プロローグ
新作です。
よろしくお願いします。
大地が揺れ、暗雲立ち込める中、一人の老人が大地の裂け目に立つ。
彼が後ろを振り向くと、不安そうな表情の中年男性と、フードで顔を隠しているため男か女か分からない、外套を纏った人物が立っている。
背丈は隣に立つ中年男性に比べれば低く、見た目だけで判断するなら十代半ばくらいと思われる。
二人の姿を見た老人は笑みを浮かべ呟く。
「後を、頼みます」
最後の言葉を呟いた老人は大地の裂け目へと飛び降りる。
しばらくすると揺れは治まり、暗雲も徐々に風によって散らばり、日の光が差し込んでくる。
老人の最後を見届けた中年男性は涙ながらに膝を付く。
傍らに立つ人物は表情こそ見えないが、袖口から見える拳は手が真っ赤になるほど強く握られていた。
「また、一人犠牲に……」
涙する男の耳にも届かないほど小さな声での囁き。しかしその僅かな言葉に、この人物の悔しさや怒りが込められている。
「行くぞ。ここからは、俺が役目を補完する」
今度はハッキリと口にした言葉に中年男は立ち上がり、裂け目に対して一礼する。
「もう少しだ。もう少しで、俺が役目を果たせる。そうすれば……」
突如吹いた風でフードが下りる。
フードの下から出てきたのは、灰色の髪と薄い緑色の瞳を持つ、まだ幼さの残る少年の顔だった。
少年は明るくなっていく空の下、中年男を引き連れてどこかへ歩いて行った。
*****
大陸で二番目に大きく、歴史の古い国、オルセイム王国。
かつては隣国との戦争や内乱など荒れた時代もあったが、現在は百五十年以上平和な日々が続いている。
その王城のとある一室で、現国王であるドライアン・ヴィーダ・オルセイムはある人物と二人っきりで向き合っていた。古びた外套を纏い、顔を隠すようにフードを被った怪しげな人物と。
「以上が、私が入手した情報です。一応、調査結果もこちらに」
国で最も偉い国王であるドライアンが敬語で喋る。
周囲に誰かがいれば、間違いなくざわめくであろうこの状況に、向き合っている人物はまるで当然のように調査結果を受け取り目を通す。
「何て言って調べさせた?」
「内部で不正行為が行われていないか、不審者がいないかの調査と」
「無難だけど、表沙汰にできない以上はそんな所だろうな」
調査結果を読む人物は、敬語を使っているドライアンに対し、ため口で喋る。
通常ならば許されないその行為も、今の二人にとっては至極当然のやりとりとして行われる。
「いかがなさいますか?」
「……これが本当なら、俺が出向いて調べる必要がある」
「そう言われると思いました。ですので、どうぞこちらを」
ドライアンが差し出したのは、国立魔法高等学園入試受験票と書かれてある一枚の細長い紙。
「ご存知の通り、この学園の入学に関しては、我々王族でも口出しできません」
「つまり俺が受験に合格するしか、高等学園に潜入する手段が無いわけだ」
「はい。学園には編入制度もありませんし、その……失礼ですが教師では無理があると思いまして……」
「構わないさ。それは俺が一番自覚している」
軽く笑ったその人物は、ゆっくりと被っていたフードを下ろす。
現れた顔は、灰色の髪と薄い緑の瞳を持った、まだ十代前半か半ばくらいの少年の顔だった。
「この外見で教師だなんて、無理がありすぎる」
「すみません。あなた様に魔法学園の生徒などやらせて」
低姿勢で謝るドライアンの姿に、少年は視線を鋭くする。
「言葉遣いはもう今更だからいいけど、あまり姿勢まで低くするな。お前は国王なんだぞ」
「す、すみません。ですがあなた様は」
何かを言おうとしたドライアンに、少年は掌を向けて制止する。
「言うな。それだけはな」
短い言葉と共にこれまで以上に鋭い視線を向けると、ドライアンは身を強張らせ何度も頷く事しかできなかった。
王族として、国王として、数々の修羅場を経験してきたドライアンでも身震いして体が動かない。
それだけの迫力を少年は発していた。
「とにかく、試験の方は任せておけ」
「お、お願いします。それと、お伝えしたい事があります」
「なんだ」
「合格すればの話ですが、私の息子と娘と同学年になるかと」
ドライアンには現在、息子が七人と娘が四人いる。
全員が同じ母親から生まれた訳ではないが、王族なら別に珍しくはない。
「誰だ?」
「第四皇子のルインと、第三皇女のエミリアです」
巷の噂では、ルインは王族どころか、同世代の中で最も魔法に優れていると言われている。
今度の受験も主席で入学するのではと、もっぱらの噂だ。
エミリアの方は、優しい上に美しい姫君と言われていて、憧れる男は多い。
「そうか。まさかとは思うが、合格したら影から護衛しろとかは」
睨みを利かせながら尋ねると、ドライアンは首を左右に勢いよく振る。
「言いません、言いません。ただ、あなた様との接し方に失礼がなければと……」
「向こうは何も知らないんだ、気にはしないからお前も気にするな」
「そう……ですか……」
ほっとするドライアンに対し、気の小さい男だと少年は思った。
しかし、その気の小ささがあらゆる事にも心配を抱え、慎重な行動と対応を取ってこれた。杞憂に終わった事も多々あったが、相手の本当の思惑を読み取って危機を逃れた事もあった。
