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無邪気も過ぎると、清濁併せ呑んで生きる貴族社会にどっぷり浸かった私にはキツイものがある。
あの会心の笑顔でヒロインは攻撃を止めたりしなかった。ダンスの間中真っ赤な顔で嬉しそうににへにへされ、終わった後にさらに眩しい笑顔で礼を述べ、上機嫌で私の腕に手を回して会場を歩きまくり。
会食の席に送り届けて漸く解放された。なんというか、精神的にごっそりと何かが持っていかれている気がする。
そこへ現れたのはルーシウス・モードン。父親譲りの色彩と母に似たという繊細秀麗な顔立ちで、一部では『姫王子』なんて渾名されている彼は、タイ留めとして誇らしげに私の贈ったブローチを付けてやってきた。
「エインシュバルク伯爵、お会い出来て嬉しいですっ!」
「やあ、ルーシウス。一月ぶりかな……」
まだ身長の低い彼は目を輝かせ、上目遣いに私に挨拶する。そこに邪な下心は見えないので、嫌らしさを感じない。が、ヒロインから多大なダメージを喰らわせられた今の私にはこれもキツかったりする。
「学院にはもう慣れただろうか?」
「はい。皆良くしてくれて……」
沢山友達出来ました、と照れ笑う彼にゼファーが重なる。対人スキルの高さは一家揃ってなのか。
「……兄様は、まだ様子が変です」
いろいろと思い出すうちに兄の異変について思い至ったのだろう。しゅん、と肩を竦めたルーシウスは、ゆったりとしたドレスのような法衣が相まってやはり少女のように見える。
「伯爵、あの、兄様は……」
「心配しなくていいよ、ルーシウス。君の兄上には私も随分助けてもらったから。恩は必ず返す。」
暗に裏から手を回している、と伝えれば、美少年は花の如くにその顔を綻ばせた。
今の所、不審人物がゼファーに近寄っていないか情報を探らせたり、春に彼を訪ねたマルク教授が何を彼に吹き込んだのかを調べている。ゼファー本人は、何やら鳩を飛ばしまくっているようだが……。
ルーシウスは友人に呼ばれ、何度も頭を下げながら一年生に充てられた席へ戻って行った。
それと入れ違いに、今度はやたらとテンションの高い少女がやってくる。
「カルディア様っ!」
「ユリア……侯爵家の令嬢にしては慎みが足りない。言動には気をつけなさい」
「も、申し訳ありません……」
ぱたぱたと駆けて来た彼女はユリア・テレジア。かつて私がテレジア侯爵に聞かされていた、同じ年頃のご令嬢である。テレジア侯爵の三人いる娘のうち、真ん中が母だそうだ。
「あの、カルディア様。先程姫君と共に優美なダンスをされていたというのは、本当なんですの?」
「…………。優美かどうかは知らないが、リンダールの大公息女殿と一曲踊ったのは事実だよ」
何だか頭が痛くなってきた。周囲の令嬢達の視線がどうしてか突き刺さってくる……。
もっと王太子とか、大公家の二人とか、そこらへんの人をダンスのパートナーには狙いなさい。男装の麗人で盛り上がっているのは理解しているけど、将来をよく考えて。好きだろうそういうロマンス。
「国賓とはいえ、狡いですわっ!」
成程、ユリアは女子生徒達の代弁者なのか。扇をギリギリと握るのは止めなさい。怖いから。
「国賓だからこそだよ。戦争を防ぐ為、国を守る為なら私は幾らでもダンス程度なら踊るし、男の真似事もしてみせる」
「で、ではカルディア様が踊って下さらなければ私、クーデターを起こしますわ!」
……この、阿呆娘が……。思わず頭を抑えた。溜息はなんとか飲み込んだ。馬鹿な事を言い出すが、この少女は意外と私が身内に甘いことを知っている。テレジア侯爵の孫娘、無碍に出来る訳が無い……。
「会食が終わったら、少しだけなら時間がある。それでいいか、ユリア?」
「え、ええ!勿論ですわ!ありがとうございます、カルディア様っ!」
だから、その邪気の無い笑顔はやめて欲しい。
三連星の如く輝かしい笑顔で私の精神的な何かをごっそり削っていった子供達に、私は疲れ切って眉間を揉むのだった。
会食は和やかに終わり。
生徒達は思い思いに周囲の友人と話をしたり、舞踏会場へ向かったり、大胆なカップルなんかはバルコニーやバラ園の方へ消えていく姿もちらほら見える。
