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彼方の蒼  作者: 生駒美汐
6/9

6.おまえのやりかたで

 カンちゃんとの話は、夕方6時まで続いた。

「しかし、さっきから気になっていたんだが……倉井先生の子供って、ハルの子じゃないのなら、一体誰の子供なんだ?」

 あ、言うの忘れてた。

「石黒だよ」


「石黒!? げー、あの筋肉バカかよっ」

 倉井先生趣味悪すぎる、とカンちゃんの顔に書いてあった。倉井先生の悪口は許しがたいけど、この件に関してはカンちゃんと同意見。

 僕は石黒との保健室でのやりとりを、惣山春都昏倒シーンまで語った。



   ◇   ◇   ◇ 


 帰リ道は雪だった。アスファルトを濡らす程度。積もる雪じゃないからと傘を借りずにカンちゃん家を出た僕は、商店街へと向かった。なんの用事もないけれど、入院期間も短かったけど、なんていうか――この開放感を満喫したかった。

 僕がすったもんだしているうちに、世のなかは2月最大のイベント一色に染まりつつあった。

 建国記念日? 違う違う! バレンタインデー。

 そういやバレンタインって、祝日じゃないね。

 祝日になったら、全国の乙女は泣くのかな。

 男にとっては、どっちでもいいんだ。

 休みだろうが、自宅謹慎だろうが、もてるヤツはもてるから。



 僕は特別に甘いものが好きってわけじゃない。

 けど、安くて品ぞろえも充実しているとなんとなく食べたくなる。

 ところが、売り場は決戦の日に燃えている女の子ばっかり。

 男はチョコレートを持った状態では、うかつにレジには近寄れない。

 買いにくいと思うと、余計に食べたくなるという悪循環。

 ああそうか、さっきチョコレートケーキを買えばよかったんだな。


 ふいに、視界の左側に白っぽい人が見えて、今のなんだろうと思ったら、ショーウインドーに映る包帯男だった。

 つまりは僕なんだけど、これって変装みたいなものだよな。

 だったら、僕だってばれない?

 僕はひいきにしているメーカーの板チョコをひとつ取って、レジのほうを向いた。

 すぐそこに、同じクラスの内山がいた。

「そ、惣山くん?」

 内山のほうから声をかけてきた。つい声をかけてしまった、という感じ、まるわかり。

「うん。なんか、久しぶりだね」

 中学3年生にとっては、3日も4日も『久しぶり』の範疇だ。

 内山はとても小さい声でそうだね、と言った。うつむいて買い物かごを体の後ろにまわした。

 誰かにあげるチョコを選んでいるところだったようだ。

 だったら僕なんか無視してやりすごせばよかったのに。

 堀芝サンの友達にしては、要領悪すぎ。


 挨拶をしたきり会話は途絶え、僕まできまりが悪くなった。

 持っていたチョコを、違うメーカーの並びに置いて、それじゃまた来週とかなんとか言って、店を出た。

「惣山くん」

 内山が店の外まで僕を追ってきた。買い物かごは店内に残してきたみたいだ。

「あの、明日は学校に来られるの?」

 また来週って言ったのに、と舌打ちしつつ、僕は答えた。

「月曜からだよ。じゃあな」 

 内山の目に怯えた気配があった。

 しまった。

 あんなことがあったあとなのに、威嚇してどうするんだ!

 振り返った場所にはもう、内山の姿はなかった。



「せっかくシャバの空気を楽しんでいたのに、台無しにされたよ」

 家で母さんにさっきの出来事を愚痴った。ヤツはごはん粒を吹きだしやがった。

 言葉づかいが悪いって? 食事マナーが悪いよかマシだろ。

「きったねえな、やめてくれよ」

「その子、あんたが好きなんじゃないの」

 僕はいつもの要領で顔をしかめてしまい、そしたら傷が痛んで、さらにしかめ面になって、また痛んで……。頭の悪さゆえの、二次災害。

「もう一回言ってあげようか?」

「いいよ、聞こえた」

「そっけないのね」

 つまらない反応だ、とでも思っているんだろう。人のこと、おもちゃにしてるとしか考えられないね。

「仕事行けよ、仕事」

「行くよ。いっぱい稼いで、入院費を払わなくちゃね」

 僕はたぶん、母さんのそのひとことで傷ついた顔をしたんだろう。

 実際、顔がどうだったかなんて包帯でよくわからないはずだけど、かすかな動揺は伝わったみたいだ。母はできの悪い猫をなでるように、僕の髪をくしゃくしゃにした。


「ごめん」

 謝ったのは僕だ。

 考えてみたら、母さんにお礼もなにも言っていなかった。

 僕は持っていた箸を置いて、繰り返し言った。

「ほんとにごめん」

「や……やめてよ、そういうのは」

 母さんがうろたえているのが、後ろを向かなくてもわかった。

 

