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 視界がぐらりと揺れたような気がした。


 ヒロインがたかだか辺境伯である私について、詳しい情報を持っていないことは予想していた事だった。何しろ飾り駒にする気まんまんで教育された姫君だ。

 アークシア王国として六百年の前例の無かった国賓の女性留学生、その接待役として、肩書き上私以上の適役が居なかったのはわかる。


 レイチェルは王家に連なる公爵家の娘だがの分家の者で、その父は爵位を持たない……つまり爵無し貴族。ユリアは今年入学で、学習院内の事情に明るくない。今年は他には、下級伯爵家の女子生徒しか在席していない……。

 それでリンダールから見れば憎むべき敵である私を使うしか無かった。

 そしておそらく、リンダール側もそれは承知の筈だ。関係上、大公女(エミリア)をアークシアに捩じ込むのに頭を下げたのは向こう。

 つまり、私の悪名に関しては両国の上層部が足並みをそろえて大公女(エミリア)に対しシャットアウトしていたという事になる。


 それを何故、王太子がバラす?

 あまりの事の衝撃で頭がうまく回らない。一瞬でも呆ける暇など、無かったのに。


 「……串刺しって、え?」


 ぽつり、と誰かが零した小さな声。ハッとした時にはもう遅い。

 波のようにその伝言ゲームは一瞬にして広がった。好血伯爵と影で言っていた者達が有頂天になって周りに喧伝し始める。

 今の今まで口さがない貴族のでっち上げ、眉唾物だと思われていたその外道の極みのような行いが、真実としてあっという間に全校生徒に伝わってゆく。そうだ、今日は降臨祭だ。全校生徒にがここに集まっている……。

 今更誤魔化すのも取り繕うのも出来ない。許される一瞬を逃してしまった。


「突然どうしましたか、エミリア様?」


 ざわめくホールのギャラリー達にはお構い無しに王太子が此方へ来る。音楽はいつの間にか止んでおり、気付けば周囲を取り囲む目の全てが私達を注視していた。


「──王太子殿下?」


 流石の事に、声が震えた。さめざめと泣き崩れたヒロインに構う事すら出来ずに、立ち尽くしたまま。


「エミリア様に、何を仰ったのですか?」


 駄目だ、冷静じゃない。今度は自分の唇が戦慄くのを感じる。


「特に何も。エインシュバルク伯爵はその氏を一年前の防衛戦争で活躍し、賜ったのだとお話しただけだよ?」


 王太子は綺麗に笑った。邪気をこれでもかというくらいに塗り込めた笑顔だった。

 何か企んでいる、動いている、それが分かっていたのに、今夜の事が全く予想できなかった。

 侮っていたのか。いや、かなり巧妙に情報が隠蔽されたのかもしれない。態とどうでも良さそうな情報を此方に握らせて──?


「何故、そんな……っ」


「カルディア様ッ!」


 たまらず叫びそうになった、そのタイミングで。甲高く誰かが私の名を呼んだ。

 ホールに駆け込んできたのはユリア。酷く慌てた様子で、血相が青く変わっている。


「ユリア?」


「大変ですわ。お祖父様が──お倒れになりました」


 ガン、と頭を打ち付けられたような気がした。

 テレジア侯爵が?倒れたって、この前まであんなに元気そうにしていたのに……!


「そうだ。言いそびれていた」


 嘯くように王太子が笑う。ユリアが私の手を引こうとするのを留めて、その何処までも楽しそうな表情を見る。


「エミリア・リンダール大公女閣下。ザスティン公爵嫡男、ラージアス・ザスティンとのご婚約、心よりお祝い申し上げます」


「──え?」


 ヒロインが呆然と訊き返した。

 矢継ぎ早に入ってくる膨大な情報に頭の処理能力の限界を超え、私もそれを呆然と眺めるしか出来ずにいた。


「こ、婚約?」


「ええ。本日の昼に、必要な書類が整ったそうですよ」


「そ、そんな──お、お父様は何も……」


 シ、と王太子が唇に指を立てて、ヒロインが慌てて口を噤む。

 彼が視線を滑らせて示すのは、周りを取り囲む目、目、目。


「グレイス、エミリア殿を寮まで送り届けて差し上げて。具合が悪いようだから」


 王子の影から、表情の削げたグレイスがふらりと現れた。たった一瞬だけ視線が絡む。そこに嫌悪の色が浮かぶのを、はっきりと見た。


「失礼致します、エミリア様」


 グレイスがエミリアの手を取って、きちんと立ち上がらせる。そうして──

 その輪郭がブレるように、二人は消えた。


「え──」


 今のは、何だ……?

 脳裏に鮮やかな赤色がちらつく。だがそれが何か、今の私には思い出せない。許容量がとっくにオーバーしているのだ。


 焦れたようなユリアがぐいと私の手を引く。よろけるようにして踏み出した足を止める間も今度は無い。


「ユ、ユリア?何処へ──」


「お祖父様の事と、あと一点お伝えしなければならない事がありますの。ああ、もう!ちょっと、退いてくださるっ?」


 人混みを掻き分けて彼女は先程のバルコニーに出た。人影は無い。人に聞かれたら不味い話なのだろうか──でも、何を?


「落ち着いてお聞き下さいね。後見人であるお祖父様に対して、王室からカルディア様への、王太子殿下とのご婚姻が申し込まれておりますの」


 ぐわん、と世界が歪んだ。

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