Ⅱ
私たちはその夜、宿屋も兼ねている酒場の二階で休ませてもらうことになった。ペパルさんのために力を貸そうとしている私たちに、店の主人が好意で泊まらせてくれたのだ。
「もう布団が敷いてありますよ!」
修学旅行を思い出し、私のテンションは一気に上昇した。喜びの声を上げながら布団へダイブすると、ワタさんも奇声を発して布団に顔を埋め、ルビは笑みをこぼしながら、はしゃぐ三十代とその影を見守っている。そのまま布団の中に入るとワタさんも自分の布団にもぐり込み、ルビは私の足の方で丸くなった。
布団のふかふかさが心地よく、すぐ眠りに就けそうなくらい快適だ。
『ちょっと、何もう寝ようとしてんのよ』
うとうとしかけていた私に、ワタさんの声が聞こえる。
「いいじゃないですか。寝させてくださいよ。本当だったら今頃はとっくに寝てる時間なんですから」
自分の部屋で『魔法使いになれる本』を開いたのが十九時前、それからゆうに五時間は経っている。
「それに色んなことが次々と起こりすぎて疲れているんですよ」
私は、あくびをしながら右に寝返りを打った。しかし、すぐさま強引に向きを戻される。
『またまたぁ。そんな大袈裟なこと言っちゃって』
どうやら影であるワタさんは、眠気というものがないらしい。やたら話しかけてくる。
『ワタさん。ここは畑山さんを休ませてあげてください』
聡明な案内猫は、ここでも私を助けてくれる。
『明日から、もっと大変になるでしょうから、今の間だけでもゆっくりした方がいいでしょう』
縁起でもない言葉を言い残し、ルビはもぞもぞと寝る体勢に入った。ワタさんも渋々布団をかぶる。
(夢ならば、どうか覚めて欲しい)
私はそう願いながら、深い眠りに落ちて行った。
次の日、目が覚めると、にまっと笑うワタさんの顔が目の前にあった。どうやら私が起きるのを今か今かと待っていたようだ。
(うん、現実だな)
虚しく願いが打ち砕かれる音を聞いた後、私は気持ちを切り替えるように、よいしょと体を起こした。ルビも既に起きていたようで、私の布団の横で、ちょこんと座っている。
『よく眠れたみたいですね』
「そうみたい」
思いの外ぐっすりと眠ることが出来た。自分の神経の図太さに少々驚いたが、しっかり睡眠をとったせいで頭はすっきりとしていた。
『店のご主人が朝食を用意してくれたみたいですよ』
一階へ降りてみると、他の客たちが朝食を摂っていた。
『一番奥に座ってくれ』
階段横の厨房から聞こえた声に、私たちは店の奥に視線をやった。
『あそこでしょうか』
空いている客席の一つに料理が並べられていた。卵とほうれん草の炒め物や、シンプルな焼き魚など、昨日食べたような物ではなく、どちらかというと日本食に近かった。私は途端にお腹が減ってきた。
『おはよう。昨日はよく眠れたかい?』
主人である男はそう言って、にこやかな笑みを見せながら厨房から出て来た。短く刈った髪に、顎にはもみあげから繋がる髭。強面だが、笑うと愛嬌のある顔だ。
「おはようございます。泊めてもらったばかりじゃなく、朝食も用意してもらってすみません」
私が頭を下げると、主人は、いやいや、と言いながら顎を撫でた。
『礼を言わなきゃならんのは、こっちの方さ』
意味が分からず首を傾げる私に「ともかく座りな」と言って、主人は私たちを席に促した。
『俺たちもペパルの扱いには困ってたんだ。力になろうと何度も声をかけたが、あの調子でな。でも、あんたたちのおかげでペパルは現実と向き合う気持ちになった。これはそのお礼ってとこだ』
主人は照れ臭そうに頭を掻く。身内でもないのにペパルさんのことを心配してあげている店主に、私は心が温まる思いだった。
『おっ。噂をすればだな』
