第5話 過去との違い
入学初日を終えた放課後。リナの魔力暴発による騒動が治まった後、ラゼルは校舎を再び訪れ、廊下側の窓から教室内を覗きながら校内を移動していた。
(校内に人の気配は十数か所。主に研究棟に集中しているみたいだ)
行き先を研究棟に絞り、移動しながら人の気配のある部屋を廊下から確認する。
気配のする部屋にいるのは教師か上級生で、人数も二、三人程度しかいない。
研究室によっては生徒だけしか利用していない研究室もあり、そういった研究会の顧問には手の空いている教師か、別の研究室の教師が兼任という形で顧問として名前を貸している。
(今日の校内見学で見たところ、怪しい様子は無い。でも、ドライアンの調査書が確かなら、怪しいのは研究棟か特別教室だろうな)
無人の研究室を見つけ、扉を開けようとするが、扉は鍵も掛かっていないのにビクともしない。
(研究棟の部屋は全て、魔力の波長を読み取る付与を施した扉だから、それぞれの研究室に所属している人物しか入ることができない)
重要な研究資料や、部屋によっては貴重な魔道具や魔法薬があることから、研究棟のセキュリティは厳重で簡単には部屋に入ることができない。
研究室の扉には、担当教師と所属している生徒の魔力の波長が登録されており、登録されていない人物は入ることができない。
唯一部外者が入る方法は、中から誰かに開けてもらうこと。しかしそのためには、事前に申請をして事務室で通行証を受け取る必要がある。
そうでなければ研究棟に入ることすらできない。
(つまり、記録を残すことなく部外者を研究室に入れることはできない。ただ、どんな事にも抜け道はある)
研究棟を回り終え、研究棟の出入り口に戻ったラゼルは出入り口にある箱型の魔道具を見る。
この魔道具に通行証を入れなければ、部外者は研究棟の中へ入ることができない。
ただし、学園所属の教師か生徒ならいつでも入ることができる。箱に入れた学生証や教員証がすぐに中から出てきて、一人ずつ中へ入ることが許される。
通行証はあくまで研究棟に学外の人物を入れるためのもので、研究室そのものへの入室に関わるものではない。
そのため、学生か教職員ならば簡単に研究棟に入り、中から開けてもらえば申請無しで何度でも研究室に出入りができる。
(出入り口さえ防御すれば。って考えたんだろうけど、ちょっと詰めが甘いな)
もしも学生や教職員の中に不審者がいれば、現在のセキュリティでは意味を成さない。
学ぶ機会を与えるためにという開けた環境が、逆に仇になった形だ。
(この辺りはドライアンに改善するように言っておこう。もっと厳重な管理体制を敷かないと)
改善点をまとめながら、校舎の特別教室が集中している棟に視線を向ける。
(特別教室も同様だ。職員室にある鍵を借りる必要がある)
校舎内の特別教室を使うには、職員室で名前を記録した上で借りる必要がある。
こちらは部外者が使えないので、原則的に教師か生徒にしか貸し出すことはない。
教員の魔力波長によってしか保管用の箱を開けることもできず、日中は目立つ場所に置いてあるので勝手に持ち出そうとしてもすぐに分かる。
(どちらにしても、怪しいのは教師の誰かと見ていいだろうな。あの調査書の内容からして、生徒が主犯とは考えにくい)
今日一日で調べた校内の情報を頭の中で整理し、今度は研究棟を一回見上げる。
開けることのできない嵌め殺しの窓の向こうには、教師や生徒の姿が見える。
窓のガラスも特注製で簡単には壊せない上に、夜間には警備員が屋内外で厳重に警備をする手筈になっているので、何かあればすぐに分かる。
(一見すれば研究棟も特別教室も管理は厳重そうだけど、考えれば穴があるのには気づく。だからこそ、持ち込み手段をどうにかすれば中に色々と置いておける。研究棟内なら、研究に必要だと言えばそれで十分だしな)
見上げていた研究棟から目を離したラゼルは、今日の調査を終えて寮へと向けて歩き出す。
(入試から今日までの間、怪しげな接触も監視の気配も無い以上は、俺に近づくのは危険と思ったか。それとも関わる必要無しと判断されたか……。どちらにしろ、被害者が出る前に主犯を特定しないと)