 母さんは、病院での僕以上に淋しがり屋になったようだ。

 帰宅直後のメールチェック。母さんの送信は、6時間で8件あった。他愛ないメッセージばかり。そんなこと言ったら泣かれそうだ。

 ……やりにくいな。

 僕は箸を持ち直し、食事を再開した。



   ◇   ◇   ◇ 


 翌日の金曜日は、家でぼうっとすごした。

 受験生? 誰のことデスカー? 

 テレビ観て、メール打って、ごはん食って、昼寝して、またメールして、お茶飲んで、テレビ観て、風呂に入って、それからそれから……。

 こんな調子で傷が治るとは思えないんだけど、クラスのみんなに怪我の程度をいちいち話すのは、確かに面倒だ。喋ったからって治るものでもないし、カンちゃんだっていい気はしないだろうし。


 昼間、何回かメールを送った相手は、カンちゃんだ。

 学校の様子を教えて、と打ったら、『欠席者1名・惣山』とレスが来た。

 みんな元気という解釈でオーケイ?


 

 入院中は、カンちゃんを第一優先にした。でも今は……ごめん、カンちゃん。僕は友情より愛情を選ぶ人間になってしまったよ。

 週があけるまで待てなくて、土曜日に学校に電話してしまった。

『惣山春都の父ですが作戦』はあえて実行しなかった。

 倉井先生は授業のない日も働いていた。

 

「ごめん先生。月曜日から学校に行きます」

 久しぶりに先生の声を聞けて、僕の気持ちはかなり上々だった。けど、口をついて出るのは用件のみだ。

 せっかく先生が僕に会いにきてくれたのに、包帯ぐるぐるで寝ていたなんて、かっこ悪すぎた。

 名誉挽回のチャンスがあればいい。それなら僕はがんばってみせる。

 そんな思いが通じたのか、倉井先生は少し間を置いてから、こう言った。

「今日の都合は?」

「え?」

「10人くらい来ています。自由意志にしては、けっこうな人数だと思いますよ」

「行きます」

 即答した。目的の確認はしなくてもよさそうだ。

 卒業間近にクラスが団結したって、堀芝サンが言っていた。

 つまりはそういうことですね?


 誤解をされてはかなわないとばかりに、先生のほうから補足説明してきた。 

「教室で勉強会をしているんです。みなさんと過ごせるのも、あとわずかだから」

「意味深な発言はしないで。最後の最後まで、僕は力を尽くす」


 どんなに気持ちが高ぶったって、今の僕にできることは限られている。

 まずは怪我を治すこと。

 勉強して志望校に合格すること。

 

「とにかく行きます」

 電話を切ろうとして、思い直した。

「がんばろう、先生」

 教師を見守る生徒、ここにひとり。


 

 コートのボタンもはめず、自転車飛ばしてみたものの、教室の入り口でその勢いは止まってしまった。

 倉井先生だけならいざ知らず、クラスのみんなにどう接したらいいんだろう。

 おとといの内山みたいに、びびらせちゃいけない。


 それに、来ているメンバーのなかにカンちゃんがいるかどうかもわからない。

 たぶんいないだろうとは思う。

 美術教師に受験必修科目の教えを乞うタイプじゃないから。


 

