SCENE 01「映画の世界」
翔が目を覚ますと、映画館の中にいたはずなのに木々がざわめく音が耳に入ってきた。翔が起き上がると周囲は鬱蒼とした森の中で、周囲の草むらからは何かがうごめくような音が聞こえている。
「まさか、映画の中ってことはないよな……。多分、夢……だよな、夢」
翔がゆっくりと立ち上がると周囲の木々の影から人間ではない“何か”がこっちを見ていた。視線の持ち主が翔に対して友好的ではないことは視線から伝わってくる殺気で分かった。
(こういうシーンで背中を見せて殺られるってお約束だよな。さて、どう逃げるか……)
翔は逃げ道を探して周囲を見渡す。しかし周囲は森であり、当然逃げ道なんて見つけられない。視線の持ち主達は今にもしびれを切らして襲いかかってきそうだ。翔は対処法を考える。そして、翔が出した解決案は以下の3つである。
①他にできそうなこともないので、バカ正直に逃げる。
②視線の主に自分が敵ではないと示す。
③降参をして相手が慈悲で見逃してくれるのを期待する。
翔はそれぞれ3つの解決案を実行したヴィジョンを考えるが、どう考えても②と③を実行した場合に成功するヴィジョンが見えてこない。視線の主は明らかに殺意を持って翔を見ているし、そもそも言葉が通じるという保障もない。
(結局、答えは一つ。か……)
結論は一つ、バカ正直に逃げることだった。高校時代は映画研究会に入っていたが、中学時代は陸上部に入っていた。翔は、今自分に出せる全ての力を使い、180度ターンして逃げ出した。
翔が逃げ出すのと同時に、背後からは明らかに怪物のものであろう雄叫びが聞こえ、後ろから矢を放つ音や怪物の走る音が聞こえてくる。幸いにも怪物の知能は低いようで、背後から飛んでくる矢も狙いはまばらである。現在の所翔への直撃はないが、これから当たらないという保障もない。故に翔は落ち着いて隠れ場所を探すという暇もない。高校時代最後の体力テストでは中の上程度の実力はあったが、当然体力もそれから落ちているため、翔が思っている速度が出ない。息も上がってきてもうダメかと諦めかけた時、横から飛び出してきた人影に突き飛ばされ、茂みの中へ押し倒された。翔を追っていた怪物は翔の目の前を通り過ぎていった。
「大丈夫?」
翔を押し倒すという登場の仕方をした人物の正体はキャスケット帽を被った銀髪のショートカットの少女だった。肩から下げているバッグや衣服には歯車の模様が描かれ、そしてどこか見覚えのある鋭い目つきをした青い瞳からは人形のよう冷たさを感じさせる。人形のような少女はとても翔のような人間を押し倒すように見えず、少女は冷たい表情で翔を見下ろしていた。
「ああ。なんとか。ありがとう。助かった」
怪物達が完全に翔達のいる茂みを通り過ぎるのを確認すると、少女は翔の前からどいて体についた土を払いはじめた。そこでやっと少女の出で立ちを確認することができた。歯車の模様があしらわれている以外の事が分からなかった服は上下共に黒で履いているショートパンツには左右に一本ずつ白いラインが入っている。上に着ているジャケットの背中には噛みあう歯車の絵がプリントされ、クールな彼女にはかなり似合っていた。しかしながら被っているキャスケット帽も含めて全身黒という驚異のファッションセンスに関しては目をつむることにした。
「まだ安心するのは早いわ。あのモンスター、ゴブリンっていう種族なんだけど、アイツは頭の回転が鈍い癖に妙に執念深いから下手に逃げると後で厄介なことになりかねないわ」
「じゃあどうするんだ?白旗振って命乞いでもするか?」
翔は逃げることができないと言われ、投げやりな態度をとったが、対する少女は冷静で、対抗策を持っているようだった。
「悪いけど、ふざけてる暇はないの。ちょっと待っててね」
少女は肩に下げているバッグを左手で漁り、ガラケーを取り出して翔に放り投げる。翔はそれを受け取ってそれを開いた。携帯電話自体は上が白で下が黒というシンプルなカラーで、オマケに液晶部分がやや薄めに作られているのに対し、下部分が普通の携帯電話では考えられないような厚みでできているので、映画の撮影の開始と終了を知らせる時にカチンと鳴らして合図を送る、言わばカチンコのような代物だった。