今後の動きをまとめながら歩いていく姿を、研究棟の一室からある男性教師が見下ろしていた。
ラゼルの様子から、まだ自分の事には気づいていないと判断したその教師は、口の端を上げる。
「誰かが何かを嗅ぎまわっていると思ったら、彼でしたか。まさかとは思いますが、バーバラに我々の事は知らされているのでしょうか? まぁ、仮にそうだとしても、私に辿り着くにはまだ時間がかかりそうですね」
男性教師はカーテンを閉め、保管庫の中に入れてある薬を取り出す。
「とはいえ、いつ気づくか分かりませんからね。ちょっと早いですけど、これを使ってみますか」
薬を見つめながらニヤリと笑みを浮かべた後ろで、扉を開けたグレイドが入室してきた。
咄嗟に薬をポケットにしまった男性教師は、含みの無い表向きの笑みでグレイドに向き合う。
「やあ、ガンディル君。実は今日は、検査の後にちょっと大事な話があるんですが」
「大事な話だと?」
「ええ。とっても大事なお話です」
興味を示したグレイドの様子に、男性教師は心の中でほくそ笑んだ。
*****
国立魔法高等学園での授業初日。
着席した生徒を前にエリカは授業を開始する。
魔法学園とはいえ、社会に出れば魔法だけという訳にはいかない。そのため、魔法とは無縁の一般教育も普通に行われている。
「これが二百五十年前に起きた、ルンダー公爵家とアブライ辺境伯による内乱です。これを切っ掛けに国内のあっちこっちで内乱が」
頼りない印象のエリカだが、授業そのものは丁寧で分かりやすい。
あまり得意科目になり難い国内の歴史の解説に生徒達は感心し、エリカへの印象を改めながらノートを書き込んでいく。
その様子を廊下から眺めるのは、学園長のマグナとその秘書のリリアナ。
二人の視線は主にラゼルに向いており、至って普通に授業を受けている姿に一安心する。
「やはり魔法以外の授業では、彼も学ぶ事があったか」
魔導士の弟子という肩書きのせいか、ラゼルにこの学園でも学ぶべき事はあるのかという声が職員会議で出た。
その事を確認するため、新入生の視察と名して授業の様子を秘書と共に見て回っている。
一番の懸念材料だったラゼルの授業態度を見て、一先ずはホッと胸を撫で下ろした。
「そもそも心配しすぎですよ。魔導士の弟子とはいえ彼はまだ十五歳。学ぶべき事なんて、それこそ山のようにありますよ」
リリアナの中でのラゼルの認識は、魔法は凄いけどそれ以外は普通の十五歳の少年。
そのため、職員会議での声も心配し過ぎと思っていた。それが正しいと分かり、自慢げに語った。
「ふむ。となると、彼の扱いについての話し合いは、魔法の授業に関してだけでよいかの?」
「私もそれでよろしいと思います」
質問に対して肯定の返事をされたが、それを聞いたマグナはまだ若いなと思った。
この授業一回を見ただけでは、判断材料としてはまだ弱い。
学園長室に戻ったらその点をしっかり教えなくてはと、まだ若い秘書の育成の強化を決めた。
「そろそろ戻るとするか。一応、新入生の授業風景は全て見たからの」
「分かりました!」
元気よく返事をしたリリアナはまだ知らない学園長室に戻った矢先、マグナからのお小言を貰うことを。
二人の気配に気づいてはいたが、そんな出来事があるとは知らないラゼルは授業終了後、クラスメイト達と喋りだす。
喋る内容は主にバーバラとの旅について。
魔法の事について聞けないクラスメイトが、バーバラとどんな生活をしている聞いたのが切っ掛けで話は始まった。
「で、東の方にある鳥型の魔物の住んでいる山脈では、迫りくる魔物の群れを避けながら魔法で撃ち落として」
ラゼルの話に出ている魔物とは、生物が自分の限界量以上の魔力の影響を受けて変化する生物の事を指す。
住んでいる地域からは出ないものの、生態系を大きく狂わせるので、早めの対処が必要となる。
唯一の救いは、魔物への変化が自然の中に住む生物にしか起きないため、人の住む町では魔物が発生しない点。
それでも魔物は変化前の生物より格段に強く、昆虫類に至っては巨大化するので、倒すのは簡単ではない。
その魔物の群れを二人で倒した時の話をすると、話を聞いていたクラスメイト達の目は輝く。こういう機会でなければ聞けない魔導士の戦いぶりの話に、誰もが耳を奪われていた。