 僕はとりあえず、人畜無害を証明することにした。

 スマイルスマイル。

「おはよーございまーす」

 午前10時半――あと30分遅かったら言うのをためらうようなあいさつをしつつ、入室。

 教室には倉井先生を含めて、確かに10人いた。

「あっ」

「……おはよ」

 ぽつりぽつりと帰ってくる声は、とても10人のものではなかった。

 それに半分は隣のクラスのヤツだったし、男子は学級委員の井上だけだった。

 どういう趣旨で集まったんだろう。不思議でならない。

 倉井先生がするりと近寄ってきた。

 僕のほうから話しかけた。

「先生、痩せた? だめだよ、ちゃんと食べないと」

「食べていますよ。痩せてもいません。それより、これを書いて月曜日に提出してください」

 それで用事がたりたようで、倉井先生はさっさと元いた席に戻ってしまった。

 僕が受け取ったのは、普通の400字詰め原稿用紙一枚。

「これになに書けばいいのさ」

「反省文だ」

 僕の問いかけに答えたのは、廊下側に陣取っている井上、もとい委員長だった。



 他のみんなも、それぞれ机を近づけてはいるけど、教卓の方向を向いている。

 助け合いというよりは、ここがすでに戦場で敵同士みたいだ。

 受験のときはライバルかもしれない。でも今はクラスメイトだろ?

 僕はまだそういうの、考えたくなかった。


 ぴりぴりとした緊張が、ゆるやかに伝わってくる。

 のんきな僕はこの場にそぐわないというんだろう。

 言外に『出ていけ』と訴えられている。

 瞬きをするようなリズムで、誰かの目線がときどき僕に向く。

 

「言いたいことがあるなら、言えばいいだろ」

 わざと感情をこめずに言って、みんなの反応は無視した。

 誰もなにも言わなかった。

 僕は委員長の隣の席に着いた。



「ソウヤマの席、教卓のまえにしておいたよ」

 委員長がはきはきとした口調で言った。 

「席替えをしたんだ。やりかたはくじ引きだ。ソウヤマのくじは、はじめからよけておいた。だって、これがおそらく中学校生活最後の席替えとなるだろうからね」  

「……恩に着るよ」 

 短く返事をし、数学の問題集を出す僕を、委員長はじっと見ているらしかった。

 気づいていたけど、僕は敢えて無視した。


  

   ◇   ◇   ◇ 


 僕は委員長のことを通りいっぺんしか知らない。

 ものすごく頭がいいらしいとか、運動部の部長だったとか、その程度。

 あとは、あれだ――委員長は立候補で今の役職を得た。

 勉強できるし、本人がやりたがっているんだから、という理由で、反対者はいなかった。委員長はいつもいつも、そうやって委員長であり続けた……らしい。


 僕は中学1年の終わりのクラス替えで、初めて委員長と同じ組になった。

 小学校は別だったし、それに僕自身、誰が優秀だろうとちっとも気にしない性分だから、委員長のことを特別視していなかった。


 みんなが『井上健一郎』を『委員長』と呼ぶ。僕も真似をしてそう呼ぶ。

 固定イメージはそうやって守られていくんだろう。



 無関心な僕でもわかることといえば、委員長のルックスの良さだ。流行とは無縁の、万人受けする、均整の取れた顔。

 僕はクラスメイトの顔のスケッチを家で秘密裡に(?)行っている。

 描くからわかる。委員長の輪郭線はムダな遊びがない。たるみがない。

 するすると動く鉛筆を自制し、修正する――その作業が、委員長の場合、いらない。気持ちいいくらいの曲線が、委員長自身にいちばん近い。


 人の顔は、左右対称じゃない。自分の写真を見たときの違和感くらい、かすかなものであったとしても、違いは違いだ。もちろん委員長だってそうなんだけど、あまりそういうことを意識させないところがある。

 鏡に映った自分も、写真のなかの自分も、どっちもイケテルなんてずるいや。

 そう思ったって、わざわざ言葉にする僕じゃない。

 男を褒めてもつまらないよ。


 当人の隣で数学の問題解きながら、僕は思いをめぐらせていた。

 ――いや、違う。

 数学の問題解いているフリをしながら、が正解。



 倉井先生の周りには8人の女子がいて、なんだか近寄りにくかった。

 女子たちの、僕に対する注意はだいぶ薄らいでいた。

 だからといってそのへんの机を寄せて和気あいあいと、ってなわけにはいきそうになかった。

 輪のなかには、内山がいたからだ。


 倉井先生に会いたい一心で、土曜日の学校に来たっていうのに。

 こんなのはノーカウント。ただ顔が見られただけ。

 内山め、僕の出所気分を打ち消すだけではことたりないのかよ!?

