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王太子が何を下らない事を企んでいるのかはともかくとして──そもそも総帥の孫に手を打っていなかったり、レイチェル以下水面下で付き合いのある学友達に気づけてないあたり本当にツメが甘い──外交という国と国同士のリアルな喰い争いの表面では、覚えている通りの乙女ゲームのシナリオが恙無く進行している。
王太子を通して大公家の二人や総帥の孫と面識を持ったヒロイン。
ゲームの通り天真爛漫で屈託の無い彼女は、敵国からやって来た大公女という厳しい視線の中、健気な態度を崩さずに日々の生活に勤しんでいた。
四人のキャラクターとのルートが始まるのに必要な最初のイベントもしっかりと回収されている。
私は色々と事情がすっ転がったお陰で、学習院内ではヒロインの付き人のような立場を国王陛下から賜っている。そういう訳で、それらのシーンは全て横から生暖かく見守らせてもらった。
ゲームの中では、お約束通り四人がそれぞれ抱えている問題をヒロインが解決して親しくなっていくというシナリオが描かれていた。古今東西、人の信用を分かりやすく得られる方法は変わらないらしい。
こんな貴族社会で生きていれば問題なんて大なり小なり山ほど出てくる。特に彼等のような子供はまだまだ思春期特有のあれやこれやをたんまりと抱えているという訳だ。
基本的には、王太子はその地位から来る孤独……これは立場上他のキャラクターにも当て嵌まってくるのだが、その地位的に仕方のない孤独感を埋めるような言動が攻略のカギとなる、らしい。
攻略こそしなかったが、好感度の上がる選択肢の傾向は私が居ますだとか、臣下の礼をとっていても友人には変わりないだとかそういった台詞だった。
大公家の二人は殆ど同時進行で攻略する必要がある。これは妹情報だ。この二人はお互いから引き剥がされる事を極端に拒絶する。特にグレイスは、エリックルートで彼の好感度を低いままにするとバッドエンドになるという徹底振りだそうだ。
そんなグレイスの攻略は比較的単純で、弟とずっと一緒に生きていくという望みを肯定していけばいい。対外的に二人が離れずに済む環境を作るアドバイスと、エリックと一心同体であるというグレイスを許容する姿勢が攻略のコツだ。
一方のエリックは彼の自立心を支えてやるのが後略の糸口となる。何をするにもグレイスに頼りがちな彼を導き、兄弟として助け合う関係まで引き上げてやる。その中でブラコンのグレイスの好感度も調整しつつ信頼関係を築いていくのだという。
そして残る総帥の孫は、コイツは意外と攻略が面倒であると世間から評価を受けていた。武人キャラクターのテンプレに則り、色恋沙汰に鈍い……というか、そもそも女性に疎いのだ。
そんな彼には女性的な精神力の強さを只管魅せつける選択肢が求められる。悪役令嬢エリザ・カルディアが最も活躍するルートであり、仕掛けられた嫌がらせや虐めに真っ向から耐える必要がある。
正直に言って一番嫌いなシナリオで、もしも前世で二周目や三周目をプレイしていたとしても、総帥の孫だけは攻略しなかっただろう。
前世から今に至るまで、私の辞書に『健気な態度で逆境に耐える』という言葉は無い。
エミリアは、流石ヒロインと言うべきか、それとも大国リンダールの頂点に構える大公の息女と言うべきか、思春期の少女とは思えない程懐が深い。言い換えて、許容範囲が非常に広い。
年頃の少女特有の、同年代の少年達と比べて精神的に一つ大人である事を武器として、聖母の如き優しげな物言いを撒き餌として恐るべき一つの魅力を形成するのである。
これが例えばレイチェルのようなタイプであれば、その容赦の無い言葉が刃と化して少年達の柔い心をずったずたにしてトラウマを植えつけまくるに違いない。喩え同じ事を言ったにせよ、言い方と態度によって全く異なる結果を齎すのである。少年達には恐らく悪魔に見えることだろう。
勿論実際のレイチェルは、その爪を隠して獲物を獲る、言わば能ある鷹なのだが……。
今のところ、ヒロインは一通りのイベントをこなしている。誰かのルートに入るのか、それともルートに入らぬまま終わるノーマルエンド、通称『見知らぬ公爵エンド』になるのか……。
ちなみに、誰のルートにも入らない場合でも、ノーマルエンドとバッドエンドの二種類が存在する。
バッドエンドの通称は『国交悪化エンド』であり、エリザの仕掛けた罠に嵌り、ヒロインに実害が出て隣国との関係が激化の一途を辿るというものだ。
エンディングまでは確認しなかったが、クイックセーブを使って少しだけその内容は見た覚えがある。
「カルディア様、見てください!すごい綺麗なお花……っ!」
「ああ、あれは紫涙草ですね。花弁の表面に特殊な凹凸があって、見る角度によって色が異なって見えるそうです。王都から西ではよく見られる花だそうですよ」
昼の茶会に出席するというヒロインを送る途中。
リンダールでは知られていなさそうな、特徴的な紫の花を見てはしゃぐ彼女に、そこにいた庭師に一輪摘んで貰う。
今のところ、ヒロインとの関係は良好そのものだ。
勿論、ゲームのような事にはエリザが私である限り有り得ない。危惧しているのは私の隣国での悪評が、良くも悪くもお綺麗すぎる性格のこの娘に伝わる事だ。純粋培養のお嬢様は作為的な教育によって政治的な話に疎く、私の悪行も今のところは知られていないようだが。
「どうぞ」
「わぁ……ありがとうございます」
「いえ。そうだ、ちょっといいですか」
ふと思いついて彼女の耳元にその一輪を差し込んでやる。桃色掛かったブラウンの髪に、日の光を受けて青と赤の幻想的なコントラストを写す紫はとてもよく映えた。想像通りだ。
「あ、あの……カ、カルディア様?」
私よりも身長の低いヒロインは、真っ赤な顔で見上げてくる。
そういえば大公家に生まれた彼女は他人との不用意な接触に弱いという設定がゲームにあった。所謂赤面症であり、ゲーム中でのヒロイン側のコンプレックスとなっている要素だ。今更思い出した。
「突然失礼しました。でも、良く似合っている」
安心させて落ち着かせようと微笑んだが、逆効果だった。……人から褒められることにも慣れていないんだったか。聖母のように他人への許容範囲が広いくせに、自分へ向けられる感情にはコミュ障の如き対人能力という設定を、これまた今更思い出した。
折角戦争の収まったリンダールとの諍いが再発するのは御免である私としては、絶対に『国交悪化エンド』だけは回避したい。
そんなわけでエリザ・カルディアとしてせっせとヒロインの好感度を上げているという訳だ。
そもそも隣国の大公息女なんて美味しい獲物、そう簡単に逃す気も元から無い。折角国王陛下から直々に頂いたのだ。存分に骨の髄までしゃぶり尽くさせてもらう。