「運河の近くにある町では、鮫の魔物に漁船が追われてる場面に遭遇してな」
「鮫の魔物!? 噂には聞いていたけど、本当にいたんだ」
「王都にいると海に行く機会なんて無いもんね」
関心を集めた鮫の魔物だが、それを風魔法で飛行しながら倒したと話すと、関心は鮫の魔物から風魔法の飛行へ移った。
「風魔法で飛行!? やっぱり魔法で飛ぶ事ってできるんだ!」
特に関心を示したのは魔法に人生を捧げる予定のリナ。
そういった事ができるという噂は存在するが、どう詠唱を工夫しても上手くいかないため、幻の魔法という研究結果だけが残っている。
「できるぞ。師匠が語り継いできた話曰く、昔は飛行魔法で空中から偵察や攻撃は当たり前のように行われていたそうだ」
「何、そうなのか? では何故、今はできなくなっているんだ?」
疑問を口にしたルインにラゼルはしばし沈黙する。
どうしたのかとクラスメイト達は顔を見合わせ、反応を待つ。
やがてラゼルは意を決して説明をした。
「理由は詠唱をして飛ぼうとしたからだ」
ラゼルの説明にほぼ全員が首を傾げる。詠唱をすることのどこが悪いのかと、言っている意味が分からずにいた。
気づいたのは、ラゼルから詠唱について説明を受けた一同だけ。
ただし、唯一人アルダだけは首を傾げる側に加わっている。
「ちょっと、まさか昨日教わったこと、もう忘れたの?」
「えっ? いや、忘れてねぇよ。えぇっと確か、詠唱して魔法を使おうとすると、無駄に魔力を使うんだっけ?」
あまりにざっくりした覚え方だが、教わっていないクラスメイト達は十分驚いた。
「それってどういう事?」
「詠唱すると魔力が無駄になるのか?」
「アゼイン君、良ければ教えてくれないかな」
口が滑ったかと気まずそうな表情でラゼルを見るアルダ。
しかしラゼルからは、気にしている様子はまるで見受けられない。
「訓練方法を教える訳じゃないから別にいいさ」
何も知らないクラスメイトと口の滑ったアルダにそう告げると、クラスメイト達からは小さな歓声が、アルダからはホッとした溜め息が漏れる。
この後、前日ルイン達に教えた詠唱による魔力消費の事が、訓練方法については伏せた上で説明された。
最初は興味深い表情で見ていたクラスメイト達だが、詠唱することによって練り込んだ魔力が消費されている事を知ると驚きを隠せずにいた。
「そ、そんな。じゃあ俺達は、本当ならもっと強力な魔法を使えるのに」
「詠唱の効果にも魔力を使っている分、格段に威力が落ちた魔法を使っていたのか」
悔しがる一同を前に、さらにラゼルは厳しい言葉を続ける。
「ついでに説明しておくぞ。師匠から語り継いだ昔話曰く、この国が内乱とか戦争とかで荒れる前は、高等学校入学時には全員無詠唱で魔法が使えていたそうだ」
続けて語られた事実に全員が驚いた。
今では数えるほどしかいない無詠唱の使い手が、かつてはそんなに大勢いたのかと。
「で、では何故、今は無詠唱の使い手がほとんどいないんだ」
「その理由が内乱とか戦争なんだよ」
戦っている双方が少しでも多くの魔法使いを送り込んでいくうち、残ったのはさほどでもない魔法使いばかり。
泥沼化する戦いに、そういった魔法使いでも戦地に送り込まねばならず、余計に残った魔法使いのレベルは低下する。
やがて長く続いた戦いの末、活動を再開した学校側は経営のため、低いレベルの魔法使いでも受け入れざるを得なくなっていた。
加えて、魔力循環の本来の目的が忘れ去られたように、魔法使いの意識の低下と本来の意味を知っていた者達の戦死。それらが重なり合った中で学園が生徒確保のため、入試のレベルを下げ続けた。
「それが現状って訳だ。当時の魔導士も嘆いていたんだと」
説明を聞き終え、全員が俯いて沈黙した。
戦死してしまったのはともかく、たった一度の妥協が新たな妥協を生んだ実情を知り、何も言えなくなってしまった。
「勿論、異を唱える人はいたらしい。でも周りがそれを許してくれなかった。金のためにな」
生徒を確保しなくては学園の経営は成り立たない。
如何に高尚な方針を掲げていても、金が無くては先行きは立たない。
特に戦後とあって金への執着は強く、理想よりも金という現実に走った。