 ――なんて、これはやつあたりだ。かなり本音だけど。


 

 内山が渡す予定のバレンタインチョコの行方には、僕は興味はない。

 けど、僕に目撃されたことで、内山が買うのをやめたとしたら、もらうはずだった相手は気の毒かもしれない。

 いやでも、その程度の気持ちなら義理チョコってことだろうし、僕が責任感じなくてもいいのか。

 義理チョコ制度そのものは、反対しない。

 義理だったら、僕もそこそこもらえるから。



「ソウヤマ」

 突然、委員長が話しかけてきた。

「なに?」

 ぼんやり考えごとをしていた僕は、集中力を欠いていた後ろめたさもあって、ぎくっと反応してしまった。委員長は開きっぱなしの、というより開いてあるだけの僕の問題集にシャープペンシルの先をのばしてきた。

「問3がわからないの?」

 今にも解説がはじまりそうな勢いだ。

 委員長、問題集に載っているものなんて、問題のうちに入らないんだよ。

 答えが付録になってるんだから。

「問3だけですむなら、倉井先生はいらない」

 惣山春都の最優先事項は高校合格だけど、その原動力は倉井葉子その人だ。

  

  

 僕の発言はみんなの耳に届いたようで、またもや教室に緊張が走った。

 ためらうことはない。後ろめたいとも思わない。

 僕は倉井先生のためなら、格闘技やっているカンちゃんだって、ときには敵に回す。

   

「先生、ちょっといい?」

 説明も取り繕うことも大差ない。

 だったら、なにも言わずに堂々といこう。

 僕は女子のあいだに割って入り、返事も待たずに先生を連れ出した。

 なんたって妊婦だから、乱暴な扱いはできない。

 僕が強引だった――ただそれだけ、だろ?



 倉井先生の学校内におけるプライベートルーム。美術準備室。

 扉が締まるのを確認して、僕は先生に向きなおった。

「会いたかった」

 そう言って、近づいた。


 先生は無言のまま、口角を引き締めた。

 我慢するときみたいだと思った。我慢させたくないとも思った。


 この強固な砦を崩す自信はない。

 けど、落石のひとつくらい、願ってもバチは当たらない。

 


 逃げられてしまいそうで怖かった。けど、ゆっくりと両腕をのばして抱きしめた。倉井先生の匂いがした。 


 倉井先生は、逃れようと思えばできた。

 なのに、そのままじっとしていた。

 静かに静かに息をしていた。

 僕は先生と子供の、ふたりぶんの呼吸を聴くつもりだった。

 耳を澄まして、目を閉じた。


 先生はとても温かかった。

 その温かさに、僕は癒された。

 自然とため息がこぼれた。

 瞬間、背中に先生の手を感じた。

 僕の心臓は馬鹿みたいに跳ねた。


「あの、さ」


 恋人同士じゃない。

 僕の片想いかもしれない。

 しかも先生と生徒。


 自信なさそうな物言いはよそう、と思いなおした。

 流されるだけだった先生が動いた――僕にとっては、言葉にできないくらいの出来事だ。

 この恋が叶わないなんて、そんなのは嘘だ。

 まだわからないよ、ああ。


「僕は待つよ、先生」

 離れがたいけど、伏せている顔を起こさないと先生の顔が見られないから。

 少しだけ距離を取って、その目を覗きこんで、僕のなかのスイッチを入れて。

「先生が僕を選んでくれるまで、ずっと待つから」


 待つ、と明言したことはなかった気がする。

 思えば、僕は急かしてばかりだった。

 気持ちを教えてくださいと、対等でない位置から求めていた。

 僕の告白は、子供ならではの一時の感情だと言い逃れができる。

 先生には先生としての立場があって、教え子も僕以外に39人いる。

 全部を放棄する覚悟がなければ、身動きは取れない。


 僕は先生を困らせていた。

 僕を想っていてもいなくても、恋心は先生の職務を全うするにはやっかいな代物だろう。

 ましてや倉井先生は、ばれなきゃいいなんて臨機応変にできる人じゃない。

 そんな人だったら、僕だって好きになっていなかった……いや、やっぱり惚れてるだろうな。



 だけどそれは、先生と生徒だから、の話。

 卒業したら、それぞれに『元』の文字を一個つければすむ話。

 悪いけど、僕はそう思うよ。 

 それにどんな関係であれ、倉井先生から好きだなんて言われたら、僕は舞いあがってしまってなんにも手につかなくなる。

 犬や猫みたいに先生のそばに一日じゅういたって飽きないだろうな。

 これは断言できるし、断言しておいたほうがいいよな。


「先生、僕は……」

 ところがこういうときの倉井先生は迅速で、

「待ってくれるんでしょう? それとも嘘なんですか?」

 僕の顔色を読んで、口封じしてしまった。なんか悔しい。

 僕が先生を想うほど、先生は僕を想っていない。

 それでも他と比べて、僕がほんのちょっとスペシャルな存在だというのなら、たいていの我慢はするよ。してみせるって。してやろうじゃないか。今がまさにそのときだ――って。

 うーん。今かな? 