「おいおい。これでどうしろってんだよ。よーいアクションってやるか?」
「まあ近しいものはあるわね」
翔が一番奇妙に思ったのは普通のガラケーと違ってテンキーの部分はチョークで書きなぐったようなデザインでボタンとして機能していない上に決定キーに当たる部分に穴が開いていて、決定キーの代わりを果たすようなものも見られなかったというところである。これが携帯電話である以前に電子機器として機能するのかさえ不明だった。
「生き残りたいなら私の指示に従いなさい。そのクラッパーフォンとこのフィルムカートリッジを使って変身して」
少女はカバンから取り出した白いフィルムケースのようなものを取り出して翔に投げ渡した。翔がそれを受け取ると、一瞬だけ、中に騎士の剣のようなものが見えた。
「クラッパーフォン?ずいぶんと変な名前だな。もうちょっとどうにかならないのか?」
「なら脚本家にでも掛け合ってちょうだい」
「はぁ?」
翔と少女が話している間にゴブリンの一体が翔たちを見つけ、首から下げていたと思われる角笛を吹き鳴らした。ゴブリンたちはその音色によって集まり、翔達を取り囲んだ。
「そのスロットにこのフィルムカートリッジを取り付けて、後はクラッパーフォンを閉じるだけ。さっさとしなさい」
少女はクラッパーフォンを開いて、決定キーが設置されている場所に空いた穴を指す。翔は少女の言うことを信じてクラッパーフォンのスロットにフィルムバッテリーを装填した。
『Knight! Just go for it!』
周囲に騎士のファンファーレが鳴り響き、周囲のゴブリン達が動揺しだした。翔も最初は驚いたが、少女に指示されたように黙ってクラッパーフォンを閉じた。
『Knight!Ready……Action!』
次の瞬間、クラッパーフォンが光に包まれて無数のフィルムへと変わり宙を舞った。フィルムに変わったクラッパーフォンは翔の体を包み込み、白銀の鎧へと変化して翔の姿を剣を携えた西洋の騎士へと変身させた。少女はこれから起こる戦闘に備えて近くの木の陰に身を隠した。
翔の変身を見ていたゴブリン達は翔の姿がいきなり変わったのを見て動揺が大きくなっているのが目に見えて分かるようになっていた。しかし、それをかき消すかのようにゴブリン達は雄叫びを上げて一斉に飛びかかってきた。さっきはよく見えなかったが、ゴブリンが飛び出してきたおかげでゴブリンの姿がよく見える。人間とは思えない肌の色と小さい体に長い鼻と、翔が現実世界でのゲームとかでよく見かける姿に似ていた。
翔は、剣術はもちろんのこと、戦闘に関しては全くの素人である。だが今の鎧をまとった翔の頭には剣の使い方や身の構え方といった基本的な知識が、まるで常識であったかのようにインプットされており、翔は腰を据えて腰の剣の柄に手をかける。
「さあ、ショータイムだ。なんてな」
翔の体の底から力が湧いてきて、全く体験したことのない未知の体験に思わず胸が躍る。翔は剣の柄に手をかけたまま腰を低く落として迫り来るゴブリンの群れに単身突っ込んだ。ゴブリンの一頭が手に持っていた斧を振り下ろすも翔の剣が早く、抜刀と同時に切り付けられてゴブリンは一瞬で真っ二つに裂けた。
「居合切りって確か西洋の騎士じゃなくて日本の侍じゃなかったっけか。ま、今は気にしてる暇はなさそうだな」
翔は手で剣をくるりと回し、背後に向けて突き出す。死角への闇雲な攻撃に見えたが、そこにはゴブリンが既に武器を構えており、翔の剣が貫いていた。剣で貫かれたゴブリンは無数のフィルムとなって霧散し、翔は剣を持ち替えて横なぎに剣をふるう。取り囲むように近くに迫っていたゴブリン達は何が起こったのかが理解できないまま切り裂かれ、フィルムとなって消滅した。勝てる、その確信が翔の中には確かに存在していた。そして後ろで矢の準備をしていたゴブリン達の準備が整い、翔に向けて矢を放つ。翔はゴブリン達の矢の放ち方で矢が飛んでくる方向を見切り、体の芯を少しずらして矢を鎧で守られていない関節部分ではなく、鎧に当てて弾き落とす。そして、ゴブリン達が次の矢をつがえる前に翔は一気にゴブリン達の懐まで駆け寄り、翔の振るう剣がゴブリン達をなぎ倒す。ゴブリン達は無数のフィルムになり、消滅していて、最後に残ったのは翔が剣を鞘へと戻す音だけだった。