「金は人を変えるって言うけど、まさか魔法使いの力量にも影響していたなんて……」
「恨むなら金じゃなくて、下げたレベルをそのままでいいかと放置した、当時のアホタレ共の意識の方にしろって、師匠から聞かされたよ」
言葉遣いどうこう突っ込む以前に、その意識のせいで自分達のレベルが低いままであった事に気づかされた一同は、既に今はいない同時のお偉方を恨んだ。
「そ、そうだったんですか?」
いつの間に来ていたのか、授業の教材を手にしたエリカまで話に聞き入っていた。
「でも、そんな話一度も……」
「都合の悪い記録を残すはずがないでしょう。それに仮に残したとしても、俺ならだいぶ脚色しますね。学園維持のためにとか、自己弁護のような言葉を連ねてね」
「だろうな。不正を働いて粛清された奴らも、大抵はそんな言い訳を残していたな」
王族として国政の様子をほぼ毎日見ているルインは、ラゼルの言っているような場面を何度も見た事があった。
不正を働いて私腹を肥やし、暴かれて証拠を突きつけられても往生際の悪い事を叫ぶ、欲の塊のような人間達を。ラゼルの説明とは少し方向性は違うが、似たようなものだとルインは思った。
「じゃあ、あの……。アゼイン君が無詠唱を使えるのが凄いんじゃなくて、私達が無詠唱を使えないのが」
「荒れる前の時代の人達から見れば、比較するのもおこがましい位に低レベルだ」
改めてレベルの低さを指摘され、クラスメイトだけでなくエリカさえも落ち込んだ。
「話を元に戻すぞ。魔法による飛行が上手くいかないのは、練り込んだ魔力の大半を詠唱で利用しているからだ。それで飛べる方がおかしくて」
魔法での飛行についての説明に戻るラゼルだが、周りはその前に聞いた話でショックを受け、説明が頭に入らなかった。
ショックから立ち直ったのは、授業の時間の大半を費やした後で、授業が予定通り進まなかったエリカは教室の隅でいじけた。
「全く。碌に聞いてなかったんじゃ、俺の飛行魔法に関する説明はなんだったんだよ」
「そう言われても、その前の説明がショックで……」
食堂で訓練メンバーの六人で集まっての昼食。
話題は昔と今の魔法使いのレベルの差についてだが、クラスが違うためにその話を知らないエミリアは、何の話なのかと首を傾げている。
「何かあったのですか? お兄様」
「あぁ、ちょっとな……」
少なからず持っていた自信を失いかけているルインは、自分から現実を口にすることができずにいる。それを見かねたラゼルは、横から助け船を出す。
「その辺りの事は、放課後の訓練の時に俺が教える。だから今は食え」
「分かりました。ですが食べろと言われましても」
苦笑いを浮かべたエミリアは、ほとんど食べ尽くした自分の皿を見る。
対するラゼルの方は既に五皿を食べ終えており、新たに六皿目に取り掛かっていた。
その食べっぷりを初めて見る周囲の上級生や同学年の生徒達は、どこにそんなに入るのだろうかとラゼルの体に目を凝らす。
「それしか食べないのか? 飯はしっかり食べないと、後で腹が減っても知らないぞ」
この時、周囲の気持ちは一つになった。お前が食べ過ぎなんだと。
「よくそんなに食べれるね」
「美味いからな。それに俺も俺で訓練して、体動かしまくってるからな」
リナとの会話で漏らした内容に、リナの目は輝いた。
「体を動かすって事は、魔導士って体力とかも必要なのっ!?」
早くも見慣れだした鼻息を荒くしながら詰め寄る姿にも動じず、ラゼルは食事を続けながら答える。
「別に必要じゃない。無いよりは有った方がいいから、自主的にやっているだけだ」
「なんだ」
興味が冷めたリナの興奮していた表情はあっという間に普段の無表情に戻る。
あまりの変わり身の早さに、現金だなとリリムとアルダは思った。
そんな食事時に彼女は現れた。
「あらあら。魔導士のお弟子さんは、やたらたくさん食べるのですわね」
嫌味の籠ったような声と言い方で、後ろにいるのは誰なのかをラゼルは察する。
その予想は的中しており、取り巻きの女生徒を三人連れたミランダがいた。
「そんなに食べて、よく太りませんわね。それだけは羨ましいですわ」
「運動して消耗した分を補充しているだけなんで」
嫌味にあえて真面目に返しつつ、食事を続ける。