食後の紅茶で口の中をスッキリとさせながら、私はただぼんやりとそこへ座っていた。ユリアと約束した手前、彼女が迎えに来るまではここに残らねばならない。
それに、ヒロインのイベントも確認しておきたい。今一番好感度の高いキャラクターにダンスに誘われるという、ゲームの法則に従ってイベントが起こるなら、これからどのルートに入って行くのかが絞りやすいだろう。
勿論ここは残念ながらプログラムによって組み立てられたゲームの世界ではなく現実なので、眉唾物だが取り敢えず見ておくかという程度の話だ。
それにしても、ユリアは来ないしヒロインも攻略キャラクター共も動かない。紅茶を啜って暇を紛らわすにも限界がある。
──一年生のテーブルがどうにもざわめいている気がする。視線を向けると、丁度ユリアが立ち上がって誰かと揉めているような場面が飛び込んでくる。
何に対してもソツの無いユリアが揉め事とは珍しい。何だろう。訝しんで見ていると、彼女はちらりと此方に視線を向けた。目が合う。申し訳なさそうにその頭が軽く下げられる。
そうして、言い争っていた相手と、周囲を取り囲んでいた連中をゾロゾロと連れ立ってユリアはバルコニーへと出て行った。
「カルディア?」
突然声を掛けられて、ハッとして振り向く。
王太子がそこに立っていた。
「珍しいね、貴女がぼうっとしているなんて」
「いえ……申し訳ございません。何か御用でしょうか?」
「エミリア殿をダンスに誘いたくて来たんだけれど、連れていくにはカルディアに声を掛けてからでないと駄目かな、と思ってね」
よく見れば王太子の背に隠れて真っ赤な顔のヒロインが泡を食っている。ゲーム的に見るなら王太子が最もヒロインに対して好意的……なのか?
なにやらキナ臭い尻尾をチョロつかせている王太子だが、かといって彼が隣国の姫君とダンスするのを止める権限は私には無い。何を企んでいるのかは知らないが、流石にヒロインを人質に取ってテロを仕掛けるような事は無いだろう。王太子にメリットが無い。
「わかりました。私は控えていますので、エミリア様をよろしくお願いいたします」
「うん、じゃあ行ってくるよ」
「あ、あぅ……カ、カルディア様、行ってきます……」
もごもご言いながら手を取られてホールに引かれていくヒロインを見送った。……ああ、しまった。今面倒そうな事を思い出した。
シナリオ通りに進むなら、ヒロインはあと少しで踊りきるというところで、何らかの要因で逃げ出す筈なのだ。あの人だかりの中を突っ切ってくるのであれば、怪我や事故が起きるかもしれない。
そうなってからではいろいろと遅い。億劫さを忘却の彼方に押しやって、二人の後を追ってホールに向かった。まるでやれやれ系主人公とかいうものになった気分だ。
弦楽器の音が軽やかに鳴り響いて、白い布の洪水がうねる。ゆったりとしたテンポに合わせて御伽噺の主役のような二人はホールの中心で揺れていた。
遠目から見ても王太子は煌く笑顔をヒロインに向けており、ヒロインの方は真っ赤な顔で視線を彷徨わせている。かちこちなのがここからでもわかるほどなのに、ステップは優雅に踏んでいるあたり流石と賞すべきか。
ゲームでは、王太子が相手だった場合少しばかり情熱的なことを囁かれて恥ずかしさの余り逃亡するといった流れだったと思う。現実でも同じような事が起こるのだろうか?
その答えを示すかのように、王太子は曲の終盤に差し掛かったあたりでヒロインの耳元にすこし顔を寄せた。
その秀麗な顔が甘く蕩ける様な笑みを見せ、……?
ヒロインが、目を見開いて完全に硬直する。
王太子は蜜のような笑顔を変える事なく、ヒロインの肩を叩き、そうして真っ直ぐに私を指差した。
何だこれは?あいつはヒロインに何をさせようとしている?
真っ白な顔をヒロインが私に向ける。唇を戦慄かせて、私を見つめて、そして──
王太子を引き剥がすと、私目掛けて走り寄った。
そうして、目の前に立つ彼女は、震える声で私に問う。
「カ、ルディア様……嘘、ですよね?あ、あなたが、あの串刺しを行ったなんて……、こ、子供の首を、刎ねた、なんて……っ、う、嘘なんですよね……っ!?」




