第6話 魔法の語源
学園に入学して数日が経過し、この日は学園は休日。
ラゼル達は午後に学園の中庭に集まって訓練を行う約束を交わし、予定の無い午前中はアルダの提案により、男連中で町を出歩くことにした。
「というか、いいんですか? 殿下が護衛も付けずに外を出歩いて」
「アゼイン。学外だからと無理に言葉遣いに気を遣わなくていい。僕は気にしないから、クラスメイトとして普通に話してほしい」
それはちょっと難しいと思っていると、ラゼルよりも先にアルダが反応する。
「わかったぜ! んじゃ、いつも通りオルセイムって呼んでいいんだな」
できれば名前の方で呼ばれたかったルインだが、それはまだちょっと早いかと思いながらアルダの発言を肯定する。
「そうだな。アゼインもそうしてもらえないか?」
「……分かった。そうさせてもらうよ、オルセイム」
拒否されなかった事と、ようやくできた同年代の気楽に話し合える相手できた事の両方に対して、ホッと胸を撫で下ろした。
これで身分だなんだを盾に拒否されれば、ルインも強要はできなかった。
友人として付き合いたい以上は、強要ではなくお願いとして受け入れてもらいたかったために。
「にしても、この国って本当に平和なんだな。オルセイムがこうして、護衛も付けずに外を出歩けるなんてよ」
町の平穏っぷりを見物しながらそんな事を呟くアルダだが、それを聞いたルインは苦笑いを浮かべ、ラゼルは後方をチラリと確認する。
「いるぞ、一般人に扮装した護衛が五人くらい」
「えっ? マジで?」
どこにいるのか分からないアルダは周囲をキョロキョロと見渡す。
一応は扮装しているのだから簡単には気づくはずがなく、向こうもその道のプロだから気づかれないように振る舞っているため、周囲の一般人とは見分けがつかない。
「アゼイン、よく気づいたな」
「距離を開けすぎずに、一定の距離内で同じ人間が移動しているからな。探知の魔法を使えば一発で分かるさ」
探知の魔法と聞いて、どこまでバリエーション豊富なんだとルインは思った。
通常魔法は攻撃か防御を前提としているので、そういった探知の魔法のような補助系はあまり使われない。というよりも使い手が少ない。
探知するイメージが難しいからと、以前にルインは聞いた事があるが、その辺りの事を今日の午後の訓練で尋ねることにした。
「話は戻るが、僕がこうして出歩けるのも代々の王族の方針なんだ。この国で一番多いのは庶民だから、その生活を知るのも王族の務めだって」
そのため王都の人間は、こうしてルインが出歩いても不思議には思わない。
服装が一般人の物なのもあり、いつもの風景にしか見えていない。
「さすがに父上や母上は一人で出歩く訳にはいかないがな」
「当然だろう。国王が一人で外出とか、大騒ぎになるわ」
ごく当たり前の指摘をラゼルがして空気が和むと、不意にルインがそっぽを向く。
何かあったのかとラゼルとアルダその方向を向くと、串に刺した肉を揚げて売っている屋台があった。
周囲には油の弾ける音と香りが漂っている。
「ちょっと買ってくる」
音と香りに食欲を刺激されたのか、フラフラと屋台へ向かう。
「皇子が普通に屋台で買い物か。なんか凄え光景だな。ところで、アゼインはいいのか?」
食欲旺盛なラゼルが反応していないため、不思議に感じたアルダは問いかけた。
「俺の勘があそこは大したこと無いと言っているからいい」
「勘かよ」
適当な感じで決めているんだなと思いながら、揚げ肉串を買って戻って来たルインを見る。
油で揚がった香りを嗅ぎ、一口で塊を一つ頬張る姿はとても皇子には見えない。
ところが笑みを浮かべていた表情は徐々に曇りだし、やがて失望した表情で揚げ肉串を見た。