 猶予がほしいな。


「嘘じゃない。けど僕だって抑制きかなくなるよ」

「え」

「大好きな人がこんなに近いんだから、無理」


 僕はキスした。

 すばやい動き。

 先生が睨んだ。

 全く怖くない。

 かわいい感じ。


 こういう顔してくれるんなら、もっと……回数というか、レベルというか、いろいろ検討したいところです。

 いえ、さすがにそれは言えなかったんだけどさ。


 言ったのは先生だ。

「やっぱり嘘つきじゃないですか」

 僕を払い除けた。途端に僕は、寒くて淋しくなった。

「自分に正直なだけだよ」

 狼少年に見られたらどうしよ。



 そのあとすぐにチャイムが鳴って、僕たちは教室へ戻った。

 みんなは倉井先生がいなくても勉強していたみたいだ。僕とは大違い。

 入試結果はできれば違わないでほしいな。……調子よすぎかな?

 12時をまわっていたので、自然とお開きになった。


「ソウヤマは一問も問題解けなかったみたいだけど、それでだいじょうぶなのか?」

 委員長は僕よりも僕の心配をしていた。

 適当に返事をして、それじゃあ月曜日に、と自転車のペダルをこごうとしたら、進行方向真正面に回り込まれてしまった。

 委員長は両腕を真横に開いて、完全に停止要求だ。


「……なに?」

 僕は聞いた。

 委員長は熱っぽく語った。

「捨て鉢になるな! がんばろう!! よかったら俺が数学を教えてやるよ。なあ、そうしよう。うん」  

 僕があ然としていることに委員長はちっとも気づかなかったようだ。全部決めてしまった。


 このあと、僕んちで勉強会2次会を実施するんだってさ。女子は抜き。倉井先生も抜き。委員長とマンツーマン。……楽しくなさそ。

 率直にそう伝えたのに、委員長はめげなかった。

「なに言っているんだソウヤマ! 大勢いたって仕方ないだろう。遊びではなく、勉強なんだから。あ、俺んちこの裏だから、ちょっと待ってくれ。自転車取ってくる」

 委員長は異様に張り切っている。


 校門を出て四軒目の奥が委員長の家だった。

 こんなに近いのなら委員長の家でいいじゃないか、と言ったら、もっともらしく拒否された。

「俺はクラスメイトを家に呼ぶのがあまり好きではないんだ。学校のそばだろう? 一度誰かを招待すると、また次のヤツが来る。便利に利用されたくないんだ。わかってくれ。すまない」

 僕は頷いておいた。

 どんな反論をしても、帰ってくる委員長の言葉はいちいち長くて言い訳くさいから。



 十数分後、僕の家に着いた。委員長は、センサーで自動点灯する廊下のライトや、リビングのデジタルハイビジョンテレビにいちいち感動し、なかなか座ってくれなかった。

 母はすでに仕事に出たようで、食器棚の脇のホワイトボードには『行ってきます』の伝言があった。

 僕が気づかなかっただけで、二、三日まえからあったのかもしれない。

 いずれにせよ、僕は母を探しにキッチンへ来たわけじゃない。

 冷蔵庫と炊飯器の中身を確かめようとしただけだ。


 お昼にピザでも取ろうかと尋ねたら、委員長は首をぶんぶんと横に振った。

「俺はそんなにたくさんの食品添加物が入った食べ物は口にしたくないんだ。ソウヤマは毎日そんなもんを食っているのか? やめたほうがいいぞ」

 結局、近くの食堂の出前を頼んだ。僕も委員長も広東麺。あと、餃子。

 丼の輪ゴムつきラップをはずすとき、委員長は僕の3倍くらい時間がかかった。しかも失敗してスープを四方に飛ばした。

 委員長は恥ずかしそうに言った。

「実は店屋物って頼んだことがないんだ」


 恥らうべきは僕のほうだ。出前をしている店の電話番号を5件憶えているなんて言ったら、委員長の反応は想像に難くない。ソウヤマ、もっと憶えるべきものがあるだろう、ってね。

