰にも教えてもらえない。そんな地獄みたいな世界をどう客観視しながら生きていくつもりだというんだ。いつでも、どこでも、誰でも、周りの言うことを鵜呑みにし、信用し、信頼し、それでも自分を貫き通そうとする人間が僕は鬱陶しくて仕様がない。
そんなのは嘘偽りの他でも、なんでもない。
【人の為と書いて「偽」と読む】が、嘘偽りというものは、人が成長し、成熟し、成功する為にあるということだと僕は思う。嘘をついて、出鱈目を言って、戯言を吐いて、屁理屈をほざいて、それでも自分は少しずつ川の流れに追い付いていける。
人様の為を思って?
笑わせるな。
他人に手を伸ばしたが最後、その逆流に浚われるだけだ。人は人が思っているほど、お人よしでもないし、人思いでもない。綺麗事をほざいている暇があったら泳ぎの練習をしているほうが断然マシだ。
そんな僕にも、そういう【ヒト】と共に生きていた時期があった。「一緒に泳いで、いつか海までたどり着こうな」と、はにかみながら高々と宣言していた時期が僕にはあった。自分の心の隙間ができたり、他人の心に隙間ができたその時も、共に語り、共に悟り、共に峠を乗り越えた時期もあった。他人にどう言われようが、どう罵倒されようが、どう阻まれようが、馬鹿みたいにお互いの夢だけを追い続け、お互いの夢を支え合った時期もあった。【人生バラ色】なんて言葉が当てはまるような、そんな人生を送っていた時期もあった。
そんな時期が、あった。
だが【ヒト】というのは、それはそれは、おっかない生き物だ。
だから、もう辞めた。
僕は、【ヒト】を辞めてしまっていた。
僕の人生がそんな惨めな終わり方を迎えるくらいなら、それに対して必死に足掻いてやると決めた。流されない大岩を川にぶん投げて、それにしがみ付いてやろうと決めた。どれほど信頼を無くしても、どれほど疑心を招いても、どれほど人生を壊しても、僕は死に物狂いで足掻いてやると断念した。
自分の為を思って、偽りの道を歩んだ。
それが、高校一年の春の始まりだった。