「何故だ。香りは良かったのに、何故こんなに不味い……」
どうやらイマイチだったようで、残りは串ごとゴミ箱行きとなった。
勘が当たったラゼルはやっぱりと呟き、アルダはそんなに不味いのかと店を見た。
「よく見りゃ、あの店って客がいねぇな。他はそこそこ入ってるのに」
「この味なら当然だな。何か口直しをしよう」
辺りを見渡し、別の屋台を見つけるとそっちへ歩いて行った。
「なんかオルセイムの奴、生き生きしてんな」
「王城での窮屈な生活から解放されたからだろう?」
「違いねぇ」
二人もルインの後を追って屋台へ向かい、そこで買った焼肉を挟んだパンを齧りながら町中を歩いていく。
春先とあって賑わう王都の町は、あっちこっちで屋台の呼び込みや商店の新春セールが行われている。
雰囲気に当てられたラゼル達は呼び込みに乗っかり、複数の屋台で買い食いをしたり魔道具の露店で売り物を品定めしたりと、あっちこっちの店を思いのままに見て回る。
途中、新春記念でどれだけ食えるか挑戦してみろと叫ぶ肉丼屋台の親父に遭遇し、アルダに勧められてラゼルが挑戦。屋台の親父が土下座して謝るまで食いつくし、周囲に人だかりを作った。
「あっはっはっ! あの親父の顔、傑作だったな」
「美味いからまだいけたのに……」
必死に勘弁してくれと土下座する屋台の親父の顔を思い出し、大爆笑するアルダと、まだ食い足りないのか次の屋台を探すラゼル。
そんな二人と歩きながら、ふとルインの表情に嬉しさがにじみ出る。
「まさかこんな日が来るとはな」
「んあ? 何か言ったか?」
「楽しいんだ。こうして友人と気兼ねなく、買い食いしながら町をブラつくのが」
町中を好きに歩ける事はできたが、王族ゆえに友人はできなかった。
気にするなと言っても周囲はそうはいかないと萎縮し、とても友人付き合いとは言えない中等学園時代を過ごした。
王族では無理かと思っていた夢が叶い、ルインは心から感謝していた。友人として付き合ってくれているラゼルとアルダの存在に。
「王族じゃ難しいもんな。でも、ダチの頼みを聞くのがダチってもんだろ」
「本人が気にするなって言うんだから、気にする必要は無いだろう」
あくまで友人としての筋を通すアルダ。
本人の承諾があるのだからと気にしないラゼル。
二人の考えは違うものの、友人として付き合うという意思は同じ。
そんな二人の気持ちがルインには嬉しくて、これまでで一番の笑みを浮かべる。
「よし! ならばガンガン行くぞ! 次はあそこの遊技場に行こう」
嬉しさからハイテンションになったルインの提案により、三人は遊技場になだれ込む。
遊技場の中ではカードゲームやダーツ、ビリヤードに興じる人が大勢おり、そこへラゼル達も混ざる。
王族の嗜みとしてこうした遊びにも通じているルインは、慣れないアルダを相手に快勝を連発。
意外に強かったのはラゼルで、あらゆる遊技でルインと熱戦を繰り広げ勝利していた。
それを見た周囲の大人もラゼルとルインの二人で蹴散らし、観念した大人の一人から軽食を奢ってもらった。
「おっ、美味い」
「こういう所の食事って、不味い所が多いんだけど、ここは美味いな」
「ていうか、お前ら強すぎだって! 俺なんか連戦連敗だってのに……」
賭けていたらスッカラカンになっているぐらいに負けたアルダは、休憩用のベンチに座ってがっくり落ち込む。
この遊技場はあくまで遊び場なので、場内での賭博行為は禁じられている。
そういうのをしたい客は、裏通りや繁華街に出店している賭博場で遊んでいる。
「良かったな賭博場でなくて」
「いいわけあるか! こんだけ負けりゃ、賭けてなくても落ち込むぜ……」
思いっきりカモられたアルダは、半ば自棄食いのように軽食のサンドイッチを口に押し込む。