「ふぅ~。すごいなこりゃ」
『Cut!』
翔が無意識に張っていた肩の力を抜くと同時に翔の体を覆っていた鎧がクラッパーフォンへと戻り、翔の手に収まる。
「お疲れ様。体は大丈夫?」
木の陰に隠れていた少女が姿を現した。ゴブリン達がいなくなったせいか、少女がまとう雰囲気も若干柔らかくなった気がした。
「自己紹介が遅れたわね。私はマキナ。あなたは?」
「あぁ。俺は木野翔。よろしくな」
翔はマキナと名乗る少女と握手を交わす。初対面であるというのに、少女の態度は少し慣れなれなしくも感じた。
「なあ、俺達ってどっかであったことないか?」
「いいえ。少なくとも、私とあなたは初対面のはずよ。他人の空似じゃない?」
マキナはかなりそっけない態度をとったが、口元が少し笑っていた。しかし少女の醸し出す雰囲気がこれ以上の質問を受け付けないと告げていた。
「詳しい話は後でするけど、簡単に言うと、ここは映画の中の世界。ここはゴブリンみたいなモンスターがうようよしてるから危険よ。すぐそこに町があるみたいだから、そこで詳しい説明をするわ」
「映画の世界……ねえ。少なくとも常識が通用する世界じゃないよな」
突拍子な説明をされてどうにも腑に落ちない翔だったが、マキナに連れられて森を抜ける。マキナの言った通り、森を出てすぐそこに小さな町が見え、二人はそこへ向かった。町の中は小さいながらも活気があり、道端でパフォーマンスを披露している大道芸人や、宿屋の呼び込みの声があちこちから聞こえていた。
「この町はちょっとした宿場町になってるみたいね。結構賑わってるから、多分落ち着いて話せるようなお店とかも多分あるでしょ」
マキナと二人でゆっくり話せる場所を探して翔も周囲に目を配りながら歩く。どこもかしこも宿屋が並んでいて、いい匂いが漂ってくる。2人は町の中を歩き回り、メインストリートから少し離れたところに見つけた酒場のような雰囲気の漂う近くのカフェに入った。『昼はカフェ、夜は酒場として営業中』と書かれていた英語で書かれた表の看板の下にはご丁寧に日本語で書かれた字幕が浮かび上がり、英語が苦手な翔でも読むことができた。
この小さいカフェは、昼間は商人たちの商談スペースとして使われているのか、あちこちから金の話が聞こえてくる。カウンターの方では酒を注文する客もいるのだが、店員側が厄介ごとを避けるためと言い張って注文を断っていた。そんな状況をよそに、マキナは店員に注文をして翔が座っている席に座った。少しするとマキナが頼んだであろう紅茶が人数分の2つ運ばれてきた。マキナはそれを一口飲むと受け皿の上にティーカップを置いた。
「さっきも言ったけど、この世界は映画『エクス』の世界。少なくともあなたのいた世界とは常識からして全く違う世界よ。あ、そうそう。クラッパーフォンを出してくれるかしら?」
思い出したように出したマキナの指示に従って翔はクラッパーフォンを取り出した。マキナはそれを開けると中に装填したままになっていたフィルムバッテリーを取り出した。フィルムバッテリーは黒く染まっており、クラッパーフォンから外されると少しずつ白くなり始めた。
「まず映画の世界っていうのはその世界で書かれた脚本が全てを支配してるの。この映画の住人は台本に沿った行動しか取れないし、例え脚本に書かれていない外のから流れてきた人間でも、脚本に書かれた何かしらの役割が与えられてその役割を『演じ』なきゃいけないの。分かりやすく言えうと……最初から最後まで運命が確定している世界ってとこかしらね」
翔はマキナの話を聞いて周囲を見渡す。周囲で商談をしている商人達は一見すると普通に生きているように見えるが、不気味なほどにその動きに無駄がなかった。小さいところにも必ず現れるはずの個々の癖が全く見られないのである。思い返してみれば、この町の人間は誰一人として翔達の格好を怪しんでいない。翔は人形のような人間の集う世界に少し恐怖を覚えた。
