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自分という一点を守る事、それに絞って手を打った。
どうやら私の中では、王への忠義よりも自分の矜持の方が大事だったようだ。
死刑ならば王都の中央広場。幽閉ならばヴェルメール城。これは予想がついていた。
もしも私を死刑とするならば、それは貴族達に対する圧力としてしか機能しない。であれば、見世物としての死が必要となる。この国で公開処刑が行われる場所はただ一つ、中央広場だけだ。
逆に幽閉──婚姻の申し込みがあった時点で九割がたこちらだと考えてはいたが──の場合は、ヴェルメール城以外に条件に合う場所は存在しない。広大な人口湖の中にポツリとひとつだけ存在する、貴人の幽閉そのものの為に作られた城。
場所さえ絞れるならば、話は早い。
どちらの場合にせよ駒は一つ、仕掛けは二つだった。
まだ誰にも露見していないイグニスの存在が、最後の命綱になるとは案外追い詰められたものだ。
仕掛けの一つは、イグニスを使い王への翻意を芽吹かせる事。これで私がアークシアを去った後もこの国の壊滅を防ぐ可能性は大いに残る、筈だ。
二つ目は単なるイグニスによる私の救出の作戦だ。当日の朝から王宮にイグニスを潜ませ、近衛の兵士の一人に成り代わらせる。これは……点検のために武器庫の一つである狭い密室に入った兵の一人を、イグニスの魔法の火を不完全燃焼させて一酸化炭素中毒にさせた。相手が昏倒してすぐに救助するようイグニスには言いつけてあったが、もしかすると後遺症は残るかもしれないな。何せ一時間近くは濃い一酸化炭素の中にいたのだ。
その後は謁見の間の近辺に待機。私が兵士によって連行されるのに同行し、ヴェルメール城ならば船渡しにでも成り代われと言っておいた。
育ちの悪さのわりに背筋の伸びたイグニスは、数ヶ月の間私に飼われていただけあって身奇麗で、見ただけでは平民には見えない。本人の資質も元からあったのだろうが、一連の行動は愉快なほど上手くいった。
だが、ヴェルメール城に押し込められた私を待っていたのは、笑うしか無いような知らせだった。
城ではまず、どれほどの言葉で私について吹き込まれたのかというほど侮蔑と畏怖の顔を浮かべたレディス・コンパニオンが、六人ほどの侍女を使って私を事実上の囚人服であるドレスに押し込めた。侍女たちも大概似たような表情だったが、着付けの終わって彼女達が王城へと戻っていった頃、漸く手袋の内側に感じた違和感があった。
誰がそれを差し込んだのかは気がつかなかったが、確かに私の筆跡の走る紙の切れ端の裏側に、「王権を取る。素敵な種をありがとう」などというふざけた走り書きがあった。どうみてもレイチェルの筆跡だった。
私の撒いた芽は、どうやらレイチェルによって随分な速度で開花させられたようだった。
私の芽を利用したということは、どう考えても私が反逆の徒の重役として認識されていることは確実。レイチェルと私の間のラインが実は繋がっていなかったとは誰も考えたりはしないだろう。
さて。バルコニーで待っていた、場違いなほど優雅な三つの色彩。一人はレイチェル。一人は知らない顔だが、彼らが此処に居ることから察するに何か移動系の魔法使いだと判断する。そして、久々にこんな近くでまみえる事となった、ゼファー。マリクに脅されて、私から離れていた筈の存在。
手を打った当初には、どうなっても私はこの国を捨てて逃げるのだと思っていた。だから、ゼファーを傍に戻そうとは微塵も思わなくなっていた。
それが何故、ここにいるのか。
内心の動揺を押し殺して、それを問いたら恐ろしいほど冷たい声になった気がした。
ゼファーは、酷く穏やかに笑った。ただそれだけを返した。
「あらあら、今回の立役者の一人である彼に、随分な言いようですわね」
そこへ、少々非難の音を込めたレイチェルのツンと澄ました声が飛ぶ。立役者とはどういうことか。思わず眉根を寄せて彼女に視線を戻したが、レイチェルの鋭い視線と絡む事は無かった。
「あの……取り敢えず、移動しないのです?」
ずっと黙っていたもう一人、白い聖衣を纏う少女がそう声を上げたからだ。
奇妙な訛りの混じった喋り方。アークシアの者にしては濃い肌の色。
「……南方国家の方の娘か。珍しいな」
「後にしてくださる?それと、黙ってないと舌を噛みますわよ。カプシャ、頼みますわ」
思わず呟いた以外に意味の無かった独り言がばっさりと切られる。舌を噛む、とはどういうことか。疑問を考える暇は一瞬だった。カプシャと呼ばれた娘が両手の揃えた指先を重ねて口元を隠す。儀礼地味たポーズだ、そう思った瞬間、体は宙に浮いていた。
唐突に、前世のとある記憶を思い出した。エレベーターが上の階へと動き出したあの感覚である。地に足のついていない状況に、流石に頭から血の気が引いた。