「オルセイム、ミリッジ、次は昼飯代を賭けて勝負しないか?」
「面白い、受けて立つ」
「やめてくれ! アゼインに奢ったら俺の小遣い全部飛んじまうから!」
*****
「で? 結局勝負に乗せられた挙句、負けて奢るはめになったのね」
「くそう……。バイトを、バイトを探さないと……」
手持ち金のほとんどを失ったアルダは午後の訓練前、がっくりと落ち込んでいる理由をリリムに説明しバイト探しを決意する。
国立魔法高等学園には遠い地方から来ていて仕送りが難しいケースや、そもそも仕送り自体ができないケースがあるので、放課後のバイトが許可されている。
「スッカラカンの原因になったのは俺だからな。よければ良いバイト紹介するぞ」
少しは責任を感じているラゼルの提案に、落ち込んでいたアルダの表情は明るくなる。
「マジで? どんなバイトだ?」
「王都周辺の森の魔物退治。俺と一緒に」
紹介されたバイトの内容にアルダは難しい表情をする。
王都周辺には魔物が存在する森がいくつかあり、これを退治して収入にする学生もいる。
国の軍部が訓練も兼ねて強い魔物を駆除していたり、魔狩人という魔物を専門に狩る職業の人が収入源にしていたりするので、学生が狙えるのは弱い魔物ばかり。
学生にとってはいい実戦訓練と収入にもなるため、魔物狩りをしている上級生も割と多い。
「……それって魔法での実戦訓練も兼ねてねぇか?」
「よく分かったな」
「嫌でも分かるわ! 同行してくれるならやるけど」
一人で行けと言われれば不安だったアルダ。しかしラゼルも一緒なのでバイトの話は受けることにした。
「魔物なら小物でもいい値段で売れるからな。収入としては十分だろう」
ルインの言う通り、実は魔物は高値で取引される。爪や牙、骨、皮は武器や防具の加工用として、そして肉と内臓は食用として売れる。
この魔物の肉というのが意外な高級品で、上級貴族でも滅多に口にできない。
というのも魔物化した動物の肉や内臓は魔力の影響でとても味が良くなる反面、痛むのがとても早くなってしまう。持ち帰って売却する際には、売り物にならなくなっていることが多い。
そのため、魔物を狩った本人がその場で食べてしまおうとする場合が多いのだが、匂いにつられて別の魔物が集団で迫って来て、命を落とすケースも多々存在する。
「魔物の肉は片手で数える程度しか食べた事が無いが、実に美味だった」
その時の味を思い出したのか、恍惚とした表情を浮かべるルインに食べた事が無いアルダとリリムは唾を飲む。
「食いたいなら、狩ったのを分けてやってもいいぞ」
突然のラゼルからの申し出にルインは恍惚の表情のまま、しばし沈黙する。
やがて表情はキョトンとしたものに変わり、信じられないようなものを見る目でラゼルを見ていた。
「いや、アゼイン。その申し出は嬉しいが、どんなに狩った直後に急いで戻っても、魔物の肉は結構痛むぞ?」
「分かってるよ、それくらい」
ならどうやってと思うルイン達に、ラゼルは常に持ち歩いている袋を取り出す。
「これがあれば解決だ」
「何よ? その小さな袋は。どうしてそれ一つでどうにかなるのよ」
袋の正体を知らないルインとリリムは首を傾げる。
「そっか、それがあったか!」
三人の中で唯一、袋の正体を知っているアルダは納得した表情で騒ぎ出す。
理由が分からずにいる二人にラゼルが説明をすると、ルインが凄い勢いで食いついてきた。
「こ、これにそんな付与が!? さすがはバーバラ様の一品。確かにこれがあれば、魔物の肉だろうと新鮮なまま保管しておけるな」
食い入るような目で袋に顔を近づけて眺め、有用性についてブツブツと小声で呟きながら分析する。
あまりの真剣さにアルダとリリムは近づけず、その場に立ち尽くして様子を眺め、ラゼルは袋を差し出した恰好のままルインが落ち着くのを待つ。