「なあ、お前がそのことを知ってるってことは、この世界にはこれまで何人も引き込まれてるってことか?でも外の世界にはそんな噂は流れてないぞ?」
翔の質問に、ただでさえ暗くなっていたマキナの表情はさらに暗くなった。その変わり様を見て、二人は気が引けたが、必要なことだと思ったので質問を撤回するようなことはしなかった。
「まあそうなるわね。少なくともあなたで13人目。流石に私がこっちに来る前の人数は分からないけどね」
マキナはフィルムバッテリーを手にとって状態を確認する。取り出した時は真っ黒だったフィルムバッテリーも、毒が抜けたかのように白くなっていた。
「まあ話を戻すけど、このフィルムバッテリーってのはね、一時的に他の役を付与するアイテムなの。例えば、このフィルムバッテリーには『騎士』の役が入ってるから、これを使うと一時的に騎士として戦うことができるの。まあベースに使う人の知識をちょっと参照するから矛盾が出てきちゃうことが殆どなんだけどね。西洋なのに居合い斬りを使う騎士とか、ファンタジー世界なのに重火器が出てきたりね。まあ生き残らないと話にならないんだし、世界観は気にしないで使えるものは使っときましょ。翔には後2つ、フィルムバッテリーを渡しとくわ」
翔はマキナからクラッパーフォンと3つのモバイルバッテリーを再度受け取り、ポケットにねじ込んだ。
「まあ基本的な話はこれぐらいかしらね。そろそろ行きましょ。お勘定は先に私がやっとくから、好きにしてるといいわ」
紅茶を飲み終えたマキナが代金を払っている間に、翔は外の風を浴びようと紅茶を飲み終えてさっさとカフェを出た。
「動かないで」
いきなり背後から鋭利な刃物の切っ先を突きつけられ、翔に緊張が走る。背後から聞こえてきた声はマキナに似ていて、少女であることは間違いなかった。
「このまま私の言うとおりにして。従わないとこのナイフでブスリと行くわ」
少女の声に押され、翔は人気のない路地に誘導された。そこで翔は解放されて初めて少女の姿を見ることができた。
「おい、お前……」
翔を半ば脅すような形でこんな所まで連れてきたその少女はなんとマキナと瓜二つだった。しかし、マキナと比較してその少女はややタレ目な上に服装も袖口にフィルムの模様のある白を基調としたコートをまとっているといった具合でかなり違っている。また、腰に届く程度の長さの銀髪の一房を結ったサイドテールが特徴的で、マキナのトレードマークとも言えるキャスケット帽の代わりを果たしていた。更にその少女は人形のような冷たい雰囲気を持っているマキナとは真逆の雰囲気を醸し出していて、柄の所に天使の羽のような紋様が彫られたナイフを右手で弄んでいた。
「私の姿が気になるのかしら?言っとくけど、私はマキナじゃなくてマリナよ。ま、マキナの双子の姉、みたいなこと言っとけばあなたは納得の行く説明になるのかしらね」
翔はマキナと瓜二つの少女に出会った上に考えていたことを言い当てられて驚いたが、マリナを名乗る少女は人を食ったような態度で翔を見ていた。
「マキナ・マイブリッジ。この名前に聞き覚えはないかしら?」
「マキナ・マイブリッジ?どっかで聞いたことがあるような……?」
翔の頭の中でマキナ・マイブリッジという名前が引っかかる。どこかで聞き覚えがあるような名前であることに違いないのだが、どうにも思い出せない。そして何かが思い出せそうになったところでマキナの翔を呼ぶ声が聞こえた。
「こりゃちょっとまずいわね。まあいいわ。答えは否が応でもわかるでしょ。じゃあね」
マリナはコートを翻して跳び上がり、近くにあった民家の屋根の上に乗るとどこかに去って行った。それと入れ替わるかのようにマキナが現れて翔のところに駆け寄ってきた。
「何してるの?こんなところで」
「いや、ちょっとうろうろしてただけだ」
マリナが翔に言ったアドバイスの意味は理解できなかったが、マキナの目を避けてやってきた理由は理解できた。なので、マリナの存在はマキナには伏せておくことにした。