 僕らは無言で食事をしたし、そのあと静かに勉強をした。


 

 集中できたのか、というと、そうでもなかった。

 なんだか委員長といると落ち着かない。


 教えかたは熱心だし、僕の知っているなかではベスト3に入るくらいの生真面目さだ(そのベスト3には、倉井先生も間違いなく入る)。

 付き合いが浅いから、よくわからないことばかりだけど、委員長ってたぶんいいヤツなんだろう。

 でも僕は何度も何度も時計を見てしまった。

 早く帰ってくれないかなあと思ってしまった。

 


「ソウヤマって、ひょっとして秘密主義者なのか?」

「別にふつうだよ」

「こうして話をしていても、ソウヤマのことがよくわからないんだ。無気力というのではないし、投槍でもない。なのにどうして勉強をしないんだ? ソウヤマは間違いなく、やればできるタイプの人間だ。俺が言うんだから、確かだ」 

「……ありがとうございます」

「茶化すなよ。俺は本心から言っているんだ」


 委員長は自分のまえに広げてあるノートを避けて、心持ち身を乗り出した。

 凛々しい顔が真正面にあって、僕は気恥ずかしくなった。

 委員長は真剣そのものだ。


「ソウヤマは高遠を受験すると聞いた。今の時点では、おそらく合否の確率は五分五分だろう。俺がいくら教えてやっても、ソウヤマ自身がやる気にならないとダメなんだ。俺は学級委員だから、クラス全員が合格するまで見守る義務がある」

「それは……」

 ちょっと違うんじゃ、と言えなかった。

 委員長の熱弁は、とどまることを知らない。

「そこでだ。ソウヤマの場合、メンタル面を鍛える必要があると思った。先日の小柳との乱闘騒ぎ……あれはなんだ? 受験生なのはみんな同じだ。重圧はそれぞれにあるのに、なにも親友にやつあたりすることはないだろう。違うか?」

「やつあたりはいけないと思うよ、僕も」

 あれはやつあたりなんかじゃなく、理由ある乱闘だった――そう言ったっていいんだけど、ムダだから言わない。委員長の世界観は、凡人には理解できない。



 委員長は探るような目を僕に向けた。

「それだけか? 他にもあるんじゃないか?」

「……フツーだろう」


 沈黙が落ちた。

 気まずかった。僕は話の糸口を無理に探すタチじゃない。

 けど、このときばかりは耐え切れなくって、あてもなく視線をさまよわせた。

 けれども収穫はなかった。



 委員長が僕の部屋を見てみたいというので、通した。腕組みをして、室内をぐるりと見回している。

 部屋の主としては、査定をされているようで、あまり気分がよくない。

 なにかコメントが欲しいトコだけど、もっともらしい口調でよくわからないことを語られるくらいなら、静かなほうがいくぶんマシ。 


「こっちは……えええ!? アトリエ? すごいな」

 鍵がかかっているから、なかの様子は入り口のガラス窓からしか見えないんだけど、それでも委員長にしては過剰な反応だった。

 見るとこ見たら、早く帰ってくんない?

 委員長は今度は勉強机の脇に立てかけてあるスケッチブックを手に取って、パラパラと眺めている。

「お、これ、俺?」

 五十音名簿順だから、井上健一郎は一枚目だ。

 なにかが鉛筆にとりついたんじゃないかってくらい、するするっと描けた、いわくつきの一点。

「気に入ったならあげるよ。破って持ってっていいよ」

 厄介払いみたいな僕の発言にも、委員長は無反応で、スケッチブックに見入っている。真剣な面持ち。 

「ソウヤマって、絵を描くのうまいのな。まえから思っていたけど。才能かな。遺伝?」

「知らない」

 委員長がこちらを見た。僕は多少の後ろめたさを感じて、言葉を続けた。

「うまくなりたいとか、好きなのを描きたいとか、人並みに思うことはあるけどね。公立高校受験にはなんの役にも立たないからな。今は絵心よりも知識が欲しいかな」


 半分は嘘だ。僕はいい高校に行きたいなんて思っていないし、親しい人たちは僕のそういう気質を知っている。

 できるだけいい学校にいけば、まわりの人は少しは喜んでくれるだろう。

 けど、これからさき本当にやっていけるのか、とかえって心配かけそうだ。

 いちいち説明をするのは面倒だから、端折った。



 委員長は僕のことがわからないと言っているけど、僕も委員長がわからない。

 そこまで干渉してなんになるの? と言いたいけど、言えない。

 弁論大会やったら敵いっこないし……。

『たとえ敵わなくとも立ち向かうのさ。それがお互いのためだから』なーんて、カンちゃんと対峙したときみたいに熱くなれない。

 