やがて分析が終わったのか、一段落ついたのか、大きく息を吐いたルインが袋から顔を離す。
「ふう。すまない、あまりに凄い一品なもので、つい」
「確かに凄いと思うけど、あそこまで食い入る事ないと思うぜ」
軽い調子で言うアルダだが、途端にルインが目の色を変えて喋りだす。
「何を言うんだミリッジ。いいか? 大量に物を入れられ、さらに時間による劣化が無いという事は、例えば行軍における物資搬送に」
長くなりそうな空気にラゼルとリリムは顔を見合わせて頷き、その場に座ってエミリアとリナの到着を待つ。
ペラペラと有用性につてい述べるルインの勢いにアルダは押され、助けを求めて座っている二人に視線を向ける。
それに気づきつつも、面倒な事になりそうだと思った二人は顔を逸らして見ていないフリをした。例えアルダに心の中で悪態を吐かれようとも。
「お待たせいたしました。あら? お兄様はどうなさったんですか?」
到着した途端目にした、長々とアルダに喋っている姿を見て不思議に思ったエミリアに説明すると、溜め息を吐きながら納得した。
「申し訳ありません。お兄様ったら魔道具好きで、部屋にも色々と溜めこんでいるんです」
あれだけ袋に食いついて長々と有用性を語る姿の理由に納得したラゼルとリリムは、それに巻き込まれてるアルダに憐みの視線を送った。そんな視線はいらないから助けろと、目で訴えるアルダの気持ちを受け流しながら。
「お待たせ、家の手伝いて遅れ……どうかしたの? あれ」
最後にやってきたリナがルインとアルダの様子の理由を尋ねる。
説明をリリムに押し付けたラゼルは、訓練を開始するために関わりたくは無かったと思いながら、暴走しているルインを止めに行った。
「すまない。つい熱中してしまった」
気まずい面持ちで謝罪するルインに、解放されたアルダ以外の全員で気にしないと伝える。
「じゃあ今日は魔法の基本の三つ目を教える。これまで教えたのと今日教える事を繰り返せば、魔法の技量は確実に上がっていく」
「頑張る!」
魔法の技量が上がると聞いてリナの目が輝く。
今日もまた魔力の暴発を起こしそうな雰囲気に、先に釘を刺しておこうとラゼルは思った。
「先に言っておくけど、まだ基本事項はあるぞ。というか、今日までの三つはまだ基礎の基礎というべき部分だ。しかもこれを毎日繰り返しやらないといけないんだ。教わったからって終わりじゃない、教わってからが始まりなんだ」
鋭い眼差しで睨みつけられ、リナだけでなくルイン達も思わず一歩下がってしまう。
あまりの迫力に自分が下がった事にすぐに気づけず、数秒してようやく気付いた。
同時に今の教えがそれだけ大事な事なんだと、五人の心に刻まれた。
「さて、今日教える基礎訓練内容は魔力の形状変化だ」
そう言って、前に教えた属性変化の時と同じように両手を胸の前に持ってきて、間を開けて向い合せにした。
両手の間にこれも同じようにサッカーボール大の球体状の魔力を生み出し、それが一瞬で槍の形状に変化して両手の間で浮遊している。
「属性の変化は無くていい。魔力の形だけを変える訓練だ」
やっていることは魔力の属性変化と同じなので五人はさほど驚かない。
しかしそれを一瞬でやってしまう技量には、揃って感心した。
「形状は何でもいいの?」
「球体でなければ何でもいい。槍でも刃でも矢でもな。ただし間違っても撃つなよ、形状を変えるだけだ」
注意を受けて早速やってみるが、属性変化の時と同じで上手くいかない。
魔力が上手く形になってくれずに、伸びたり潰れたりするだけで形にすらなっていない。
そこでひょっとしてと思ったリリムが、詠唱の際に唱える二節目を唱えてみた。
