05 side:テレジア侯爵
後見人のテレジア侯爵視点です。
カルディア子爵という悪辣で知られた最悪な男を、儂は死ぬまで忘れぬだろう。
何の因果か、一人生き残ったその娘の後見人になること十年。
最初はあのカルディア子爵の娘だという理由から疎んじていた子供であったが、氏より育ちというのはどうやら真実であるらしい。
エリザは物心ついた時より聡明で、子供ながら頭の切れる娘であった。
いつの間にやら親のしていた事を知っており、それを厭うべき悪と断じていた。
善悪の区別が幼い子供の癖についており、それでも自分に何一つ親の事で下げる頭は無いと、飄々としていた。
あ奴は女子であるのが惜しい、と他人の儂ですら思う程才覚の優れた子供である。小娘と軽んじる事が出来ぬ程文武に優れ、己の限界を知り、何より他人を信頼して物事を任す事が上手い。
将来必要になるだろうと思って軍の指揮をさせれば、僅か数年で百も二百も、農民の交じる兵を率いておった。
親の圧政に苦しみ、恨まれていた事などまるで無かった事のように、兵に将として認められ、民に領主として受け入れられ、それを率いていたのだ。
いくら読み書きが出来るとはいえ、三歳で最初に始めさせた勉学が領地を経営する為に必要な知識であった等と、他の誰に言えば信じようか。武官の家系でもあるまいに、同時に剣や槍、乗馬等を叩き込んだなどと、誰が信じよう。それも、女であるエリザが。
そんな子供であったからこそ、齢十二にして初陣の戦で首級を上げて凱旋したと聞かされても、それほど驚きはせずに済んだ。ちと書類一枚、インク浸しにして駄目にしたくらいだ。
隣国リンダールの小賢しいデンゼル公爵は、近年開発されたばかりの石火矢を実戦に導入したらしい。
それも一発打てば暫く役に立たなくなるという大きな欠点を、元々騎馬民族である為に卓越した馬の扱いを用いて上手く補って使い物にしておったそうだ。
その為敗走は確実かと思われた。そう言ったのは総大将を努めておったローレンツォレルであるからして、間違いはなかろう。
だが、あの賢しい小娘は、その二発目を防ぎ三発目以降を放てぬようにしてしまったという。
重装騎馬兵の盾で防ぐのに精一杯であった味方軍すらあざ笑うかの如く、いつの間にやら相手軍の横を取り、軽装の騎馬兵を駆けさせて石火矢の狙いを外させ、引っ込む暇も与えぬままそれらごと敵前衛を重装騎馬兵を引き連れて蹴散らす。
見事だ。それを思いつき、すぐさま実行する果敢さも、不安を感じさせずに兵を従えたことも、見事であるとしか言いようがあるまい。
そうして混乱した敵陣から数百人の部隊を本隊から分裂させ、囲い込んで討ち取った。その中に将が存在したのは本人が言うように運が良かったのであろう。
しかし例え首級を上げずとも、我が軍の士気を大きく殺いでおった石銃隊を壊滅させたその功績だけでも初陣で飾るには華々しすぎる功績である。
「カルディア子爵はあの森をどうにか出来ると思うか、ラディアン?」
「テレジアの名に賭けて是、と答えましょうぞ、陛下」
民を苦しめるだけ苦しめた貴族の面汚し、その娘であるはずのエリザ。あ奴が父親の荒らし尽くした領地をどうにかする為に、儂を使っている事に気付いたのはいつ頃であったか。
いつからか名主に手紙を送り、それらを通して村民の様子に心を砕いておった。儂が親父と同じような事をしておらぬか見張っておった。
そうして浮上してきた小さな問題を、儂の教えた知識で持って予めに解決させておった──これ程愉快な事は無い!
全く小気味良い程に優秀な餓鬼である。
陛下は儂の言葉を信じ、エリザに下級伯爵位を与え、あの森を任せる事にしたようだった。
もうこの老いぼれもあの小娘の代役は務められまい。経験が足りずに手の回らぬことがあるならば、手を貸してやる事ならば出来るだろう。だが、あの才気に敵うほどの力は既に枯れてしまっておる。
そう思って王都に戻ってきたのだが、その後聞こえてきた統治の方法にはこれまた書類を二枚ほど駄目させられた。
領民自身に代表を決めさせ、各村に必要な物を己等で決めさせる。問題事は予め話し合わせ、名主共に解決案まで用意させる。
儂の与えた人手は統治ではなく教育に使うときた。
何と──何という事を思いつくのだ、あの子供は!
増えゆく民への対応にも、何をするにも人材不足である事を理解しておる。森に手を出すどころではない事を弁えているのは儂が育てのだから当たり前として、全く足りぬ人手をどう掻き集めるのかと思えば、なんと自領の民を育てて使うつもりでおった!
コストも時間もかかるが、確実性はある。地力を上げさえすれば豊かになり、将来的には人手も増える。他領から仕事と土地を求め、勝手に人など流れ込んで来るだろう。
そうしてようやく学習院へ上がったかと思えば、再び行軍してきたリンダールの軍勢に、小娘、今度は侵略される地の領主として相対することとなった。
久方ぶりに貴族院で見たエリザに、儂は笑いを噛み殺すに精一杯であった。学習院の校則を理由に騎士服に身を包んだ娘はそこらの家の子弟などぼんくらにしか思えぬ程凛々しく、一体何人の貴族が「本当に男子であれば娘を嫁がせたものを」と腹の底で嘆いたことか!
余りの事に進行役の貴族が女伯爵、女伯爵と確認するように唱えておったわ!
そうして、あ奴は──自国の兵さえ畏怖する程恐ろしい手で持って、その戦に勝利を齎した。
捕虜の死体を使うなど、上手く敵を煽り火計を仕掛けるなど、敵軍に従じている筈何百ものの少年兵を、同じ年頃の捕虜兵を数十人見せしめにする事で、使い物にならなくするなど。
まるで悪魔のような所業であった。聞くも悍ましく、何という効果的な策であろうか。
その優秀さ故に、親とは似ておらぬと思った。
民への思い故に、親とは似ても似つかぬと思った。
あくまでも犠牲の少ない戦をする為に策を練るあの娘は、徒に兵を突撃させ、自分の盾にする親とは全く別物であると思った。
だが、その残虐さは──戦慄するほど似ておる。
救いは、エリザがその牙を敵にしか剥かぬ事であろうか。
ならば何も問題は無い。清濁を併せ呑んでこそ貴族。人死にを嘆き戦も出来ぬようであるならば、教会で神にでも縋っておればよいのだ。