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 拭えない違和感は放っておくと命取りになる。

 (エリザ)に関する事以外、乙女ゲームと同じ体裁が整ってしまっている。警戒するに越した事はないだろう。


 乙女ゲームのシナリオはさておき、現実的な話をする。隣国の公女エミリアが何故アークシアに留学できたか、という事に関してだ。

 表向きの理由は簡単に分かる。リンダール、正確にはデンゼルとの戦が再び始まらないよう、人質としてエミリアはこの国に来た。


 だが、それだけでない事は確かだ。

 六百年近く侵略戦争の防衛と、潜り込ませた間者の齎す情報以外他国との関わりを断ってきたアークシアが、たかだか二十年、それも単なる名目上続いただけの戦争の為に敵国の女を引き入れる訳がない。

 それにリンダールにしても、態々支配層の最頂点に立つ大公が娘を差し出す理由が無いだろう。デンゼル公を他の三公と必ず抑えておくという意思表示のつもり、とは考え難い。

 今までデンゼル公を止めずに放っておいたのだ。リンダール側にも思惑があると見て間違いは無い。


 つまり私は、両国の外交という水面下の戦争に巻き込まれたという訳だ。思わず頬が引きつるくらいは許されると思うのだが。

 ……手持ちの情報が少なすぎる。

 悪いことに、関わっている人間の殆どが私よりも格上の老獪であり、誰がどんな思惑を持っているか簡単には調べることが出来なければ、判断もつかない。

 自分自身を含め、盤上でお偉方の手駒となっている子供達の動きから探りを入れるしかないか。




 学習院は基本的に貴族の子供の社交場として存在する。しかし、実はそれだけに利用するには勿体無い程の価値がある。


 立場と身分と状況を冷静に鑑みた結果、ゼファー他数人と適度な友好関係を築き、王太子とその取り巻き共とは慎重に距離を置く以外は、人間関係に払わなければいけない注意はほぼ無かった。

 そもそも必要なパイプは親の方に直接繋げてある。代替わりはまだまだ先であり、子供側と学院の中で戯れる必要性は感じられない。


 以上のような理由から、学院主催の社交会にはほぼ出席する事が無い私は、普段時間を持て余し気味だ。

 そこで役立つのが、学院の有する施設や蔵書である。特に蔵書の質と量に関しては、右に出る存在はこの世界に三つも無いだろう。

 教育の内容に関しても申し分無い。テレジア侯爵に一通りのことはご教授頂いてあるものの、おごる余裕は私には無い。親の庇護をその悪行ごと切り捨てた私は、同年代の先を行き、彼等の親と渡り合うだけの力をつけなければならない。さもなくば死ぬ。

 とはいえ既に習ったものには変わりない。手間取る事は無く、課外学習に奮闘するような事も無い。


 そうして他の生徒より格段に余った時間を、希少な学院の蔵書に充てているのだが。


 一年の年月を掛けて思い知ったのは、魔物に関する情報の絶望的な少なさだ。

 人語を解する、魔法を使う、人の手の入らない原自然の中に生きる。魔物と一口に言っても鳥のようなものから獣のようなものまで多種多様な生態が存在する。それらの数少ない共通点であり、魔物であると判断される基準がこの三つ。


 ……それで、他には。分布体系やその多様である生態系についての情報は何故無い。どれもこれも化物退治の英雄伝ばかりで、詳細な魔物の記載が無いので役にも立たない。

 頭を掻き毟りたいほど苛立たしい。滅ぼし終えた魔物に興味は無し、後世の事は考えませんとでも?


 これに関しては情報通のゼファーでもどうにもならないだろう。自分で調べるしかない。が、世界で三本指に入る蔵書を利用してこの状況である。実施調査から始めなければならないのか……。


「……ゼファー」


 そういえば、とぽつりとその名前が自分の口から零れた。


 春休みがあけてから、ゼファーの様子がおかしい。

 具体的に言えば、距離を空けられて壁を作られている。私が友人であると認めたゼファーは対人能力に優れた資質を有していて、最初は正体不明の違和感でしか無かったのだが。

 挨拶はする。二言三言で終わるような世間話もする。だが、それだけだ。当たり障りの無いよう、表面上を撫でるような会話だけ。


 とうとう私の外道さでも吹き込まれたか。

 自嘲さえ出てこない。予想はできていたのだから。


 一つ息を深く吸って、吐く。そんな単純な動作だけで、鈍い痛みを押さえ込んだ。

 傷付く権利なんてものは、スープの鍋に吸い殻を放り込んだあの瞬間に捨てた筈だ。


 読み終えた本を棚に戻した。今日はそろそろ帰らないと、書類の整理が終わらなくなる。

 薄暗い廊下の窓の外に、煌々と明かりの灯る今夜の夜会の場が見えた。舞踏の要素を含んだ夜会には一切出ていない。ドレスを着ていけない私は、女子生徒にも男子生徒に扱い難い存在だと解っているからだ。


 学舎を出るとヴァルトゥーラが控えて待っていた。毎日の事で、そろそろ慣れた光景だ。


「出迎えご苦労、ヴァルトゥーラ」


 言葉を返さずに静かに頭を下げたヴァルトゥーラに、何とも言えない苦々しさを感じた。

 彼は私にどんな感情を抱こうと、ゼファーのように離れていく事は出来ない。カディーヤも、アニタも、まだ幼いシャーハティーやカチヤに至ってもそうだ。

 そんな事は解った上でそのように差し向けたのは自分だ。なのに、今はただ煩わしいだけの道徳心──前世で身に染み込ませた倫理観念が馬鹿みたいに騒いで自虐を促してくる。


「……エリザ様。何かありましたか」


 気遣わしげなヴァルトゥーラの声には、いや、という簡素な一言を返した。


「何もない。帰ろうか」


「はい」


 帰途は、まるで一人で歩いているように感じられた。

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