「今一陣の刃となりて切り裂く」
すると両手の間の魔力が半分ほど消費され、魔力はようやく刃の形状になって安定した。
「やっぱり……」
「そうか。一節目が属性変化に関わるなら、二節目は形状変化に関わるのか」
リリムが気づいた事をルインが理解する。
詠唱の一節目が属性変化の安定に関わったように、形状変化にも詠唱が関わっている。それが形状について言葉にしている二節目なのだと。
「一節目と二節目を合わせて、相当な量の魔力を消費しているな」
「でも属性変化の時も半分ぐらい消費していましたよね? 形状変化にも半分ほど消費したら魔法が成立しないのでは?」
疑問に思った事をエミリアが口にするが、誰もその理由が分からない。
視線は自然とラゼルに向かい、魔法が成立する理由を教えてくれないかという雰囲気になる。
「言うよりやって見せた方が早いな。エルニム、普段魔法に使うぐらいの魔力を球体状にしてみろ」
「分かった」
両手の間に魔力を生み出し、それを球体状にする。
使われている魔力は、形状変化の時より少し多い程度。
「じゃあ、何の魔法でもいいから一節目と二節目を唱えてみろ」
「えっと。流れゆく水よ集え 敵射抜く鋭き鏃となれ」
入試の実技試験と同じ詠唱を唱えると、球体状の魔力の六割が消費され水の矢が完成した。
「あれ? なんで魔力がこんなに残ってるの?」
多い分だけが魔法として成立するのかと思っていたリナが首を傾げる。
同様の疑問を持ったルイン達も首を傾げていると、その疑問にラゼルが答える。
「簡単な事だよ。一節目と二節目を別々に詠唱しているから、半分ほど消費しているだけで、一纏めにすれば六、七割の消費で済むんだ」
「なるほど。一括仕入れでお得になるって訳だね」
「……それはちょっと違うぞ」
自信あり気に言ったリナの解釈を間を置いて否定し、解説を続ける。
「一節目と二節目、これらを合わせて一つの節にしたから消費が抑えられるんだ。合わせて長くなった分、余計に持っていかれるけどな」
本来なら一つの節の詠唱で消費するのは半分ほど。
二つ分を合わせて一つにした事で消費は抑えたが詠唱が長くなった分、消費は六、七割に増えた。
それでも魔力は三、四割は残るので唱えた内容は成立する。
「だとしたら、最後に唱える三節目は?」
「そこでも魔力の消費はされている。三節目の効果は、魔法としての成立。だから全部の節を一度で唱えると魔力の七、八割ぐらいが消費される」
結果的に残る魔力は二、三割程度だが、影響するのは威力だけで魔法そのものは完成する。それが詠唱を唱えても魔法が成立する理由だった。
「ちなみにこれは、どれだけ魔力を込めても消費の割合は変わらない。だから魔力循環で魔力を増やして、たくさん魔力を練り込んでも、長々と詠唱を唱えている限り威力は二、三割にまで低下する」
詠唱の効果の全貌を知り、全員が解説に頷きつつ魔法の知識不足を痛感する。
彼らがかつて学んだ詠唱についての解説は、一節目で属性を、二節目で形状を、三節目で魔法の名を唱えると教わった。後は詠唱を工夫すれば、より強力な魔法を使えるようになるとも。
しかし、その詠唱そのものが逆に魔法の威力を格段に落としていた。魔法そのものを完成させるために。
「なるほど、基礎の基礎と言うだけある。これまでの教えを聞けただけでも、こうして指導してもらっている価値はあるな」
これまでのたった三つの基礎訓練の指導だけで、詠唱の効果やそれによる魔法の行使への影響について学ぶ事ができた。
それゆえに、これを広めなければ勿体ないとルインは思った。
「なぁアゼイン。訓練方法を教えろとまでは言わない。こうした教えを、もっと広めないか?」
「広めるって、例えば?」