主人の視線の先を見ると、躊躇いながら店内を覗くペパルさんの姿があった。しかしその佇まいは、まるで憑き物が取れたかのように違っている。
『何か、昨日と別人みたい』
ワタさんも私にそう囁き、楽しげに、ふふっと笑っている。私たちを見つけたペパルさんは、おずおずとこちらのテーブルに歩いて来た。
『朝からしけた面しやがって。ちょうど今、客人に朝食を勧めていたところだ。ペパル、お前も食べて行きな』
『えっ。でも……』
『これから新宮まで行くんだろ。だったら尚更だ。ほら』
主人は躊躇うペパルさんを無理矢理椅子に座らせ、もう一人分の料理を用意しに厨房へ行った。
『……昨日はすまなかった!』
ペパルさんは気まずそうに私たち一人一人と目を合わせた後、勢いよく頭を下げた。
『酒が入っていたとはいえ、旅の方に失礼なことをしてしまって、本当に申し訳ない』
「もういいですよ。顔を上げて下さい」
私が声を掛けると、ペパルさんは、ばつが悪そうに顔を上げた。しかし、
『あんた、しゃんとしてたら結構いい男じゃない』
ワタさんの言葉には困った笑みを見せた。
『昨日家に帰った後、君に言われたことをずっと思い返していた。シャンシャンがいなくなってから、俺は目の前の現実から目を逸らしてしまっていた。心配してくれる街の人のことも忘れて』
ペパルさんはそんな自分が腹立たしいように、テーブルに置いた自分の拳を強く握り、俯いた。
『しかしそれも昨日で終わりにする』
顔を上げたペパルさんの顔には、決意めいた物が滲んでいた。
『俺は今でもシャンシャンのことを愛しているが、それと同じようにこの国のことも大切だ。巫女を失ってこの国の情熱の灯火は小さくなってしまった。俺はそれをどうにかしたい』
『それなら冷めないうちに、たらふく食っとくことだ』
主人がペパルさんの前に、どんっと料理を置く。青年の決意を後押しするように、その皿はどれも大盛りになっていた。
『さ、あんたたちも冷めないうちに食べてくれ』
主人に促され、私たちは温かい料理を頬張った。
巫女が住まう場所は、私たちがやって来た森とは逆方向にある山の頂にあった。急とはいかないものの、そこはなだらかな上り坂になっていて、運動不足の私は息を切らしながら、ワタさんは文句を言いながら、ルビは楽しそうに草木の匂いを嗅ぎながら、山道を歩いた。
『ところでハタさんたちは、どうして旅をしているんだ?』
いつの間にかペパルさんは、私のことをハタさんと呼んでいた。畑山よりはましな感じがしたので、良しとした。
ペパルさんの酒癖の悪さについ忘れていたが、真っ先に聞かねばならないことがあった。
「魔法の種を探しているんです。知ってますか?」
しかしペパルさんは「魔法?」と驚いたように目を見開き、
『そんな物、お伽話の中だけじゃないのか?』
と言って半ば呆れた笑みを浮かべていた。
お伽話の主人公は、現実的な考えの持ち主だった。
一体どうなってるんだと思って案内猫の方を見たが、ルビはまだ後ろの方で草に鼻を埋めていた。ワタさんに「どうなってるんですかね?」と試しに聞いてみると「どうなってるのかしらねぇ」と残念な答えしか返って来なかった。ワタさんはそれよりも巫女が住まう所に興味があるようだった。
『それにしても、よくこんな辺鄙な所を住処にしたもんねぇ』
『神に近い場所として、頂を新宮にしているんだ。もう何百年と続いている』
ペパルさんの説明に、ワタさんはへぇと素っ気なく答えていた。
新宮らしき物が見えてきた。玉砂利を踏みしめ敷地内に入る。正面に一際大きな社を構え、その両脇には、縦長の小屋が二つあった。ルビも追いついたところでペパルさんが、指差しながら説明してくれる。
『正面の社で巫女は毎日祈りを捧げる。その左の建物は巫女が暮らす場所。右側の建物は巫女の世話をする侍女の住処だ。巫女がいない今は、侍女が掃除をする時以外、人の出入りはない』
