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40 追憶

根っこの話

 そばかす以外に目立つ所の無い女だった。

 歳は15。発育不良で、小枝のように折れそうなほど細い体付きで、12歳の姉より小さく。それでいてやつれて疲れ切った顔は、凪いだ湖面みたいに静かで、見ただけでは年齢を測ることは出来なかった。


 口数の少ない女だった。

 あまりにも口を開かない女だったから、喋れないのかとすら思っていた。

 他の者はこちらが何も返しもしないのに、お構い無しでべらべらと話しかけてくる。だが、女は唯一、一言も私に口をきかなかった。


 女の親は、領主に税を軽くしてくれと嘆願し、不敬と反逆の罪に問われて首を落とされたと聞いた。

 よくも親を殺した相手の家で働いていられるものだと感心した覚えがある。

 それを知った後三ヶ月ばかり女の様子を見ていたが、女は只管静かだった。眈々と復讐を狙っている訳ではないと分かり、驚くより前に疑問が浮かんだ。問い掛ける気は、何故か起きなかった。


 領主が死んだ時、それに媚びへつらう事で安寧を得ていた従者共は一斉にどこかへ散っていった。その女だけが一人残った。

 そうして、初めて女は私に語りかけた。 


 「あなたは正しい事をした」


 女の遺した一つ目の言葉だった。




 女は淡々と私の世話をした。

 殺したいとか苦しめたいとか、そういう事を思わないのだろうかと、再び純粋な疑問が浮かんだ。

 この女にはそれをする権利があると思っていた。


 様々な事を考えて、だが深く根付いていたお綺麗な道徳観念が二年ほど私を迷わせた。

 迷ううちに荒れ果て、疲れ、乾ききった領地と領民、それから私の精神。引き裂かれるような思いを感じなくなるまでに二年掛かったと言い換えてもいい。

 そのうちに何人飢えて死んだのだろう。そのうちに何人処刑されたのだろう。

 領民の命を憂いていたのは事実。


 そのまま捨て置けば私の未来には当然断罪が待っているのだと、生まれた時から知っていた。

 最初は、話をすれば解ってくれるだろうかと、良い人に変わって罪を反省してくれるだろうかと、夢物語のような事を何処かで考えていた。

 そうなるまでに何人死ぬのかと思った時、説得すれば解ってくれるなどと甘ったるい事を考えるのはやめた。それに、手遅れなのだと何処かで理解していた。

 自分の命を憂いていたのも、事実。


 知っていた未来を覆す為、つまり私の命を救うのに必要だった事、それから領民という大勢の命を救うのに必要だった事。同時にこれ以上失望したくないという少しの思い。他、様々な感情。

 二年間で積もりに積もったそれらの思いをないまぜにして、スープ鍋に沈めた。


 自分が将来生き残る事も織り交ぜて、人間八人の命を奪った。

 反面、女には殺されても良いと思っていた。

 それでいいと思っていて、どうして女がそうしないのかと疑問に思っていた。


 「あなたは正しい。罪は償われている」


 女の遺した二つ目の言葉だった。




 女は肺を患っていた。

 後見人が王都から来ると、役目は終わったとでもいうように病床に着いた。

 死の恐怖は、いつまで経っても女の顔に浮かんでは来なかった。


 女の横たわる寝台の横で一日の殆どを過ごした。

 そうするのが正しいように思えた。

 女が既に一人で部屋から出る力も残っていないのだと、何となく察していた。だから、女が私を殺したくなったら殺せるよう、女の手の届く場所にいようと考えていた。

 女の枕元に、自分の手でナイフを置いてやった。

 女はそれで腐りかけた林檎を剥いていた。


 女はみるみるうちに弱っていった。

 ある日林檎すら剥かなくなって、もう腕も上げられないのだと気付いた。

 女の手にナイフを握らせて、喉を突き出してやった。少し動かすだけで私を殺せるように。

 その時初めて私は女に触れた。

 女は、ナイフを動かそうとはしなかった。


 「どうしてころさないの?」


 私からの、最初で最後の問い掛けだった。

 女に話しかけたのもそれが最初で最後になった。


 「──あなたは、私の事が好きね。殺されてもいいくらい。私も、あなたが好きよ。殺したくないくらい。」


 女が力無く笑った。

 彼女はそのまま、薄く微笑んで死んだ。


 女の遺した三つ目の言葉に、訳も分からず泣く自分がいた。




 女の事はそれ以外、今でも分からない。

 女の名前を、私は知らないままだ。

 女は、私が名前を聞く前に死んでしまった。


 ただ、女は私が最初に愛した存在だという事だけ、今ならわかる。


 そうして女の遺した全てが、今の私を作り上げ、生かしている。

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