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25 side:ゼファー・モードン

「顔がにやけているね、ゼファー。学院はそんなに楽しいかい」


 春の休みもそろそろ終わる、そんな頃。

 意地悪くニヤニヤ笑った父親に緩みきった表情を指摘されたゼファーは、慌てて自分の顔面の筋肉に力を込めた。


「に、にやけてなんかいません。大体、二週間ぶりに顔を合わせた息子に最初に言う言葉がそれですか」


「大丈夫、私はちゃんと分かっている。三ヶ月ぶりの伯爵に合うのが楽しみで仕方ないんだろう?」


「父上……」


 気恥ずかしさに思わず声が地を這う。睨みつけるゼファーの鋭い視線を意にも介さず、モードン伯爵は飄々とポケットから何かを取り出す。


「それにしても、お前が意中の相手に贈り物とはねぇ」


 それは、小さな白い袋──シャリン、と涼やかな音を立てて二粒の紅い石が父の手の平に転がされるのを、ゼファーはほぼ呆然と見つめるしかなかった。


「へぇ、ピアスか。なかなか趣味がいいね、我が息子よ」


 繊細な金の細工に嵌め込まれたルビーの耳飾り。シンプルだからこそ上品な趣のデザインであるそれをそっと摘み上げながら、実に楽しげに伯爵は息子で遊ぶ。


「ち、父上──」


「なにかな、ゼファー?」


「あの──あの、カ、カルディアにそんな邪な思いは抱いてませんっ!それより、僕の私物を勝手に開けないでください!どうやって見つけてきたんですか、それ!絶対に見つからないような所に入れておいたのにっ!」


 真っ赤になって叫んだゼファーに、モードン伯爵は一拍固まり──心の中で、それはそれは盛大に大爆笑した。

 もしもこの場に彼一人きりだったら、床を転げてばしばしと遠慮なく叩きまわりひいひい言っていたと事だろう。もしかすると笑い死にしたかもしれない。

 どう考えても彼女に贈るための装飾品なぞを用意しておきながら、邪な思いはありません。言うに事欠いてそれである。我が息子ながら、父親である私を呼吸困難で殺すつもりとは恐れ入る!


「──どこからって、勿論衣装箱の一番上の上着の右ポケットの中。親子だねぇ、私もよく恋文など見られたくないものを入れておいた覚えがある」


 そんな心中をおくびにも出さず、彼は息子に向かってにっこりと優雅に微笑んでみせた。

 今年めでたく齢三十を迎えたばかりの父親の顔はゼファーから見ても麗しい。母が亡くなって三年、まだまだ父に再婚の申し込みが絶えないのは、彼もよく知る所だった。


 世紀の美術品と謳われる王太子殿下とも、最高の人形師が丹精込めて作り上げた傑作みたいな自分の親友とも趣の異なる、大人の余裕を含んで熟成した父親の顔。

 社交界の華と評されるそれに異論はないが、まだ准成人の為に夜会は父と参加せねばならないゼファーとしては少々複雑な気分にさせられる。

 父親そっくりの顔であるゼファーは必ず下位互換として見られてしまい、夜会で声を掛けてくれる女性は決まって「貴方のお父様とお話したいわ」と言うのだ。

 いつまで経っても追いついた気のしない父は少しだけゼファーのコンプレックスになりつつある。


「え、父上と同じ事を、僕が?」


「そう。お前の母さんに初めて贈ったネックレスも、こうして白い紙袋に入れて、衣装箱の一番上の上着の右ポケットの中に忍ばせておいた覚えがある」


「……もう二度としない」


 一転して表情をげんなりとさせた息子に、モードン伯爵の鋼の外面に一瞬罅が入りそうになった。

 駄目だこのまま話していると本当に笑い死にする。

 そう判断した彼は息子の大切な贈り物を袋に戻して返してやり、それじゃあまた夕食時にと声を掛けてその場を颯爽と去って行った。


 残されたゼファーは、一度だけ深く溜息を吐く。昔から忙しく、ゼファーが学園に入ってからというもの片手で足りる程しか会った覚えのない父親は、暇こそあれば彼の事をいつも盛大におちょくって遊んでいる。

 なかなか話す機会の無い息子との、父親なりのコミュニケーションだとはゼファーも理解しているのだが──振り回されるだけ振り回されて、父が去って行った後には必ず物凄い疲労感が残される。


「いつか絶対ギャフンと言わせる……っていうかカルディアは親友だし……男だし……」


 何を言おうと涼しい顔の父親が、その分厚い微笑みの仮面の裏側でとんでもない勢いで笑い転げているのを知らぬまま、ゼファーはそう呟く。


 そこへ、ヒョコリと銀色の頭が一つ現れた。


「兄様?」


「やぁ、どうしたんだいルーシウス」


 一つ年下の弟、ルーシウスである。一年前、親友の伯爵と出会った頃の自分と比べると、同じ歳になったとは思えない程幼い少女のような顔立ちの弟は、「お客様が来ているんです」と若干不思議そうな表情でゼファーに用件を伝えた。


「お客様……って、僕に?」


「はい。マルク・テレジア様という大人の方です。父様ではなく、兄様にご用件があるとの事で……」


「え、先生が?」


 流石に予想外だった名前に、ゼファーは瞳を丸くさせた。


 そもそも、学習院が春休みである今、ゼファーは王都から馬車で三週間、宿場町で馬を乗り継いで単騎駆けしても一週間かかるような辺境の実家にいるのである。

 そんな距離をわざわざ、学習院の教師と生徒という関係性でしかない男が、ゼファーにどんな用件があって訪ねてきたというのか。


「応接間にお通ししてあります」


「わかった。ありがとうルーシウス。ちょっといってくるよ」


 首を傾げながらも応接間に向かったゼファーに、女性徒にコアなファンが存在しているという美青年教師・マルクが爽やかに挨拶をした。


「今日は、モードン。久しぶりだね」


「ええ、テレジア先生。遥々遠いこの地へお越しい頂きありがとうございます」


「いや、いいんだ。そんな事より、君に伝えなきゃいけないことがあってね」


 どうやらこの教師は何かしらの連絡事項の為にこんな所まで越させられたらしい。少しだけ不憫に思いつつ、ゼファーは取り敢えず着席する事にした。

 控えていたメイドに自分用の紅茶を用意してもらい、今テーブルに置かれている一般来客用の茶菓子ではなくもっと上等なものを出させる為に指示を告げる。

 目の前に上品に腰掛けた教師の男は、一連が終わるまで静かに紅茶を嗜んでいた。


 ──そういえば、カルディアの後見人はテレジア侯爵だったな。


「どこから話をしよう。まず、私の大伯父が君の友人であるエインシュバルク伯爵の後見を務めているところからかな」


 ふと思い出した事と、目の前の男が言い出したことが重なって、ゼファーは少々どきりとした。


「大伯父様は息子に恵まれなくてね。私が将来はテレジアの名を継ぐことになる」


「はぁ……そうなんですか」


 ゼファーは男の語り始めた話の内容がどう自分に関わってくるのか全くわからず、曖昧に相槌を打つことしか出来ない。

 男は何を考えているか全く読めない若草色の瞳でゼファーを見据え、にこりと笑ってみせて、そして衝撃的な一言を放った。


「端的に言うとね、君にはエインシュバルク伯爵と距離をおいて貰いたいんだ。彼女の婿取りに、少々君の存在は邪魔でね」


「──はい?」


 何を言われたか分からずに、ゼファーの口から間抜けな声が勝手に溢れる。


 ポケットの中にしまった彼の瞳と同じ色の耳飾りが、チャリ、と小さく鳴ったような気がした──

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