使われていないその場所は主がいないせいか、ひっそり寂しそうに佇んで見えた。
「シャンシャンさんがいなくなった時、その侍女の人はどうしていたんですか?」
『朝、目が覚めたときには既にいなかったらしい。社の中はもちろん、いつも体を清める為に使っている泉や、社の周りなどを探してみたらしいが』
『姿はなかったんですね』
ルビの言葉にペパルさんは、顔を曇らせながら頷いた。
私たちは何か手掛かりが残っていないか、ひとつひとつ建物の中を調べてみることにした。
侍女が寝泊りをする建物は一番小さな造りになっていた。中は手前に台所が備えられ、釜や鍋が並んでいる。ここで巫女の食事を作ったりするそうだ。
時代劇に出てくるような代物に、私は好奇心の向くまま釜の蓋を開けて覗いみた。おっかぁ、腹減ったと言ってみたくなった。
台所から一段上がった所は寝床となっており、簡易的な箪笥と小さなテーブル、布団がひと組置いてあった。
『やけに質素ねぇ』
ワタさんは侍女の部屋を眺めながらぼやいている。
『侍女は巫女の世話をするのが役目だからな。それ以外の物はいらないんだ』
神に仕える仕事も大変だが、巫女に尽くす侍女も大変そうだった。
社は階を上がって中に入ると、正面に祭壇が設えられていた。中央には仏像のような物が祀られ、その両脇には供え物である穀物や果物が並べてあった。祭壇の前には円い敷物があり、そこで巫女が祈りを捧げることが窺えた。私は試しに円座に腰を下ろしてみた。
背筋を正して目を閉じてみる。少し厳かな感じがした。
「毎日お祈りするんですか?」
ペパルさんからは、当然、と返事が返ってきた。少し小馬鹿にしたような口振りが不愉快だった。
巫女が暮らす建物は社より一回り小さかった。部屋の中は寝所と思われる場所と背の高い縦長の箪笥、読み書きが出来るような横長の机が一つあるだけだった。机の上には、幾つもの古めかしい書物が整然と並べられている。私はその一つを手に取ってみた。ペパルさんが、それは歴代の巫女が綴った日記のような物だと教えてくれた。開いてみたが、のたくったような古代文字の羅列に私は急いでそれを閉じた。そして何事もなかったようにそっと元に戻しておいた。
「ベッドと勉強机。これだけしか部屋にないなんて、私だったら退屈で死んでしまうな」
『畑山だったらきっとそうでしょうね』
私の独り言にも、ワタさんは容赦がなかった。
『巫女は次の代にその席を譲るまで、ここで暮らし、神への務めを行う。そして努めを終えると普通の生活に戻り、結婚して家族を作るんだ』
そう説明するペパルさんの拳は、悔しそうに体の両脇で握り締められている。きっと描いていた二人の輝かしい未来を思い出したに違いない。
一通り調べてみたものの、ここまで怪しいものは見当たらなかった。
『なるほど、なるほど』
しかしワタさんだけは、腕組みをしながら指を顎に当て、ふむ、ふむと頷いていた。
「どうしたんですか。さっきから」
ワタさんは自身の推理を披露し始めた。
『巫女の仕事に妬みを感じた侍女が、シャンシャンを誘拐したのね。第一発見者が怪しいって言うじゃない。決まりよ』
ワタさんは確信を抱くように頷いたが、ペパルさんは、すかさず口を挟んだ。
『神に仕える巫女は、国王のみならず街の人たちから崇められる存在だ。それ妬むのは、誰しもが恐れ多いことだと思っている。それに、巫女の世話が出来るということで、侍女になりたいと願う女性も数多い』
「踊り子だけでなく、侍女も人気なんですね」
ペパルさんの説明に、ワタさんは、こほんと咳を一つ鳴らし、気を取り直すように口を開いた。
『巫女の部屋には乱れというものが一切ない。言い換えると、抵抗した跡がないということよ』
