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今日から二年生である。長いように見せかけて結局恐ろしい短さだった春休みは終わった。イベントちょっと過多気味じゃないか?とうとう死亡フラグが立ったのだろうか。そんな馬鹿な。
それはさておき、取り敢えず後ろの少女を教室へ案内しなければならない。彼女を意識する度自分の目が遠くなっているような気がする……。
隣国のリンダール連合公国は、領地を持たない大公の元に纏まっている。とはいえ一つ一つの公国はほぼ独立した存在であり、それぞれの領地は王政を摂るアークシアよりもバラついた統治となっている。
アークシア王国も領によって治世は異なるが、規範は一つのものを元にしているのでそれほど差異は存在しない。クソ親父のように領主がどうしようもない屑であれば話は異なる……話が逸れた。
「エミリア様、こちらの通路から右側は教職員の棟でございます」
「あっ、はい!」
教室に向かうまでに、院内の構造を簡単に説明していく。ヒロインは乙女ゲームのヒロインらしく、可愛らしい返事を返してきた。
「……それほど緊張せずとも、学習院では私が着いておりますから。今無理して全てを覚えずとも問題はありません」
努めて柔らかい声を出し、仏頂面に見えると評判の顔も出来る限り上品に微笑を浮かべてフォローを入れた。
建前だ。微塵も表に出さなかった本音は、アークシアで言う王家と同格の大公家の娘にしては気品の欠片も無いなぁ、である。
乙女ゲームのヒロインだからなのか、それとも何かリアルな要因が絡んでるのか?
ゲームでは少々物言いのキツい双子ポジションであったグレイスとエリックの例があるように、生きた人間である彼らは様々な人生を重ねている。
重ねた上でゲームと同様の性格に結局落ち着いたのか、それともゲームでその性格だったからそうなる運命だったのか、私には区別がつけられない。
結局エリザ・カルディアは広い目で見れば外道の悪人である事には変わり無く。もしかすると私のこの十四年間は無駄な足掻きで、ゲームのシナリオという自分の運命から逃れられてはいないのではないか、とふと不安になる。
時間を巻き戻す事は出来ない。今まで以上に周囲に鋭敏にならなければ。いつ足を掬われるか判らない。
「カルディア様、ありがとうございます……」
緊張で上気したヒロインが愛らしい表情ではにかむ。
幼子のように無垢で、邪気の無いその笑顔が私に対して向けられている。その事実だけが、エリザとして生きてきた年月を肯定している気がした。
振る舞いがどうであれ、ヒロインが第一級クラスに問題無く所属出来る学力を有しているには変わりないらしい。
王太子、大公家の二人、総帥の孫、ヒロイン。ゲームの登場人物達が綺麗に揃っている。一つだけ異様な点を上げるとすれば、私がそこに存在している事だ。
陛下から頼まれている以上、授業以外はかなりの時間をヒロインに割かねばならない。クラスが離れなかったのは単純に都合が良いか。
ゲームにおいて、エリザ・カルディアは第二級クラスの生徒である。
領民から絞り取った金を湯水のようにつぎ込まれて一級の教育を施されていたようだが、それでいて尚第二級クラスに在席していたという事は、どうしようもなく頭の弱い女であったのだろう。そうでなければ、必ず破滅を迎えるような放蕩を享受し続けられる筈も無い。
「エミリア殿、城で一度会って以来ですね」
「あ、アルフレッド様」
序列的な問題か、やはりヒロインに最初に声を掛けて来たのは王太子である。どうやら王城に滞在していた間に王太子とは引き合わされていたようだ。
ゲームでも、王太子は攻略難易度が高めの割に初期好感度が高く、学習院でヒロインに何かと親切に接する立ち位置のキャラクターであったことを思い出す。
ヒロインのパッと綻んだ顔が王太子に向けられる。顔見知りに会えてホッとしたのだろうが、どこか嬉しそうにも見える表情。前世であれば、確実に異性に誤解を招きそうなそれである。
「御機嫌ようカルディア。また同じクラスになれて光栄だよ。勿論、貴女ほど優秀な人が第二級クラスに行くとは思っていなかったけれどもね」
「畏れ入ります。殿下におかれましては、おかわりの無いようで何よりです」
常のように私にも挨拶する王太子は、やはり変わらずキラキラしい笑顔を浮かべている。素晴らしい表情筋だと心の中でこっそり賞賛を贈った。
身分の為に礼儀として交わさねばならない一言の挨拶はこれで十分の筈だ。一礼して一歩後ろに下がり、まるで侍従のようにヒロインの傍に立つ。
あとはゲーム通りなりなんなり、ヒロインと王太子の二人で話をすればいい。
そう思ったのだが。
「相変わらず堅苦しいままだね。もう一年以上の付き合いになるのに。在学中はまだ臣下ではないのだから、と言ったよね」
「……申し訳ございません。殿下は、我が主君である国王陛下のご子息であらせられますので」
王太子は私との会話を継続させた。他国の公女の前である事を考慮するならば、二言目は私に掛けるべきではない。
彼であれば、それを理解している筈なのだが……?
「その忠義が将来私に向けられるのは嬉しい事ではあるけれどもね。ああ、引き止めてしまって悪かったかな。エミリア殿を宜しくね、カルディア」
「ええ、それでは」
乙女ゲームのシナリオが開始したから気が立っているだけなのかもしれない。小さなことなのだろうが、どうしてか新学期は様々な事に違和感が拭えない。
なんとなく座りが悪いような、肌の上を得体の知れないものが撫でていくような気分だった。