「例えばそうだな……放課後にお前による特別授業を設けるとか」
特別授業と聞いて、やるなら絶対に参加したいとリナが挙手しながら叫ぶ。
「前にアゼインが指摘したように、強い力は確かに悪い誘惑を生む。でも正しい知識を一部にしか伝えないのも、勿体ないと思うんだ」
決意を持っての提案に、ルインはラゼルの返事を固唾を飲んで待つ。
蚊帳の外状態のリナ達ですら、その場の雰囲気に沈黙してラゼルの反応を見守っている。
やがてラゼルは足元にあった木の枝を拾うと、それで地面に文字を書きだす。書いた文字は魔法。
「なぁ、魔法って言葉がどうやってできたか知っているか?」
「えっ?」
唐突な質問に誰も返答ができない。
そもそも、魔法という言葉の語源すら誰も知らない。
「元々はこういう言葉だったんだ」
続いて地面に描いた文字は、読みは同じでも一文字違う魔放という文字。
「魔力を放出する。だから魔放だ」
言われてみれば納得する語源に、説明を受けている全員が頷く。
「それが今の魔法って言葉になったのは、魔力による法則性が解明されたからだ。どういう変化を起こして、どういう使い方ができるのかって。その時に魔法に変化した」
その法則性があるからこそ、こうして属性変化や形状変化の訓練が生まれた。
放出という攻撃手段以外にも肉体強化という使い道や、付与という使い道を見つけ、生活の向上にも役立った。
それによって魔放は魔力による法則という意味が尊重され、魔法となった。
「師匠のような魔導士も、今では称号扱いされているけど、元々は魔法を導く者って意味で、魔法を教える立場の人……。要するに魔法学校の教師を指していた」
続いての説明に魔導士を目指しているリナとルインは驚いた。
今では魔法使いの最高峰とも言える称号の本当の意味が、魔法学校の教師を指していたのだから。
「では、何故今はそう呼ばれなくなったんですか?」
「戦争とかで本当の意味を知る人のほとんどがいなくなって、教える側もそうなったからだ。本当の意味や訓練方法を熟知していないなら、魔導士とは呼べない。それが始まりで、今に至るって伝わっているな」
「ちょっと待った。伝わっているって言っても、俺はそんなこと知らないぜ」
疑問に思った事をアルダが口にすると、同じく知らないルイン達も頷く。
「師である魔導士から弟子へ伝わっているんだ。訓練方法やその理由とかと一緒にな」
なるほどと納得していると、真剣な目つきのラゼルがルインの方を向く。
驚きで一瞬肩が跳ねるが、先ほどの提案の返事をするのかと次の言葉を待つ。
「こういった事はできるだけ広めた方がいい。それは分かっているけど、一応はここの学生の俺が特別授業で講義までやると、教師達がどう思う?」
問いかけられた内容にルインは自分の失念に気づく。
ラゼルの言う通り、教わる立場なのに勝手にそんな事ができるはずがない。
そんなことをすればこの学園の教師の立場は無いし、何より反感が生まれるのは目に見えている。
これでは断わられても仕方ないかとルインが考えていると。
「だからその辺りの交渉と調整をオルセイムがやってくれるなら、俺は構わない」
条件付きとはいえ、予想に反して肯定の言葉が返って来たので思わずルインは呆然としてしまった。
「どうした? 自信が無いのか?」
「い、いや、そうじゃない。まさか受けてくれるとは思ってもみなくて……」
断わられる雰囲気だと思っていたのはルインだけでなく、リナ達も同じだった。
それが断わらなかったので、こちらも少々面喰っていた。
「俺だって教える場があるなら、教えても構わないさ。訓練方法までは教えないけどな」
「いや、充分だ。早速学園長と会談の場を設けて、その辺りの交渉の準備をしよう」
ここは言いだしっぺである自分の力の見せ所と気合いを入れたルイン。
