始まり
みなさんは本をお読みになるだろうか。
新刊が出るたび彼氏彼女を想うように心躍らせたり、はたまた「鞄に文庫本が入ってるのは当然でしょ?」なんて言っちゃうとか。
私はというと、本はあまり読まない。というか、全く読まない。
「活字なんて追ってられるか」なんてことは思わないが、仕事が終わって家に帰れば真っ先にテレビをつける。バラエティーであれば、大御所タレントみたいに芸人にダメ出しをし、サスペンスドラマであれば主人公の相棒気取りで犯人を追う。テレビ大好き。映像万歳。
そんな私が唯一、惹かれた本があった。
それは『魔法使いになれる本』だ。
タイトルからして胡散臭さが半端ない。
事の発端は大阪から上京し、社会人となって初めて出来た友人に付き合って、市が運営している図書館に行った時のことである。休日ということもあって館内は親子連れを始め、多くの人が利用していた。
月に二十冊は読むという、私からすれば宇宙人のような友人は、以前から読みたかった洋書をさがしたいということで、二階へ行くと言った。
「優子はどうする?」
と聞かれたが、英語はちんぷんかんぷんなので、私はそのまま一階を散策することにした。
友人と別れ一人ぶらぶら歩いていると、【小説・文庫本】コーナーの隣に【子供の本】コーナーがあった。見ると子供心をくすぐるような冒険溢れる物語や、夜中トイレに行けなくなうようなお話など、大人でも楽しめそうな本がたくさん並んである。
しばらく本棚を眺めていると、ほかとは明らかに違う本が目に入った。それは濃紺の背表紙をしており、丸背の形がなんとも素敵である。合皮の外装は年期のためか少しくすんでいたが、それが却っていい味を出していた。背表紙にタイトルが書かれていないことを不思議に思い、どんな本なのか確かめたくなって、そのまま棚から引き抜いた。
「ぬおぉっ」
私は思わず両手でその本を受け止めた。それは、私が普段よく購入するお米一キロと同じくらいの重さだったのである。
これはどう考えても子供が容易く持ち運び出来るような代物ではない。間違ってここに並べられたのかもしれない、そう思いながら表紙を自分のほうに向けると、思いがけない文字が飛び込んで来た。
『魔法使いになれる本』
(んな、あほな)
私は金色の文字で書かれたタイトルを見て、思わず心の中で突っ込んだ。
(夢を抱かせるためなのかもしれないが、魔法使いになれると断言してもいいのか?)
そう思ったものの、すぐに私の好奇心がむくむくと膨れ上がった。魔法使いになれるという摩訶不思議な事柄を同説明しているのか知りたくなったのである。しかし、タイトルの下に書かれてあった小さな文字が、表紙をめくろうとした私の手に待ったをかけた。
【館内・屋外閲覧禁止】
どうやら家で読めということらしい。
【持ち出し禁止】
とかは目にしたことはあるが、まさか借りて帰れと言われるなんて思ってもみなかった。しかしここで開くわけにもいかず、注意事項に基づき学生ぶりに本を借りることにしたのである。
図書カードを作るため、慣れない手つきで必要事項を記入し、紙と本を持って貸出コーナーへと向かった。図書館員の女性は、にこやかな笑みを見せながら私の手から本と紙を受け取り、顧客情報に目を通しながらパソコンに打ち込み始めた。彼女が私の個人情報に目をやるたび、
「三十過ぎてるっていうのに、魔法使いになれることを信じているのかしら。もしかして本当に試してみるつもり? まさか過ぎて笑えちゃうわ」
なんて思われてやしないかと内心びくびくしながら貸出手続きが終わるのを待っていた。とは言え、実際聞かれでもしたら、「はい、まさにその通りです」と答えてしまっていただろう。
そうこうしていたら、二階から友人が下りて来た。以前から私に「テレビもいいけど、たまには本を読んでみたら」としきりに読書を勧めていた友人は、本を借りた私を見て「連れて来た甲斐があった」と喜んだ。だが本のタイトルを告げるのは気が引けて、「生活に必要な情報が載っている本」とだけ伝えた。
あながち嘘ではない。
そういう訳で今、自宅の居間のテーブルの上で、借りてきた本と睨めっこをしている。この本ときちんと向き合うため、いつもは付けているテレビまで消しているのだ。これは、真摯な態度と言えるだろう。
しかし借りてはみたものの、なかなかの分厚さである。果たしてこれを最後まで読み切ることが出来るのか、いささか不安になってしまった。やっぱり止めて十九時から始まる秋の特番お笑い三時間スペシャルを見ようとも思ったが、嬉しそうに微笑んでいた友人の顔が浮かび、私は諦めて表紙を開いた。そこには中央にタイトルである『魔法使いになれる本』の文字があり、その下にこう書かれてあった。
心の鍵で扉を開け
魔法の種を手に入れよ
種芽吹く時
もうひとりの己を知ることとなる
(魔法の種を手に入れれば、魔法使いになれるということなのかな)
ファンタジー色の強そうな文言に、三十路の冒険心が全力でくすぐられた。自分でも気づかないうちに、私は顔をにやけさせながら、もう一ページめくった。