そういった点は少年だけでなく、ドライアンの下で働く者達も評価している。
そのために、気の小ささを直せとは誰も言わないし、言ってこなかった。
「では、明後日の入試はよろしくお願いします」
「任せておけ。……あぁ、そうだ。向こうの学園長に俺の事は?」
「いえ、何も話していません。一人追加で入試を受けさせろとだけ命じました」
何も喋らなかったのはドライアンの気の小ささからか、それとも少年を気遣っての事からか。
どちらかは分からないが、下手に喋らなかった事を少年は利用しようと考えた。
「それなら、バーバラの弟子と伝えておけ」
少年からの提案にドライアンは目を見開いて驚く。
「そ、そんな、よろしいので?」
「構わない。そうした方が、向こうから何かしら接触があるかもしれない。内情を知るチャンスだ」
ドライアンは危険だと言いたかったが、何故かそれを言えなかった。
というよりも、目の前の少年には言う必要など無いと気づいた。危険な事は知っているし、対抗する手段も持ち合わせていると。
それにそうしておいた方が、周りから注目されてかえって何もされないのではと。
「しかし、逆に警戒されて接触しない可能性も」
「その場合は向こうの監視が付くかもしれない。そいつを締め上げて情報を吐かせる手が使える。近づくのを恐れて完全に無視もありえるが、それならそれでやりようはある」
手段についてまでは説明しない少年だが、ドライアンは少年の言葉を疑うことなく納得する。
「分かりました。では、向こうの学園長にはそのように伝えておきます」
「頼む」
返事を聞いた少年は今度こそ席を立つ。
合わせてドライアンも立ち上がり、頭を下げようとしたタイミングで、聞かなくてはならない事があったのを思い出す。
「あっ、お待ちください。最後に一つ。例の方はどうなっていますか?」
問いかけられた内容に少年は立ち止まり、しばし沈黙する。
「準備は万端だ。あとは向こうの干渉に注意しつつ、時期が来るのを待てばいい。ただ……」
「ただ?」
「伝える者がいない。これという、次の候補者が」
それだけ言い残し、少年は入ってきた時と同じ出入り口へと向かう。
向かうのは部屋の扉の外の廊下ではなく、壁に隠されている秘密の通路。隠された仕掛けを操り、そこへの通路を開き、さも当然のようにそこを進んで行った。
通路が閉じられるのを見届けたドライアンは大きく息を吐き、背もたれに寄りかかる。
「あの方と会うのは何度やっても緊張する……」
かかった時間はそう長くないが、外交での話し合いよりも疲労を覚えた少年との会話時間。
事前に連絡が届く分、心の準備ができるだけまだマシだと思いつつ、与えられた役目を果たすために行動を取る。
「まずは魔法学園の学園長に連絡を取らなくては」
会談用のソファから立ち上がったドライアンは仕事机に向かい、設置されている通信機を取る。
「あぁ、わしだ。国立魔法高等学園の学園長に繋いでくれ」
通話口で用件を告げ、しばらくすると向こう側から声が聞こえた。
「急にすまないな。実は先日急遽受験票を頼んだ、ラゼル・アゼインの事についてなのじゃが」
ドライアンは以前に急な頼みをした理由として、先ほどまで話していた少年、ラゼルに言われた通りの事を伝える。
向こう側から驚きと追求の声が聞こえるが、それは予想できていたこと。
バーバラという人物の功績と、彼女に弟子がいたという事実を突きつければ誰でもそうなると分かっているからだ。
「今の話は本当だ。悪いな、この前は慌てていて説明を省いてしまって。嘘じゃないわい! わしだって驚いて動揺しておったんじゃ! お主も知っておるだろ、わしの小心ぶりを」
かつて知ったる仲である学園長との会話とあって、砕けた言葉遣いで会話をする。
「なに? わざわざ受験させる理由じゃと? 彼を試すためじゃ、本当にバーバラの弟子なのかな」
『……』
「そうじゃ、彼が本当にバーバラの弟子なのか、そっちで見極めてほしい。本当なら彼女の後継者として育てば良し、逆に嘘だと判明したら叩き出して構わん」
上手く誤魔化しながら説明をし、どうにか納得してもらえると通信機を机に置いた。
「ふぅ、これで一段落か。しかし、伝える者か……」
先ほどラゼルが残した言葉を思い出して難しい表情を浮かべる。
「こればかりは、誰でもいいという訳ではないからのう」
自分ではどうにもできないと判断したドライアンは、この事に関してはラゼルに任せようと丸投げし、自分がやるべき仕事に着手した。
*****
秘密の通路を抜け、賑わう町中を歩くラゼル。
周囲に目を向けることなく進む彼の動きには無駄が全く無い。
まるでどこを通ればいいのか分かっているかのように、人ごみの隙間を抜け、一度も立ち止まることなく大通りを抜ける。
決して、纏っている外套から乞食か浮浪者と思って、周囲が避けているのではない。彼の外套は古びてこそいても、しっかり手入れをされていて、そこまで汚れていないからだ。
事実、擦れ違う人々は誰一人として、ラゼルに不快な目を向けてはいない。
「本当に、こっちの方は問題無いんだけどな……」
目元に手を添えながら、自虐気味に微かな笑みを浮かべるラゼル。
「時間はあってないようなものか……」
手をどかしたその瞳は、ほんの一瞬だが金色に変化し、すぐにまた元の薄い緑色に戻った。