その態度にカチンときたミランダは食べ方に文句をつけてやろうと考え、すぐにそれを断念する。
ラゼルの食べ方は意地汚くガッついていない。量を食べているだけに、食べる動作は若干早いが食べる姿は至って普通。
貴族が食事会で守るマナーのように厳粛な動作ほどではないが、マナー違反や周囲に不快感を与えるような食べ方はしていない。
何とか粗を探してやろうとミランダは睨むようにラゼルを観察する。しかし既に指摘した食べる量以外、粗らしい粗が見当たらず、密かに歯ぎしりをした。
「それで、何か用ですか?」
用件を聞かれただけなのに、反撃された気分になったミランダはそっぽを向く。
「別に! 先日同様にやたら食べているので、見物に来てあげただけですわ。失礼」
負け惜しみに近い言葉を残してミランダは去って行った。
取り残された取り巻きは慌てて後を追い、ミランダと共に食堂を出ていく。
直後に食堂の陰に隠れたミランダは、周囲を見渡して取り巻きしかいないのを確認すると、頭を抱えて蹲った。
「あぁぁぁぁぁぁっ! またやってしまいました!」
蹲って叫ぶ姿に、先ほどまでの威厳を振り撒こうとしていた雰囲気は無い。
急な態度の変貌に取り巻き達は反応に困り、立ち尽くしてお互いの顔とミランダの様子を交互に見る。
「ミランダ様? お、落ち着いて」
「落ち着けるわけがないでしょう! 魔導様のお弟子様に対して、先日同様に失礼な態度を……」
ミランダ・アゼイン。彼女は魔導士の熱烈なファンである。
決してリナのように魔導士を目指したいという訳では無く、あくまで憧れているだけ。
そんな彼女にとってバーバラの死は絶望を与え、弟子のラゼルの入学の噂は絶望を吹き飛ばして希望を与えた。
ぜひ話をしたいと思って近づいたが、緊張から相手が貴族では無い時の態度を取ってしまった。
「これで決定的に嫌われましたわ。魔導様のお話を聞くチャンスが、潰えたに違いありません」
がっくりと落ち込むミランダに、普段はあらゆるおべっかを並べている取り巻き達も、かける言葉が思い浮かばない。
そうとも知らずに今日の授業を消化したラゼルは、いつもの中庭の片隅でルイン達の指導を始める。
この日は何も新しい事を教えず、ただ魔力循環と属性変化をやるように告げた。
「何も教えてくれないのっ!?」
今日も何か新しい訓練方法を教えてもらえると思っていたリナは愕然とし、どうしても駄目なのかと目で訴える。
「そう毎回教えていたら、これまでに教えた基礎訓練が疎かになるだろうが」
「なるほど。今は魔力循環と属性変化、この二つに集中しろということか」
意図を察したルインの言葉にラゼルは頷くが、理解はしても納得はしていないリナは不機嫌そうにする。
「そうむくれるなって、エルニム。授業の後にさらに色々教わってたら、頭パンクしちまうよ」
「アンタはもうちょっと頭を使いなさいよ」
あまり頭がよくないアルダの発言にリリムは呆れる。
幼馴染ゆえの気楽な会話にエミリアは密かに笑みを浮かべると、いち早く魔力循環を始めた。
それに続くようにルイン達も訓練を始め、ラゼルはその様子を見ながら自分も魔力循環を行う。
「実際にそれなりの期間やってみて実感したけど、本当に忍耐力が必要だな」
特に体を動かす訳でもなく、立ったり座ったりしたまま体内で魔力を動かし続ける地味な訓練方法。
それを長期間続ける事の難しさを、今日まで続けてきてアルダは感じていた。
「結果がなかなか出ないのも分かるわ。魔力が上がっているって言われても、実感が無いし」
「そもそも、まだそんなに魔力が増えてない!」
訓練をしているルイン達の魔力は上がっているものの、まだ微々たる量しか増えていない。おまけにそれを分かっているのはラゼルだけで、ルイン達は誰一人としてそれを実感していない。
結果が出ているのかいないのか、当の本人達が全く実感できていないでいる。
「これでは昔の人が魔力循環を嫌になった訳ですね」
「ああ。これほど地味で実感が薄い訓練だとはな」
「でもそれをやったかやらなかったかが、今日解説した昔の魔法使いとの力量の差に繋がるんだ」
さり気なく呟いたラゼルの言葉と視線に、ルイン達はこれ以上何も言えなかった。