国王であり学園長の友人である父の力も借りず、必ずやり遂げてみせると拳に力を込める。
そこへラゼルから追加の条件が加えられた。
「ついでに教員が最低でも一人は常に参加するようにしてくれるか?」
「教員を? 何故だ」
「魔導士は元々教員だって教えただろう? だったら、教える側にも伝えた方が、効果的に広まるだろう?」
追加条件の理由を知り、その方が絶対にいいと思ったルインはこれを了承。
今日今すぐにとはいかないが、明日にでも学園長と交渉すると約束した。
「じゃあちょっと脱線していたけど、訓練に戻ろう」
手を叩いてラゼルが告げ、ルイン達は形状変化の訓練に入る。
「形状変化は属性変化よりイメージし易い分、やり易い。でもイメージが鮮明でもそれを魔力に反映させられなかったら、上手くはできない。これは属性変化も同じだ。イメージが曖昧でなくなればいいとか、そんな甘い考えはするなよ」
その甘い考えをしていたアルダは緩んでいた表情を引き締め、訓練に集中する。
それを見届けたラゼルは小さく頷くと、自らも形状変化の訓練を始めた。
「アゼイン君もやるの?」
「魔力循環で魔力が増えたら、制御にも影響が出るって教えただろう? 毎日欠かさないのが大事なんだ」
自分も形状変化をする訳を説明し、魔力を槍や身の丈以上の剣、横向きの竜巻と様々な形状に瞬時に変化させる。
たった一つの形状変化にも苦心しているルイン達は、いつかはあれくらいにと魔力に力を込める。
やがてそれが限界近くに達するが、誰も気づいていない。
「暴発一歩手前だぞ。抑えろ」
寸でのところでラゼルからの忠告により、暴発は回避した。
辛うじての回避に、陰からルインとエミリアの護衛をしていた面々は、暴発に巻き込まれずにホッとした。
ちょうどその頃、主に貴族が暮らす王都の中心街のガンディル子爵邸のグレイドの部屋では。
「うぐうぅぅ……」
部屋の主であるグレイドがベッドに蹲り、苦しんでいた。
「あっ……。はぁっ! はっ!」
ようやく苦しみが治まり、汗を流しながら仰向けに寝転がる。
ベッドの傍には以前とは違う薬が入った瓶が転がっており、それを服用したのが見て取れる。
「くそっ。しばらく苦しむとは聞いたが、これほど苦しいとは。あいつめ、これで何も変化が無かったら、父上に頼んで処分してやる」
忌々しい表情で床に転がる薬を睨んでいると、急に体が大きく鼓動する感覚に襲われた。
また苦しみがくるのかと思っていたら、突如体の奥底から何かが湧き上がってくる感覚がする。
気分は高揚し、力が少しだけ溢れて来た。
「こ、これはっ!?」
驚き包まれるのも束の間、湧き上がる感覚はすぐに治まり元の状態に戻った。
「これが、あの薬の効果だというのか?」
上半身を起こして薬を見る。
受け取った時にあの教師は、一時的に変化があるかもしれないがすぐに治まる。
ちゃんと用法用量を守って服用し続ければ、やがてそれは一時的な物ではなくなると解いていた。それを実感したグレイドはベッドから降りて瓶を拾い上げ、ニンマリと笑みを浮かべる。
「やれる。これならあいつに、ラゼル・アゼインにも勝てる。そして俺が、新しい魔導士への道の開拓者になってやる!」
瓶を握りしめて高笑いするグレイド。
その様子を、薬を手渡した教師が離れた場所に建つ廃屋の屋上から、遠見筒で眺めていた。
「どうやら大丈夫そうですね。ちょっと早かったので心配だったのですが」
遠見筒を懐にしまったその教師は、結果に満足しながら屋上を立ち去る。
「さてと、あの調子ならもう一ヶ月あれば十分ですね。ふふふ、どんな結果になるか楽しみです」
誰もいない廃屋の中を通って通りに出た教師は、夕暮れ間近の町中へと紛れていった。