 なのに委員長はわが意を得たりとばかりに笑った。

「ソウヤマにも受験生の自覚があるってわかって、安心した。学級委員としては、クラス全員が……」

 さっきのキッチンでの語りの繰り返し。だから、割愛。

 デッサンを手土産に、委員長は意気揚揚と帰っていった。



   ◇   ◇   ◇ 


 すっかり振りまわされた僕が、かばんの奥でくしゃくしゃになっている反省文用原稿用紙に気づいたのは、休み明けのことだ。

 それも放課後、帰ろうとして教科書をしまうまで、思い出しもしなかった。

 机のうえで広げて、アコーディオンのジャバラみたいになっているそれを伸ばしていると、カンちゃんが声をかけてきた。

「おいハル。反省の色がないって言われても、それじゃ弁解の余地がないぜ」

 僕の隣の空席に座って、ニヤニヤしている。

 僕は言った。

「そしたら『僕のパレットには反省の色はありません』って答えるよ」

「おーナポレオン!」

「まあね」


 ――土曜日の自主学習を除けば、僕の登校は乱闘以来だ。

 ガーゼを取ったから、残っている傷跡が生々しい。パッと見て、あとずさりするやつもいた。

 けれども、僕への風当たりはそう悪くはなかった。

 隣の席の女子は始業直前に、教科書のどのページまで進んでいるか、教えてくれた。

 最前列、しかも教卓のまえだから、教科担任がその都度、声をかけてくれた。

 僕はおかげさまでとか、だいじょうぶとか、馬鹿のひとつ覚えみたいに繰り返し、どんどん申しわけない気持ちになっていった。

 だから、今さら反省文なんていらないんだ。本当は。



 ただ、カンちゃんのために僕が行動したほうがいいと思った。久しぶりの教室を見回すと、どうもカンちゃんには乱暴者のレッテルが貼られてしまったようだ。

 物を頼むにも、クラスメイトはおどおどびくびくしていた。

 カンちゃんは気にも留めない様子だったけど、こういう腫れ物に触るような扱いをされて、いつまでも穏やかでいられるはずがない。僕だって土曜日の日に半分キレたんだから。


 カンちゃんは僕のために良かれと思って動いてくれた。倉井先生しか見えなくなっている僕に、体を張って忠告してくれた。争うことでカンちゃんが得られるものなんて、なにもないとわかっていたはずなのに。


 違う、カンちゃんはなにも悪くないんだ――そう言うのは簡単だけど、説明のいらない証明をしたかった。    



「おまえのやりかたでいーんじゃね?」

「……あ。そっか」

 しわくちゃの原稿用紙をまえにして、十数分唸っていたら、またもやカンちゃんに助けられた。

 高校でカンちゃん抜きでやっていけるんだろうかと、気の早い心配をしつつ、僕は作業に取りかかった。






 シャープペンシルを2Bの鉛筆に替えて、五分で完成。出来は上々。

 倉井先生はさすがに唖然としてた。


「そういえば、反省文とは言っていませんね」

「そういうこと。言ったのは委員長だから。こういうのもたまにはいいでしょう?」

 用紙の枠なんか全部無視して、カンちゃんをスケッチしたんだ。

「面と向かい合って描いたんだから、仲直りの証明になる。だからこれで充分」

 力強く頷く僕。

 内心の自信なんて、たいしてないけど、それはいつものことだ。まずは形から。虚勢から。

 倉井先生が笑いをこらえているのがわかった。

 笑えばいいのに。笑え笑え。



 スケッチはその後、カンちゃんが書いた反省文と共に、教室の後ろに貼りだされた。

「これ、すっげー嫌。俺ばっかり晒し首じゃねえか」

 掲示されて間もないときにカンちゃんがそう言ってきたから、僕はなだめるように答えた。

「そうでもない」

 でもそれは本心じゃないから、

「……とは言い切れないな」

と、付け足した。

 カンちゃんは、そうだろうそうだろうと、赤べこみたいに首を振った。


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