訓練開始前にその事を教えてもらったエミリアも、俯いて暗い表情を浮かべている。それでも全員が魔力循環は続けているのを確認したラゼルは、根性と負けん気はあるようだと思った。
「もう少し魔力循環をしたら、今度は属性変換に移るぞ。微々たる量でも魔力が増えたら魔力制御に影響が出るから、属性変換もちゃんとやるようにな」
この日の訓練内容とその理由を簡単に解説し、訓練は続く。
魔導士になりたいリナとルインは、少しでも上達するために暴発ギリギリまで集中し、何度もラゼルから注意を受ける。
魔法の腕が上がればいいと思っているアルダとリリムとエミリアは無理しない範囲で取り組む。それでも過去の魔法使い達のレベルに少しでも追いつきたいのか、表情は真剣そのもの。
「ついでだから、師匠からの教えを伝える。上達と継続のコツは、どうしてそこまで魔法の腕を上げたいのか、しっかり自分の中に芯を作る事。それが何よりも大事な事だそうだ」
ラゼルから伝えられたコツを聞き、ルイン達はそれぞれの思いを頭の中で思い浮かべながら訓練に取り組む。
(絶対に魔導士になる。魔法の最高峰に、絶対に届いてみせる)
純粋に魔法を極めたいと思っているリナにとって、魔導士という称号は魔法を極めた証。
そのためにこの訓練を受けているんだと、無表情ながら静かに闘志を燃やす。
(僕が王位を告げる可能性は低い。だからこそ、魔導士に拘らせてもらう)
なかなか好き勝手にできない王族という立場に加え、第四皇子というために王位に就ける可能性も低い。
だからこそ、憧れていた魔導士を目指す事に迷いは無かった。幸いにも魔法の才があることも判明し、周囲も魔導士ならばと納得してくれた。
王族でも許される数少ない我が儘を貫くため、暴発ギリギリの魔力量を体内で循環させる。
(俺はこれくらいの訓練をしなきゃ、魔法使いとしてやっていけない)
アルダは魔法使いとして決定的なある問題を抱えていた。
一時はそれが原因で魔法なんかと思っていたが、それでも魔法への思いを捨てきれず魔法を学んだ。
決定的なハンデを抱えながらもここまでやってきたアルダにとって、ラゼルとの出会いは人生全ての幸運を使い切ったような幸運だった。
その幸運と教えてくれているラゼルの信頼を裏切らないため、アルダは意識を魔力循環に集中させる。
(私に魔導士が無理なのは分かってる。けど、まだ夢は見ていいよね……)
子供の頃に憧れた魔導士になれるほど、自分に魔法の才は無い。
故郷の中等学園にいた頃に、そのくらいの事は分かっていたリリムだが、魔法すら諦めかけた幼馴染が再び魔法の道に戻った時、もうちょとだけ夢を追いたくなった。
さすがに本当になりたいとは、もう思えなくなった。それでも魔導士の夢を追って、それに限りなく近い魔法使いになりたいと願って訓練に励む。
(アタシにはこれしかないかんな……)
誰にも聞かれない心の中での呟きだからこそ、エミリアは本来の口調で呟いた。
王族として教育されたため、普段はこんな口調はしない上に、態度も大人しいお姫様として振る舞っている。
しかしそれは、厳しい教育を少しでも回避するために演じているのであって、本来の彼女は口調も適当で態度はもっと適当。
ドレスを着てパーティーに出席するより、粗末でも動きやすい服を着て外を駆け回るのが好き。室内で礼儀作法を学ぶより、外で魔法や剣を学びたい。
女の王族だからと許されない多くの事の中で唯一自由にやってこれたのが、魔法だった。
ゆえに王族という縛りの中から抜け出す方法も、魔法で身を立てる事しか見いだせなかった。
魔導士という称号に対するこだわりは無いが、王家という檻から抜け出すには魔法しかないと考えるエミリアは、内に秘めた熱い思いで訓練に取り組む。
「お前達。集中するのはいいけど、そろそろ抑えないと暴発だぞ」
『えっ?』
急に告げられた内容に、全員がいつの間にか閉じていた目を開く。
既にラゼルは後退して距離を取っている上に、身を守るためか風の防御魔法を展開していた。
それを見て慌てて魔力を抑えようとしたが、既に手遅れだった。
小規模だが魔力の暴発が起こり、暴発させた五人はその場を通りかかって現場を目撃したエリカと、あれだけ注意したのにどういうつもりだとラゼルから説教を受けた。