確かに部屋は、綺麗に整頓されている。
『要するに、自分から姿を消したのよ。きっと退屈な毎日が嫌になったんだわ』
今度も自信有り気にそう言ったが、再びペパルさんが話しに割って入った。
『神に仕える巫女が暮らすここは、毎日侍女が掃除を行い、常に清潔に保っている。それはシャンシャンがいなくなってからもずっとだ。だから部屋に乱れがないからと言って自分から姿を消したとは言い切れない。それに、巫女の仕事に誇りを持っていたシャンシャンが、その仕事を投げ出すなんてことも有り得ない』
シャンシャンさんのことは、肉屋の女将も言っていたことだ。しかしワタさんは、ペパルさんに声を荒げる。
『ちょっと何なのよ、さっきから。あんた、ワタシの考えに文句つける気なの?』
『文句じゃない。ただ事実を言っているだけだ』
ペパルさんは腕を組みながら、腹立たしそうに口を歪めている。しかし何も言い返さないワタさんではない。目を吊り上げて、ペパルさんに食ってかかった。
『そんなの分からないじゃない!』
「ちょ、ちょっと。二人共、落ち着いて」
ペパルさんはシャンシャンさんのことになると、人が変わったように頑なな態度を取った。確かに誰よりもシャンシャンさんのことを理解しているかもしれない。だからこそ見落としている何かがあるかもしれないのだ。ワタさんの推理もあまり説得力はなかったが、可能性を頭から潰してしまっては、手がかりも何も得られない。しかし宥める私なんかお構いなしに、二人の怒りは収まらなかった。
『シャンシャンのことは俺が一番よく知っている』
『へぇー。その一番よく知っている俺様にしては、行方をくらます理由が分からないなんて、お笑い草だわね』
『何だと!』
『何よ!』
『皆さん! これを見て下さい!』
ワタさんとペパルさんの顔がくっつきそうになるところで、ルビが声を上げた。姿はないが、ベッドの下に潜り込んでいるようだ。どうやらベッドの足元で何かを見つけたらしい。後ずさりながら出て来たルビは、何かを口に咥えていた。それは滑らかな布で出来た、手のひらほどの巾着だった。
『これは……』
『何だか高級そうね』
ルビから受け取った私とワタさんは、しげしげとその巾着を眺めた。ペパルさんは横で険しく眉を寄せている。
『これは王族が常に身に着けている物だ』
ペパルさんは、おもむろに私の手から巾着を取り上げた。中から出て来たのは、一見ただのコインのようだった。ペパルさんはそれをまじまじと見つめている。
「何なんですか、ペパルさん」
『これは王族の印だ』
王族にはその証として、印と言われる物を持つ習わしがあるそうだ。その材質はクリスタルで、王は太陽、王妃は月、その子供たちには星が刻まれるらしく、反対にその他の王族のクリスタルには何も刻まれない。今ペパルさんの手にある物は、星が刻まれていた。
「これは、どういう……」
私にはその先を言葉にすることが出来なかった。もしかしてという様々な最悪の答えが浮かんでは、私の心を落ち着かなくさせる。
『何? 国王や国民からちやほやされる巫女を羨んで、その娘がシャンシャンを連れ去ったってこと?』
ワタさんの言葉に、ペパルさんは首を振る。
『今の王には子供は一人しかいない。王子であるジャンしか……』
『えっ! じゃぁ、その王子がシャンシャンを?』
『分からない……。でも、王子の印がここに落ちていたっていうことは、そうなのかもしれない』
ペパルさんは信じたくないというように、体の横で拳を震わせていた。
「これを失くした張本人は、今頃困っているのかもしれない」
『きっとそうだと思います』
ルビが足元で相槌を打つ。
『畑山、あんた、何かいい考えでも思いついたの?』
私の顔を見て、ワタさんがふふっと笑みを向ける。私は力強く「えぇ」と答えた。




